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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

学生が夏休みのうちに読んでおきたい日本文学15選

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今日はちょっと実用的な記事を目指して書いてみました。 7月に入り、ずいぶん暑くなってきましたね。 カフェのような避暑地に入って読書を楽しんでいる方も多いのではないでしょうか。 学生の方には夏休みが近い、或いは夏休みに既に突入した方も多いかと思います。 そこで、休暇を活かした読書に使えるような、小説を、文学史を遡りながらオススメしていきます。 別サイトによりシンプルに見やすい一覧を用意したので、そちらを読みつつ参考にしてもらえると助かります。

 

目次




万葉集』           額田王 他   ーー7~8世紀ーー
徒然草』          卜部兼好    ーー鎌倉時代ーー
雨月物語』          上田秋成    ーー江戸時代ーー
『李陵』           中島敦     ーー明治時代ーー
『一握の砂』         石川啄木    
『斜陽』           太宰治
『焼跡のイエス』        石川淳     ーー戦後昭和ーー
『川釣り』           井伏鱒二
『古都』           川端康成
『第四間氷期』        安部公房    ーー高度経済成長期ーー
『洪水は我が魂に及び』    大江健三郎
ポーツマスの旗』      吉村昭
深夜特急』         沢木耕太郎
スプートニクの恋人』    村上春樹    ーーバブル崩壊後ーー
『64』            横山秀夫

 

 

 

 

 

文学の発生~江戸時代


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この時代の文学は、仏教思想や貴族社会文学が多くを占めますね。 特に万葉集徒然草のには、お坊さん(Priest階級)が強く携わっています。

僧侶が歴史に残る著書を何冊も残していることは、それだけ宗教が密接に生活や社会と関わってきたと言えますね。 中でも『徒然草』における、諸行無常、或いは色即是空の仏教思想は、明治時代においても、または後述する川端康成の『古都』でも散見されます。

我々に馴染み深い仏教ですが、現代の教育や流行は西洋寄りであることもあって、今から随筆を読み直すと改めて発見することも多いです。 逆に、古典が苦手な方が多いのも、文章が難しいからというより、仏教の思想に今ひとつ共感できないからというのも多いかもしれません。

上田秋成雨月物語は、武士の時代で強く生きるプロレタリアートこと農民達の力強い躍動を描いており、 逆に仏教思想がプロレタリアートの熱を冷却するように描かれているのも興味深いです。溝口監督の映画で知った人にもオススメですね。

 

江戸時代~明治時代


61FGQ5TQMZL.jpg o0640048010379353323.jpg 明治政府によって急激に西欧化が進められる明治時代では、同じく西欧文学に強く影響された作品が生まれます。

急激に増えた選択肢に対応すべく、文豪たちは飢えたマンティコアの如く西欧思想を吸収していくんですね。 そんな明治時代は、日本文学の最盛期と言えるでしょう。

同時に、個人の所得が増え、本そのものも安くなり、更に新聞という媒体を手に入れたことで、急激に文学の需要が増えたのも大きいですね。

有名ドコロは学校の授業でも抑えられていると思うので、個人的な好みで選ばせて頂きました。

中島敦『李陵』は、漢の軍人の生涯を描いた小説で、日本における中華文化への強い敬意を伺わせます。 どの文学も少なからず西洋文学を取り込む強さがある以上で、中島敦はあくまで中華文化をベースに、日本文化と西洋文化を取り込む貪欲さが素晴らしいですね。 君主と部下という上下関係と、友人同士の平等な関係の対比を強く意識した作りは、日本にも通ずる儒教思想を意識させます。

石川啄木『一握の砂』は、日本の伝統文学の短歌に、西洋の個人主義社会主義を影響を加えた作品です、。和洋折衷とはこのことですね。 『万葉集』にあるような貴族文化の短歌が、裕福な生活から見えない豊かさを希求するような、緩やかな耽美さが描かれるのに対し、 この時代の短歌は、貧しい文芸家達の経済的にも精神的にも限界を感じる、力強い訴え、SOSが心に響きます。

太宰治『斜陽』も、西洋化の影響を強く受けており、太宰治本人もキリスト教に造詣の深い人物です。 この時代にしては珍しく、女性が主人公として崩れゆく社会を強く生きる姿は、アメリカの『風と共に去りぬ』を思わせますね。 また暴走する個人主義と、伝統的な人間関係への欺瞞といった、強い糾弾も込められているように思えます。

 

明治時代~戦後昭和時代


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明治時代から繁栄を謳歌した日本も、やがて戦争に突入し、多くの国内外の国民による犠牲と共に敗北しました。 そして、戦争で全てを失った日本は、今までの伝統に対する強い欺瞞を抱き始めるようになります。

