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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

Kindleは買うべきでない?「本」のメリットとデメリット

 

 

 

Kindleなんていらない。電子書籍など全くのゴミ!

 …というのは恐らく誰でも言えるので、本稿では「Kindle」と比較した「本」について論じようと思う。

私にとってKindleの台頭は、「本の価値を貶める危険な状態」というより、むしろ「本」の真価に迫る素晴らしい機会だと思っている。

明治時代から生まれた「本」への教養主義は肥大化し、

現代ではTwitterで「××の○○読了。」とか、読んだだけの事実をステータスにする、オサレ読書家が増えるに至ってしまった。

一方で、Kindleという思いもよらぬ刺客は、我々オサレ読書家に「本」とは何か、原初に立ち返って考える機会を与えたのである。

では、原題に立ち返ろう。「Kindleなんていらない。本こそ読むべきだ。」

勿論、筆者はKindle/Fireを購入済みだ。

 

 

  1. 直感的操作ができない
  2. コスト的余裕がない
  3. 本そのもののコレクションが出来ない

 

 

 

 

 

 

1、直感的操作ができない

 

 

 

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普段から、どのようにして「本」を読むか、そのスタイルは読書家がそれぞれ持ちうるだろう。

しかし、それなりに読書をする人間なら、一度読んで気に入った本を二度三度読み返す、ということも多い。

或いは、目次を読んで、読みたい部分だけ抜粋するといった行為は必然的に行われる。

このように、二度目の読書では、「1ページずつ読む」以外に「目次だけ読む」「一部だけ読む」「ペラペラめくりながら高速で読む」等、様々な応用的な読書に取り組むことになる。

これは、大学生や社会人のようなビジネスや学業で必要とする人間には、確実にマスターしなければならない読書である。厚い参考書を、一々読み返す暇はないからだ。

こういった少し複雑な読書も、「本」なら直感的に取り組める。

まず「目次だけ読む」なら、パラパラっと最初の方のページにめくればいい。この間、およそ1秒で事足りる。

更に、「特定のページを再確認する」においても

目次や記憶を頼りに、読みたい部位が序盤か、中盤か、終盤かを思い出し、「だいたいこの辺」と、「本の厚みを頼りに」部位をパラパラっとめくればいい。

この、「本の厚みを頼りに」「適当な位置で」「パラパラっと」という点が全て直感的。手を無意識にひねるだけでできてしまう。

誰もが小学生の時に紙の辞書を引いたことがあるだろう。その時も、我々は紙の厚みを頼りに、知りたい語句のページを探していたはずだ。

もしKidleなら、これらの手順の間に、複数のリンクを移動し、その都度に短いながらも読み込み時間を挟むことになってしまう。

それは直感的操作にはほど遠い。こんな非直感的な操作では、わざわざ読み返すのが億劫になり、結果的に一度きりの貧しい読書となる。

ここからわかることは、「本」とは便利な道具でもあり、「本」という道具は我々の手や指に馴染むように作られていることだ。

逆に、電子書籍というのは、コンピューター側にとっては処理しやすいかもしれないが、液晶という障壁を隔てた操作である以上、人間側にとっては直感的に操作できないといえる。

 

 

 

 


2、趣味のついでに買えるような手軽さがない

 

 

 

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私は読書が好きだ。しかし、それは「本」の「手軽に買える価格」を評価してのことである。

だから、Kindleで最低16280円も払うのは、いささか高価すぎると思う。

いかに読書家といえど、読書で得た知識をアウトプットできるような、ほかの趣味を持っているはずだ。

例えば、私が本を読むとき、新聞も同時に購読することで、積極的に本で得た知識を応用しようと試みているし、

そこまでややこしいことをしなくても、単純に話題作りのためにグルメ雑誌やアウトドア系の雑誌を読んだりもする。これも立派な読書といえるだろう。

つまり、私が「本」を愛するのは、趣味のついでに購入できる、「手軽さ」を評価してのこと。

一度日帰り旅行に行けば1万円は使うのに対し、雑誌に1000円使えば、一層充実した旅行を楽しめるということだ。

仮に、雑誌が5000円もすれば、雑誌を買うよりは少しお金を貯めて二回旅行に行く事を選ぶだろう。

ところが、「手軽さ」を見事にスポイルするようなコストが、Kindleにはかかる。

仮に16000円もKindleにかけるなら、16冊の新書を買えば半年は読書に苦労しないだろう。

別にKindleが高価だから買えないという問題ではない。「本」の優れた点は「趣味に対する手軽さ」であり、その強みが活かせないのが問題だと思う。

もしKindleタブレットとして使用するので値段は相応だと言うのなら、単純にKindleを切ってタブレットとしての性能だけを追求すればいい。

少なくとも、16000円も払わずとも、ブックオフで100円払えば、一切のリスクなく読書を始められるのだから。

 

