ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

NHK「ゲーム音楽三昧」で洋ゲーは和ゲーに敗北したのか?

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先日、NHK-FMの『今日は一日三昧』にてゲーム音楽特集が組まれ、多くのゲーマーがその曲の内実に一喜一憂したことと思います。

一方、洋ゲーの曲が少なすぎないか?」という感想も多かったようです。

実際、100曲以上のプレイリストからは、わずか2曲(『Portal』と『Civilization』)のみ選出され、他はすぎやまこういち氏を中心に和ゲーが占めていたのです。

洋ゲーファンの私はこのリストを見て「未だに日本では洋ゲーの理解が進んどらん!」と最初は憤慨しましたが、それ以上に、正直洋ゲーBGMがつまらない現実もあるのではないかと疑念を抱きました。

もし、仮に洋ゲーに対する理解がないとか、国産RPGの贔屓があろうと、一方では『Civilization4』の『Baba yatu』が逆境をはねのけ収録されたのも事実です。

故に、私は多くの洋ゲーを遊び続けましたが、それでも、洋ゲーのBGMで記憶に残っている曲は少ないと認めざるを得ません。

 

 


しかし、BGM単体では洋ゲーの敗北はあっても、ゲームの一部としてのゲーム音楽では、むしろ洋ゲーに軍配が上がると思います。

そもそも、洋ゲーのスタンスとして、BGMに頼らず、総合的な「ゲーム音楽」として音楽を作り出す傾倒があるからです。

本稿では、『Grand Theft Auto』シリーズの「ラジオ」、『Call of Duty』シリーズの「肉声」を例に、

和ゲーの持つ優れたBGMの代わりに、洋ゲーはどんな技法でもって「ゲーム音楽」を生み出そうとしたのか迫ります。

 

 

 

 


ケース①:『Grand Theft Auto

 プレイヤーとゲームを結ぶ「ラジオ」という「ゲーム音楽

 

 


GTA IV Radio Station - WKTT (Full) HQ - YouTube

 

 

 


Grand Theft Auto』(以下GTA)は、ニューヨークやフロリダを舞台にした、広大なマップを自由に探索できるアクションゲームとして知られ、1億5000万本も売られました。

本作では「BGM」はほとんど流れません。代わりに、移動中の車やヘリで流せる「ラジオ」が「ゲーム音楽」の中心になります。

ではどうしてBGMの代わりに、「ラジオ」で「ゲーム音楽」を充足させたのか?

それは、『GTA』シリーズが、プレイヤーによる感情移入を強く尊重しているからだと思います。

本作における「ラジオ」は、言うならば我々の現実と、架空の世界を結ぶ、「どこでもドア」のような存在。

「ラジオ」で収録される、ロックやR&Bの曲はどれも「現実に存在する曲」であり、架空のテクスチャで構成される無機質な世界で、唯一プレイヤーが打ち解けられる存在です

更に、「ラジオ」で放送される「現存する曲」の合間に、「架空の人物」によるMCが入ります。

よって、我々が『GTA』の世界を探索する車中では、「現実の曲」と「架空のMC」を交互に聞くことになります。

まさにこの瞬間こそ、「架空の人物」によってGTAの世界と、「現存する曲」によって自分の世界が導かれ、現実と架空の世界が明確に繋がった瞬間ではないでしょうか。

我々が曲とMCを交互に聞くうちに、次第に「現実」と「架空」の境界が曖昧になり、まるで催眠術のように「現実」から「GTAの架空」に招かれるのです。

 

 

GTA』シリーズの醍醐味は、プレイヤーの手によって架空の世界を探索できる自由と言われています。

しかし、自由度が高いということは、それだけプレイヤーに労力と責任を求めることになります。

一本道のゲームなら、ツアー旅行のようにゲーム側に従い続ければ楽しめますが、自由度が高いゲームは、プレイヤー自身の意志で歩かねば全て楽しめないからです。

自由度に比例して増えるプレイヤーの責任を、「ラジオ」という「ゲーム音楽」によって、プレイヤーとゲームの間に接点を作り、プレイヤーの自由度への負担を大きく軽減した点で、

GTA』シリーズの「ゲーム音楽」は、ただシーンを演出するに留まらない、ゲームの可能性を広げた名作だと思います。

 

 

 

 


ケース②: 『Call of Duty』シリーズ

 「肉声」によって戦場のリアリティを描く「ゲーム音楽

 

 

 


[CoD:WaW]-日本語字幕-Mission 4:Vendetta-Part 1 ...

