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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

何故『FF15』のAmazonレビューは荒れたか

エッセー

 

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※FF15のネタバレ・レビューは一切ない

 

要約:

昨今では期待の新作がカスタマーレビューを中心に酷評されている

レビューが賛否に偏るのは、結論が「買え」「買うな」の二択になるから

レビューの定義は「物事を測る」ことと「値段を定める」こと。アマゾンでは後者のレビューが当然期待される

一般的なSNSは前者も後者も入り交じるので混沌となる

 

「平均3点」の制裁

待ちに待った『FF15』が発売して、巷での評価を聞くと、これが思いの外芳しくない。

そう各サイトが報じるのは、Amazonレビュー(カスタマーレビュー)の手酷い荒れようだ。現状600件近いレビューがあって平均値は5点満点中3点。

周知の通り、「平均3点」だから3点のレビューを投稿した人間が多かった、というわけでなく、1点と5点の双方が混ざった賛否両論の評価が、「3点」なのである。(つまりこの3点には何の意味もなかったりする)

平均3点というのは、確かにかなり厳しい。私が見てきた各作品のレビューでも、4点でも割と批判的、3.5点で結構キツいぐらいで、3点ともなるとそう見ない。

 

なるほど、『FF15』にも課題はあったかもしれない。前作と同じく、荒れやすいタイトルでもある。

だが目を疑ったのは『ポケットモンスター サン&ムーン』。サン版だけで400件近いレビューがあって、これも平均値が3点近いのだ。

これはどうしたことだろう。『ポケモン』はいわずと知れた子供向けゲームだし、新規の『GO』ではあれだけ誉めそやされて、

いっちゃ何だがノスタルジーとコンサバ心でガッチリ手堅い信者を獲得したタイトルだと思っていたが。

 

いずれにしても、Amazonレビューはゲームを愛するゲーマーたちを逆撫でするような、ビックリするような文章が並んでいる。

一方で、こうしたレビューは常に需要がある。「○○○○ 評価」と調べれば、一番上に出てくるのはカスタマーレビューや、Twitterなり2chのまとめ。それは何故か。

 

レビューに何を期待するか

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まず、私個人はいずれの作品のレビューも書いていないので、この「3点」が適切かどうか、という話はしない。

ただ興味深いのは、こうした暴論だとすら批判されるAmazonレビューは、利用者の見方を考えると、むしろ筋が通った物に思えるし、現に必要だと思える点だ。

 

まず、私個人は現状レビューで数値評価を載せたことはない。

これは別に、数値で測るなんて失礼だとか、ユーチューバーになりたいとかいう話でなく、単純に数値化するなら相応の根拠が問われ、そこまで厳密化した記事を読みたい奴もいるまい、と思っているからだ。

ただ、数値評価はとても魅力的だと思う。一つ目に、レビューを極めて簡潔に要約してくれるし、二つ目に、果断な評価に見せることで文章にスリルが加わるからだ。

 

実際、上記のAmazonレビューもこの点を踏んでいる。レビューを簡潔に要約・・・どころか「グラフィックがクソ、星1」みたいに本文まで要約されたり、果断な評価も確かに果断すぎるぐらい果断である。

相対的に、2点や3点のレビューは多くない。現に、『ポケモン サン』のレビューを見ても、星1と星5は100件以上偏って、ほかは50~70ほどにばらけている。

これが、一般に「Amazonレビューはアテにならない」「客観性に欠ける」とされる根拠であろう。面倒だから1点、5点に振り切ってしまった安易な意図が見えてしまうからだ。

 

確かに、個人サイトや商業サイトのレビューならその指摘も正しいと思う。だが我々が考えるべきは、このレビューの目的である。

そもそも、彼らがあえて手間暇かけてレビューを書くのは、この作品が優れている、あるいは危険だということを伝えたいからだ。

つまり、自分はこの商品を買ったのはいいんだけど、とても退屈で耐えられなかった。今となっては腹立たしい。という感情を、誰かに理解してもらったり、あるいは伝える責任を感じてレビューを書いている。

作品がどうか、というよりも、作品を通じた自分がどう感じたかが重要なのだ。文化の鑑賞者でなく、商品の消費者のためのSNS。これが現代におけるカスタマーレビューの「意義」なのだと、私は多くのレビューを読んで感じる。

 

ここに、先述した数値評価が問題も加えてみよう。

この商品は購入すべきだ、購入すべきでない、こうした情報を実体験でもって他の消費者に示唆する。こうしたレビューは、Amazonが流通に特化した企業だから、この意図は間違ったものでない。