同時に、今までの伝統を否定した我らは、次からどのような伝統を作ればいいのか迷走する時代でもあるんですね。 加えて、急激に成長する技術と社会に、人間がついていくことができず、その戸惑いが伝わるような作品も多く描かれました。

石川淳『焼跡のイエス』井伏鱒二『遙拝隊長』が最たる例でしょう。 ただ戦争を非難するわけでなく、戦争という未曾有の惨劇に見舞われた人々が、いかに苦労し、いかに立ち直ったか描かれています。

特に、井伏鱒二は短編が多く、内容もとても読みやすいので『山椒魚』等も読んでみてください。

川端康成『古都』では、戦後の新たな日本に対応できず右往左往するメタファーとして、京都とそこで生きる人々が描かれています。 彼は仏教思想に造詣が深く、彼の作品に共通して、あるがままに身を任せようとするような、無常感が横たわっています。 明治時代から急激に西欧文学の影響が反映されるようになった文壇と対比すると、一層楽しめますね。

 

高度経済成長期~バブル崩壊


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経済的に復活を遂げた日本は、そこに流れる自分たちの新たな住処、精神を追い求めます。

今までのように伝統や、西欧文学を取り込むだけに終わらない、「戦前日本」でなく、「戦後日本人」のための文学とは何か。

安部公房『第四間氷期はその先駆者です。彼は伝統、欧米、社会全てに疑問を投げかけ、帰納的に新たな日本の姿を洗い出します。 デカルト哲学に通ずるような、痛烈な風刺と逡巡は、現代社会においても尚、筋の通った内容に思えます。

大江健三郎『洪水は我が魂に及び』は、「戦後日本人」の武勇を描く、中々に攻撃的な内容です。 安保闘争真っ只中の時代、得体のしれない終末感に包まれた日本は、一体どこに向かうのかという焦燥が文体を通じて伝わってきます。

吉田昭のポーツマスの旗』は、いささか純文学とは趣きが異なる気もしますが、戦後からある程度の期間を置き、 明治~戦前の日本を一区切りおいて、冷静に考慮出来るようになった象徴とも言えるので、 『永遠の0』にある歴史ブームに合わせて是非読んでいただきたい作品です。

沢木耕太郎深夜特急は、先述した安部公房大江健三郎から見える「闘争心」と対比させると興味深いです。 彼の旅は自由を求める逃避行であり、日本の話は一切出てこない上で、海外の文化もそこまで深く考察する話でもなく、 複雑な国境や民族から解放された、純粋な自由と人情に触れる、純文学としても側面も強いからです。

 

バブル崩壊~現代


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戦後日本とは何か問い続ける戦いもそれなりに終結し、社会に対する欺瞞やアイデンティティを求める求心力も薄まると、 日本には漠然とした怠惰な空気が流れます。

高度経済成長期という夢も、バブル崩壊によって失われたが、経済的な豊かさは一応維持されているという、資本主義の限界が露呈した時代でもあります。

モノを持っている若者が、モノ以外の何かを求めて彷徨う時代だと言えるでしょう。

その例の一つに村上春樹が挙げられます。 ネットでは今ひとつ評価されていない、村上春樹文学ですが、彼は日本に巣食う「怠惰」を、若者のモノへの執着にと虚しさを描き出します。

スプートニクの恋人では、社会と戦う闘争心も、帰るべき伝統も、すっかり冷めてしまった日本人が、 純粋な物質的豊かさを手に、失われた精神的豊かさを取り戻そうと逃避と努力をくり返します。 一方で、横山秀夫はモノの代わりに、権威や組織といった形で日本の怠惰を描きます。

横山英夫の『64』では、戦後の数十年間で形成された重厚な組織や階級の中で、 新たな組織とどう立ち会うか、個人と組織はどちらが優先されるべきか問い直します。 これらの作品に共通するのは、「戦前日本」「戦後日本」のどちらにも属せない、「全く新たな時代」と相対した人間が、 「全く新たな時代」をどう定義するのか、怠惰な社会を生きる上で模索する物語が展開されるようになったのです。

 

終わりに


いかがだったでしょうか。 以上15作を日本の文学史に触れつつ、軽く紹介してみました。 中々のボリュームとなってしまいましたが、気にせず好きな作品が一本でもあれば、そこから読んでくださると嬉しいです。 歴史は進むことはっても、我々を置いていくことはありませんからね。 特に、日本文学は翻訳によるハンデなしに名作を読めることが強みとして挙げられます。 我々は基本的に同じ言語を持っていても、時代によって価値観や問題は全く異なります。 我々の日本人とは「また別の日本人」を理解することは、視野を広げる助けにもなりますので、娯楽ついでに彼らの思想を探るのも面白いかもしれませんね。