 

 

 

 

Call of Duty』(以下COD)は、第二次世界大戦から現代戦を舞台にした、リアルで没入感溢れる戦争をテーマとしたファーストパーソンシューターFPS)で、1億本近く売られました。

本作でもやはりBGMは印象にあまり残っていません。新作にはBGMにも力をいれているようですが、爆発につぐ爆発、ムービーにつぐムービーで、結局BGMに聞き入る暇がありません。

むしろ、本作は「リアルな戦争ゲーム」を描くため、BGMよりも「肉声」を「ゲーム音楽」として積極的に取り入れていると思えます。

 

 

別に「肉声」に注目せずとも、グラフィックや演出で十分「リアルな戦争ゲーム」に仕上がっているのではないかと思う人もいるでしょう。

しかし、どんなにリアルな味方兵士が敵に撃たれ、苦しみ悶えていてるシーンであっても、その造形はテクスチャの塊にすぎません。

プレイヤーも1時間も遊べばテクスチャによる「リアルさ」が透けてしまい、「よく出来た戦場だな」と驚きこそすれ、「戦争は何て恐ろしいんだ」とまでは感情移入になれません。

そこで、技術的なリアルさに加えて、兵士や司令官による肉声を吹き込むことで、本作は「リアルな戦争」を描くことに成功しました。

ただ敵に撃たれ、苦しみ悶える姿に増して、真に苦しそうな声で「呻いている」と、もうプレイヤーは「よく出来た戦場だな」と達観することは出来ません。

確かに悶えている兵士は、ただのテクスチャです。しかし、その声は紛れも無く人間の声なのです。だからプレイヤーは味方の苦痛に同情し、敵を討とうと奮闘出来るのです。

この「呻き」こそ紛れも無い『COD』の「ゲーム音楽」なのだと私は思いました。

普段からプレイヤーと愚痴をこぼし、手榴弾で援護するときまで、全て優秀な声優が演技しています。

本作ではBGMをかき消す程の大声で、司令官や兵士が叫び、笑い、そして苦しむ彼らの姿は、「肉声」によってテクスチャに命を吹き込み、プレイヤーに戦争の恐怖を説得力付けるのです。

これこそBGMを超えた「ゲーム音楽」ではないでしょうか。

 

 

 


以上、BGMの代わりに「ゲーム音楽」に尽力した洋ゲーの例でした。

昨今「洋ゲー」と「和ゲー」を対比させる方も少なくない一方で、「洋ゲー」と「和ゲー」を比べるのは全くの無駄という方もいます。

そこで、私はむしろ、積極的に「洋ゲー」と「和ゲー」を対比させるべきだと思います。

文学や映画もまた、日本文化と海外文化の対比から得た技術は多々あります。もちろん逆も然りで、黒澤や川端に影響された海外の作家は少なくありません。

太平洋を隔てて文化を形成する以上、少なからずギャップが生まれるのは、必然ではないでしょうか。

だからこそ、今回NHKゲーム音楽特集でも、「洋ゲー」のセレクトが少なかったのは、「洋ゲー」のBGMに限って少なからず劣位があったことは否めません。

一方で、「洋ゲー」には、BGMでは表現できない自由度やリアルさを描くために、和ゲーにない優れた「ゲーム音楽」を作り続けました。

この祭りをきっかけに、「ゲーム音楽」に注目することで、また新たなゲームの価値に気づけたと思います。

 

 


 


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