ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

小島秀夫氏の問題発言とゲーム業界の闇

さる5日前、あの『Metal Gear Solid V』の開発における中心人物、小島秀夫氏の残したこの発言が物議を醸し出した。

 

 


Twitter / Kojima_Hideo: リハーサルでは言ったのに本番で言うのを忘れたが「PT」はイン ...

 

 

 

この声からは、「インディーズゲームは意図的に手を抜いた作品ではない。インディーズゲームに失礼な発言である」という反応が少なからずあり、軽く炎上状態に陥った。

紆余曲折の末、弁解があったものの、少なからず誤解が受け取られる表現だったとして、小島監督に一定の落ち度はあるのは確かだ。

しかし、それでも今回で炎上したのは、私にとって「悲劇的」であるし、少なからず今後のゲーム業界を危惧する事件でもあったので、

軽く私の見解を述べさせていただきたい。

 

「小島氏の発言と勇気を評価すべきだ」

 

 

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そもそも、小島氏の積極的な情報公開する姿勢を、我々ゲーマーは歓迎すべきである。

だからこそ、彼の落ち度を考慮しても、ラフな場であるTwitter上の発言に「失礼」と咎め、我々の「常識」を強要するのはあまり望ましくない。

何故、私がそこまで彼を擁護するのかというと、『FF13』事件から垣間見る、日本のゲーム業界の不透明さを危惧しているからだ。

そもそも、ファミコン時代からゲーム開発は、ブラックボックス化、情報の不透明さが甚だしい。日本においては尚更だ。

そして、弊害として、開発者とゲーマーの意思疎通が取れずに、ゲーマーのニーズに合わない時代錯誤なゲームがしばしば発売される。

ゲーマーもまた、ゲーム開発者の意図を汲まずに「クソゲー」連呼してしまうという、ゲーマーと開発者の「コミュニケーション」の不在による「事故」が起きる。

 

 

 

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例えば、FF13は優れた演出に、独特の世界観、群像劇の積極的導入など、革新的要素を多々含んでいたにも関わらず、

ゲーマー側の感想は、主にゲハブログやAmazonなどの「スラム街」に影響され、「一本道、ムービーばっか、はいクソゲー」という実も蓋もない、非生産的な批判が定説として浸透したのは周知の事実である。

私は何も「『FF13』は万人に遍く認められるべき神ゲー!」と言うのでなく、冷静な分析や評価以前に「炎上」によって評価が固定化される、ゲーマーの盲目さを許すべきでないという意図だ。

しかし、これは開発者側が、情報を出し惜しみした点も反省すべきだ。

少なからず『FF13』は前作から軌道修正したものであるし、奥深い戦闘も、ストーリーや登場人物の一体化が目的である。という意図を伝えなければ、ゲーマーは煩雑な戦闘としか思わないだろう。

つまり、発売前から発売後にかけて、「我々はこんなゲームを作る」「我々はこういう意図で○○を改良した」という、コンセンサスを取る必要があったのである。

故に、ゲーマー側も開発者側も、お互いを信頼できないから、『FF13』という和ゲーの威信をかけたプロジェクトは、失敗したのではないか。

 

 

 

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一方で、情報公開によって大成功を収めたのは、言わずもがなMineCraftだろう。

作者のNotchは、頻繁に改良版をBBSに公開し、ユーザーの反応の中から必要なものだけゲームのアイディアとして取り込んでいった。

結果的に、ユーザー側も彼の真摯な姿勢から、積極的にゲームを宣伝してくれたし、開発者側としても自分のアイディアを徐々に浸透させ、奇抜ながらも広く親しまれるゲームを完成させた。

さすがに、ビッグタイトルを『MineCraft』のように作るのは難しいが、少なくとも彼らの「コミュニケーション」を重視する姿勢を見習う必要があるだろう。

 

 

 

 

 

 

そもそも、開発者にとって自社の情報を公開するのは、大抵の場合はである。

なぜなら、「ブランド」に依存して販売する以上、その「ブランド」は既成の結果によってもたらされ、新作とは関係ないところで増幅するものだからだ。

電通の戦略十訓にも「きっかけを投じろ」と「捨てさせろ」がある。基本的に企業は顧客に「させる」だけで、顧客自らの手で「買わせ」「捨てさせ」るのである。

故に、あろうことか自社の商品の詳細を、Twitterで公開するなんてことは、『MGS』という看板を鑑みても「大サービス」と言う他ない。

これは紛れもなく、ゲームを「企業」としてでなく、「文化人」として作る人間だからこそ出来る芸当である。

だからこそ、私は今回のTwitter事件を通じて、小島氏がそこまで立ち入った情報をゲーマーに与え、コンセンサスを形成しようとする気概に驚いた。

 

 

 

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(文化とは議論の末に生まれるものである) 

 

 


Twitterとは奇妙な場所で、私はTwitterで炎上した事例はいくらでも知っているが、合理的な情報が拡散されて誰かの利となった例は知らない。

それだけ、Twitterとはリスクある場所であり、そこでゲームの情報を公開すれば、すかさずゲハブログが噛み付いてくることは目に見えている。

世界中を飛び回り、ゲーム業界で活躍し続けた小島氏が、そのリスクを知らないはずはない。

それでも彼は、あくまでTwitterでゲーマーとのコンセンサスを維持し、新作の魅力や落としどころを、我々に伝えてくれている。

 

彼の発言は、「失言とも解釈できる」危うさのある発言だっただろう。

しかし、我々があまりに指摘し続ければ、彼らはたちまち官僚や議員が愛用する、虚無な飾りだけの発言しか出来まい。

何も、ユーザーは彼の偉業に跪かねばならない。などと言うつもりはない。

ただ、彼ら開発者が情報公開するという、リスクある「提供」に殉ずるというなら、我々ゲーマーが「提供」できるのは、せいぜい「寛容さ」ではないだろうか。

昨今、ゲーム業界は収束しつつあり、THQ等、多くの企業が苦しんだ末に倒れている。

そうなれば、好きなゲームで遊べなくなるのは我々ゲーマーである。

だからこそ、ゲーマーと開発者は手を組み、互いにコンセンサスを築くことで、より良いゲームを生み出す努力をする必要があると、私は思う。

我々に寛容さがあると知れば、より多くのゲーム開発者たちが、我々に情報を与えてくれる環境が生まれるのではないだろうか。

 

論語には「子貢問友、子曰、忠告而以善道之、無自辱焉友人に善となるよう忠告してあげなさい。ただし、無理強いする者は、自分を辱めることになります。)という一説がある。*1

 

開発者側だからこそ、わからないこともあるだろう。ゲーマーだからこそ、教えられることもあるだろう。いずれにせよ、違う立場を敬うことが、このSNSの時代には必要だと思うのである。

 

 

 

 


 

*1:論語』 「顔淵」 第十二 二十三