だが、こうした動機があるレビューでは、数値評価は後付けにしか使われない。「買わせる」か「買わせない」目的があり、文章でその根拠を肉付けし、数値評価はそのための「参考資料」として利用されがちだ。

果たしてそれでいいのか?実はこの点も、Amazonカスタマーレビューの目的を考えれば、筋が通っている。

 

例えば、Amazonでインスタント食品や白物家電を買うとき、誰も芸術性だの創造性だの考えるはずはなく、単に「購入に値するか」否か、経済性のみ問う。

ゲームに話を戻しても、この点は変わらない。私のようなオタクはともかく、暇つぶしの娯楽でゲームを買う人間なんていくらでもいて、むしろゲーマーのマジョリティが彼らだろう。

彼らにしてみれば、レビューサイトに奥深い議論を期待してはいない。クリスマスのプレゼントに、冬休みの暇つぶしに、何かゲームを補給したい。このゲームを補給しても大丈夫だろうか?

この問いかけに、レビュアーたちは、「論外、1点」「神ゲー、5点」と数値を添えて、簡潔に答えてくれるのであり、これが我々ゲーマーにおぞましく思えようが、彼らの間では極めて健全なコミュニケーションが成立しているのである。

だからこそ、数値は参考画像程度の扱いでも構わない。「1点」「5点」というのはレビューの要約でなく、レビューを強調する修飾であり、強調される内容は「買え」「買うな」の、たった二つなのだ。

 

仮に、個人ブログや商業誌のレビューで同じ事を言えば、叩かれるどころか炎上すること請け合いだ。

何故なら、個人のレビューが相手とするのは「消費者」でなく「鑑賞者」であり、目的とするのは商品の購入でなく作品の議論だ。

読者は購入の是非より、作品への理解を深めることを期待している。

芸術性だの、文化性だの、こうしたビビッドでデリケートで、ある種政治的とすら言える問題において、数値をただ強調に用いたり、ネットスラングで短絡的に結論付けると、形だけは芸術者を気取りたい大衆はそれを許さないだろう。

(最も、商業誌や個人ブログは叩きやすい一方、カスタマーレビューは匿名で叩きようがないってだけでもあるが)

 

多くの人間にとってゲームもレビューも消耗品である

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少々ややこしい話になったが、一般的なレビューと、「カスタマーレビュー」の差異について、少し掘り下げてみた。

まず例外もある。カスタマーレビューだろうと貴重なレビュー、熱の入ったレビューもあるだろうし、逆に商業誌や個人ブログだから”非商業的なレビュー”とも限らない。(本当に)

また、極端なレビューで商品の地雷撤去をする消費者が野蛮で、オタクゲーマーが文明的という話でもない。大作ゲームで暇つぶしする人も、ゲームを通じて成長や感動を得ることもあるかもしれない。

 

で、問題はレビューの定義である。レビューとは何か。Wikipediaによると”評価”のページに「1.物事・性質・能力などの良し悪しや美醜などを調べて価値を定めること。2.品物の値段を定めること、またはその値段。」とあるが、まさにこの違いが問題だろう。

Amazonでゲームを購入しようとする、日常に娯楽品を補給しようとする、そんな人間が期待するレビューが「2」で、既にゲームには精通していて、ゲームへの理解を深めたい人間が期待するレビューが「1」だ。

 

実際のところ、多少の表現のギャップこそあれ、値段を定める、購入に値するか知る上では、Amazonレビューは十分機能している。

作品の価値は個人的で重要な問題だ。しかし商品を買うかは、結局のところ自分の財布次第であり、動機は不純でもいい。

大して面白くない作品が流行しているようでも、流行している作品というだけで、自分も知りたい共有したいと思わせ、結果的に「価値がある作品」になってしまうのと同じ。

根も葉もない「エアプらしい」レビューであっても、消費者からすれば「火のないところに煙は立たない」と考えるには十分な判断材料となり、その賛否両論なレビューの塊もまた、一つの評価の指針となる。

 

本当の問題は、Amazonレビューでも、商業誌・個人ブログでもない、ネットの魔境、即ちTwitterとか2chみたいなSNSにあると私は思う。

ここは徹底的にレビューの定義が不明瞭だ。Amazonなら商品を買う人間が、商業誌ならゲーム文化を知る人間が集まるが、魔境にはどちらも集まっていく。

だから、書き込まれた内容はAmazonレビューと大差なくとも、本人は情熱を持って書いているし、お互い割り切ることが難しい。結果的に、マイノリティは排除され、極論だけが残る。

更に、今やSNSの影響力は大きく、こうした消耗品のような短絡さと、信奉者のような熱烈さが混ざった歪なレビューが集まり、さながらインスマウスのように飲み込まれていくのではないか。