ゲーマー日日新聞

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Bioshock Infinite ストーリー解説 -「くり返し」続ける二人の試練

※ネタバレあります

bioshock:Infiniteの2周目を終えた。最初クリアした時は、正直あまり楽しめた記憶がないのだが、ストーリーの全貌を理解した後の2週目は大いに楽しめた。

 

そんなわけで今回は、今更感漂うBioshock:Infiniteの感想と個人的な解釈を述べていきたいと思う。

 

 

ずばり、初代bioshockとの決定的違いは、主人公が「主人公に扮した画面の前のあなた」なのか「主人公に扮した赤の他人」なのかにあると思う。 Infiniteは後者だが、そのプロットのクオリティは初代にも劣らない完成度であり、初代とは真逆のアプローチでbioshock哲学を追求している。

しかし、プレイ面は前作そのままで、ストーリーは大きく変えたために、今ひとつ話が理解できず肩透かしを食らったという人も多く、本作の評価も割れた。 今更ながら、ここで私の本作に対するストーリーの解釈を述べ、なぜ本作の評価が割れたのか述べようと思う。

 

 

二人のブッカーの百年戦争


本作のストーリーの鍵は、正しき人生のための「やり直し」を巡る二人のブッカーの戦いであり、利用される者とする者の戦いを描いた前作とはこの点が異なる。

 

本作では洗礼という形で抽象化されている「やり直し」だが、それはブッカーだけでなくカムストックも繰り返してきた、長く険しい道である。 その二人があらゆる次元で何百年と歩み続けた「やり直し」の道こそが、本作の醍醐味であり、希望なのだ。

 

同時に、本作は決して相容れぬ二人の「やり直し」に触れたプレイヤーに、自分の中に眠る小さな罪を見出し、「やり直し」への道を考えさせるだろう。

 

さて、とりあえず軽くストーリーを流してみよう。

西部開拓時代のアメリカ、未だにインディアン掃討作戦が続けられる中、騎兵隊所属のブッカー・デュイットはインディアンの集落を民間人を含め殲滅する。 その後悔からブッカーは軍を退役し、罪の重さから洗煉を受けようとするが、思わず逃げ出してしまう。

その後、ピンカートン事務所で働くが、ここでも労働者の鎮圧という汚れ仕事に手を染め、良心の呵責に耐え切れず酒に溺れ、果ては自分の一人娘まで手放し、ブッカーは絶望の底に墜ちる。

一方、洗煉から逃げ出さなかったもう一人のブッカーは、洗煉名のカムストックに名を変え、今までの罪を洗い流すべく布教に打ち込む。 そうしていく中で、物理学者ルーテスと出会い、カムストックの求心力とルーテスの技術により、天空都市コロンビアと次元を開放するティアを生み出す。

カムストックはそのティアのなかで、もう一人の自分であるブッカーが手放した娘を見つけ、娘に自分の後継者になるよう企てる。

一方、ルーテスは別次元に住むもう一人のルーテスに、ティア越しに出会い、自分たちが生み出したコロンビアを止めるべくブッカーを差し向ける。

さて、ここまでがプロローグだが、既に初代バイオショックと大きな違いが存在する。

 

初代バイオショックは「支配された子供による親への復讐」が主題だった。

 

初代のストーリーは、フォンティンによって「自分の目的のために作られた手段」として創られた主人公が、 運命から己を解放すべく、自分の親であるフォンティンを討つという話だ。

 

このデウス・エクス・マキナ的などんでん返しストーリーと、 ゲーマー=主人公というお客様の構図を利用し、逆にゲーマー=クリエイターの奴隷という構図に解釈したストーリーは Call of Dutyにあるような一本道FPSに慣れたプレイヤー達に、大きなショックを与える内容だった。

 

 

では本作はどういうストーリーかといえば、「親による親への復讐」が主題なのである。

或いは「自分による自分への復讐」とも言うべきだろう。 洗礼によって「やり直した」カムストックという自分と、絶望の淵によって「やり直した」ブッカーという自分。

 

ゲーム内のボックスフォンでもカムストックが主張しているが、我々の住むこの世界では「神ですらやり直し」が出来る。

 

しかし人生の「やり直しは茨の道である。 事実、洗礼を受けるという「やり直し」に踏み切ったカムストックには、己の娘への悔恨と希望から、アメリカを滅ぼす暴挙に至る。

同時に、洗礼から逃げ出したブッカーには、己の猜疑心から、自分の娘さえも手放してしまう。

 

だから二人は、お互いの「自分」を強く否定する。二人はマリオとクッパのような他人同士ではなく、自分がこの世で一番恨んでいる自分自身なのだ。

ブッカーもカムストックも己の道に懐疑する中、どうすれば正しい道が描けるのか。どうすれば、「やり直し」は成功するのか。 いずれにせよ、この点を意識するかしないかで大きくストーリーの面白さは変わるだろう。

 

 

ところで、主人公ブッカーの苦労は、彼に寄り添うプレイヤーが一番知る所だったとして、カムストックが苦労してたのか?と思うかもしれない。

しかし、苦労はカムストックの老衰から伺える。 ルーテスによれば、カムストックの異常な老衰は、ティアの濫用によってあらゆる世界にカムストックが点在し、それによってカムストックが本当に実在する世界がどれなのか、 カムストック自身でもわからなくなり、そして消滅してしまうようだ。

 

仮にカムストックが利己的な精神しか持っていなかったなら、自らの命を削ってまで何を手に入れようとしたのだろうか。恐らく「自分以外の何か」のために予言を続けたのではないか。

 

とりわけ、最後にカムストックと対決するシーンにおいて、ブッカーの腕力に抵抗出来ないほどに彼は弱っていた。あのシーンを見て、私はカムストックの想像を絶する長い道のりを察した。

 

 

 

 

本作において、この「二人の対決」を強調するシーンは多い。前作とは異なり、主人公の独白や強制イベントが増え、より自由度に歯止めが掛かってしまっている。

しかし、これはストーリーのために必要な犠牲だと思う。プレイヤーはあくまで二人の対決において、客観的な立場を維持せねばならない。

 

なぜなら、もしプレイヤーが一方のブッカーに肩入れすれば、主人公という正当性をブッカーは手に入れてしまい、「自分が二人存在することで生まれる葛藤」が成立しないためだ。

だから、極力プレイヤーはブッカーに感情移入できない立場から、二人のブッカーが抱える贖罪への道を見守ることで、本作のストーリーの真の魅力を体験出来るだろう。

 

 

醍醐味は二周目から


 

さて、これはまだInfiniteに秘められた魅力の一部だ。 一周目をクリアしたけど、いまいちストーリーもわかんなかったし、狂気要素も足りなくて微妙なゲームだったという人も多いだろう。

しかし、そんな人にこそ、是非2周目を遊んで欲しい。 初代バイオショックのストーリーも素晴らしいものだったが、「主人公=プレイヤー」というロジックが前提になっており、 全てのプレイヤーに共通するストーリーを描く以上、本作のような噛みしめるような面白さには欠ける。

本作のブッカーとカムストックの葛藤は、我々にもまた共通する普遍性がありながら、「人生のやり直し」という根源的な哲学に踏み込んでおり これを多少強引ながらもゲームに落とし込んだIrrational Gamesの実力は確かなものだと思う。

 

男が洗礼の水に沈められる。 顔を上げたとき、男は別の人間として生まれ変わっている。 しかし、水に浸かったままでいるあの男はいったい誰なのだ? おそらく、罪人であり、同時に聖人でもあるだろう…再び人々の前に現れるまでは。 -カムストック