 

 

 

3、本そのものが努力の記録である

 

 

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こういっちゃなんだが、私はビブロフィリアだと思う。

ビブロフィリアとは、本の内容以上に、本のコレクションに価値を見出す人間のことだ。

私は何も、ただの本マニアだと言ってるのではない。「本」は数あるメディアの中でも、一層記憶に残るような媒体だからだ。

先ほど、本の手軽さが優れていると述べた。しかし価格は手軽であるものの、読む労力はとても手軽とはいえない。

読む本にもよるだろうが、ゲームや音楽といった他の文科系趣味の中でも、読書にたいする労力は半端ではないと思う。

単純に、1000円払って買った新書が、読み終わるのには4~5時間分の集中力が必要なわけで、1000円には不相応な疲労を伴うだろう。(その分、得る知識も多いが)

それだけ労力がかかるからこそ、一冊の本に対する愛情は深くなる。

読書を旅だと言い換えるなら、本は「旅についてきた写真やおみやげ」に当たる。

その写真を、そう簡単に電子化してもいいものだろうか。苦労して遂げた読書の、何かの記念を残すからこそ、更なる読書への足掛かりとなるのではないか。

ダイエットしかり、何かの目標を達成する上で、記録を残すことは大切である。

確かに、Kindleでも記録は残る。しかし、できる限り具体的で身近な記録が残れば、一層のモチベーション向上につながるはずだ。

そしてそれこそ、本棚に手に取れる形で残る、「本」という「努力の記録」ではなかろうか。

また逆に、「本」という「手に取れる目標」があるからこそ、積読せずに打倒しようと考えれるのではないか。

 

更に言えば、「本」はコレクションに耐えうる程に、意匠がこらされている。

中公新書の落ち着くグリーンの表紙、何十年と愛されてきた岩波文庫の伝統ある表紙、多くの小説で描かれた個性的なイラストの表紙。

ページ構成に至るまで、編集者の工夫が施されており、これらを捨ててしまうのは勿体無いと考えてしまう。

 

 

 

 

結論:

 


以上から、Kindleよりも「本」を優先すべきだと考えた。

本という媒体は道具としても便利であり、趣味と平行して購入出来る手軽さがあり、読書への労力に報いる記録としてのデザインもある。

逆に言えば、我々は普段盲目的に読書という行為を神聖視するばかりで、「本」とは何かという問いに答えることは少なかった。

Kindleというライバルを通して、「本」の魅力と読み方を新たに見出し、より豊かな読書生活を楽しむことも出来る。

そういう点で、Kindleの挑戦は実に意欲的であり、あえてKindleの魅力を引き出すというのもありだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オマケ:で、Kindleってどうなの

 

あくまで「本」の魅力を考察した上でKindleと比較したので、

せっかくだからKindleそのものも考察したい。

まずKindleの魅力は、液晶のおかげで暗闇でも読めるのは大きいと思う。

また、字の大きさが変更できる点も、バリアフリーな設計として評価したい。特に、高齢者の方には、増えた余暇を読書に費やしたいと考える人が多いからだ。

また、今後の展開として、SNS要素をプッシュするのもアリだと思う。

私がゲームを遊ぶ上で、「Steam」というダウンロードサイトを活用しているが、「Steam」では多くのゲーマーと互いの情報を共有することで、購買意欲をそそることに成功していた。

例えば、出先の新幹線で読書に勤しむついでに、他の読書仲間は何を読んでるのかなと確認したり、

セールを行う際には、次のセールで値引きしてほしい商品を消費者に投票させるとか、

もともと読書する層は、あまり同じ趣味の人間で集まる機会が少ないので、こういうオンライン媒体ならではの連携機能があると嬉しいんじゃないかな。

あと蛇足になるので本編に書かなかったが、「立ち読み」が出来るだけでも、本に大きな分があると思う。衝動買いを抑えるだけじゃなく、流行をサラッとつかめる。