ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

ボストン美術館浮世絵名品展 北斎 に行ってきたよー

 今年は既に数カ所の美術展を訪れたのだが、北斎展は2014年の中でも群を抜いて注目され、私も多いに期待していた。 まるでレンブラントでも来たような歓迎ぶりだが、そもそも北斎は日本人。何でいつでも観れないの?と思うだろう。 なんとこの北斎の絵画、全てアメリカのボストン美術館に所蔵されているものなのだ。 残念なことに、当時の日本人にとって、絵画は「娯楽」でこそあれ、「芸術」という認識はなかった。 まるで子供がカードゲームに飽きて散らかすように、明治時代の幕開けと共に、日本人は絵画をあっさりと捨ててしまった。 そこを、通りがかりのアメリカ人と芸術を解する日本人たちによって買い取られ、多くの仏像や浮世絵がアメリカやフランスに渡ったのだ。 特に北斎の絵画はフランスにおいて高く評価され、多くの印象派画家に影響を及ぼしたという。

権威と戦う庶民の美を描く北斎

lgp01a201309140500.jpg

さて、このように描くと、かつて北斎のような偉大な画家を手放したことは、同じ日本人として悔しく思うかもしれない。 事実、痛手であるのだが、今回の北斎展で彼の作品に直に触れることで、私の考えは少し変わった。

というのも、アメリカ人の手に渡ろうと、明治政府から手酷い扱いを受けようと、北斎は気にしないと思うからだ。

率直に言って、北斎の絵画は「プロレタリアート的」「庶民的」である。 名も無き庶民たちが、貧しき江戸時代の生活から、生み出す数々の美。 それは西洋のロマン派に描かれる王侯貴族の気高さや、壮大な権威への賛美とは正反対のもの。 北斎はむしろ、権威や古典を、真っ向から否定するような「庶民的」な絵を描き続けた。

だからこそ、西洋のアカデミーで多いに評価され、途方も無い金額で売買される栄光を、北斎本人はそこまで喜んでいないだろうし、 逆に、西欧の評価の後に、日本人が手のひらを返し、日本芸術の西欧芸術に対する「勝利のモニュメント」として掲げられることも、北斎は望んでいないと思う。

西洋画法を貪る北斎の美   

葛飾北斎の名を知らない者はいないだろう。 我々にも馴染み深い、日本史の授業で覚えさせられるからだ。 その僅かな授業から、多くの人は北斎を、西欧から隔絶された「日本的な」画家であるイメージを持つ。

そのため、西欧芸術の洗煉された技法を持たないため、何とも難しそうで、敬遠する人も多いかもしれない。 寒色を中心とした独特の色使い、東アジアならではの筆の輪郭、写実的と言いがたい荒々しい自然。

しかし、彼の作品の本質は、とても「西欧的な」ものである。 とりわけ彼の最も有名な作品、「富嶽三十六景」の構成をよく見れば、 手前側は遠近法をベースに咆哮しているような荒々しい自然を描き、奥側は俯瞰法をベースに沈黙する荘重な自然を描く。 はて、これどっかで見たような。

実はこれ、ターナーを初めとした、西欧のロマン派風景画でよく使われる手法である。 外形は純日本的であるものの、骨格は西欧のノウハウを大いに取り入れた、先進的かつ合理的な画家が葛飾北斎なのだ。 もちろん、決して北斎に閃きがなかったというわけではない。

全く異なる価値観を持つ人種が、数百年の切磋琢磨の末に編み出した画法を、いかに日本文化に取り込むか。 これには並々ならぬ努力とセンスが必要だったのだろう。 むしろ北斎の評価される所以はここにある。 それでは、いくつか作品を取り上げて感想を述べたいと思う。

800px-The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

言わずと知れた、北斎の最高傑作とも謳われる傑作である。 先ほど私が評価した、北斎の「外形は日本、骨格は西欧」がこれ以上なく反映されている。 荒れ狂う太平洋に、沈黙する富士山。そこに立ち向かう漁民たち。

同じ構成でありながら、当時の西欧芸術の規範となる「崇拝」の要素はバッサリそがれ、 代わりに黙する山と、猛る海の間で夢中になって生きる、平民たちのアナーキズムが全面に押し出されている。 しかし、観れば観るほど、ミーハーな意見だが、一点の穢れもない完璧そのものの作品である。

aaawe.jpg

「雪月花 淀川」

平民たちの生活を描く、北斎の作品には珍しく、右下に城塞が描かれている。 ところが、降り積もる雪片と、大地を呑み込むように広がる淀川と、そこで懸命に働く町人たちが、 武士の権威たる城塞をも包み込み、「為すがまま」の日本の風景を形取ってしまう。

北斎なりの緩やかでユニークなアナーキズムと、仏教的な諦観が、「雪月花」の美によって豊かに拡散している。 そもそも「雪月花」という観念は中国の詩人、白居易のもの。 昨今では、何やら政治で揉める日本と中国だが、芸術において、そんなものは無粋なもの。 政治を語るのも結構だが、北斎が愛した彼の国の文化と、芸術に目を向けるのもいいではないか。

最後に、展示会そのものの感想だが、大変素晴らしかった。 北斎の作品はどれも小さめことを配慮してか、全員が一列で観れるように厳しく入場制限をかけたり、 重要な作品をほぼ網羅している運営側を見るに、よほど芸術に理解がある人間が揃っていたことに驚いた。

何より、本物の浮世絵は想像以上に迫力があった。 根本的に違うのが、全てを呑み込むように貪欲な海を描いた、あの藍の染料である。 恐らく、西洋の画家も北斎の作品を見て、さぞや藍を欲しがったに違いない。 そしてそれに染み入る和紙。踊るような筆。

この3つは、日本でしか手に入らない道具であり、逆に北斎が西洋に対抗すべく、日本の技術を総動員させていたことがわかる。 その意地は、間違いなく本物を10cm離れたところから観る他に図りようがなく、充実した時間を過ごせた。