ゲーマー日日新聞

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デュフィ展の感想 蒼が咲き乱れる混沌の時代

 

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軽くデュフィの時代と潮流を説明しよう。

彼はフランスのノルマンディーで生まれ、フランスを中心に1900~1950年辺りまで活躍した画家で、野獣派(意味深)の一員としても知られる。

言わずもがな、この時代はフランスにとって激動の時代であり、苦悩の時代でもある。

二度の世界大戦で多くの国民が斃れ、資本主義や民主主義といった先進的政策はソ連・ナチスによって否定され、技術的進歩が衰えることで豊かさの定義を失う。そんな時代だからだ。

しかしながら、デュフィを初めとする多くの画家は、あくまで「自国の政情や、個人の容態を絵に反映させるべきでない」として、「生きる喜び」を描き出すことに腐心した。

この時代の絵画が、ポスト印象派やシュルレアリスムといった「落書きのようにボヤっとした絵」が多いのは、過酷な現実をあるがまま描くことが憚られたのも、少なからずあったのだと思う。



彼の作風は主に「ポスト印象派」に分類され、デュフィの他にゴッホやゴーキャンなどが有名な、自由な色彩が重んじられる時代である。

この前の時代は「印象派」、この後の時代は「シュルレアリスム」と一般的に考えられており、前者ではターナーやモネ、後者ではベラスケス、ダリ、ピカソ等が挙げられる。

基本的には「印象派」→「ポスト印象派」(今回のデュフィの時代)→「シュルレアリスム」へと時代が以降し、

徐々に「子供の落書き」のような、抽象的かつ非現実的な絵画が持て囃されるようになっていく。皆が「芸術」と聞いて想像するのは、恐らくこの時代だろう。



ところで、ピカソの絵を見て、「こんぐらいなら俺でも描けるわwww」と思ったことはないだろうか。

余談だが、実は彼らの最初期の作品は、現実の模倣に徹する「アカデミックな絵」であり、

彼らの前衛的な作品においても、「アカデミックな絵」の基本はしっかりと踏襲された、実に論理的構造で構成されていたりするのである。

さて、うんちく置いといていて、早速作品の批評に移りたいと思う。

 

 

 

 

 

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『サン=タドレスの桟橋』 ラウル・デュフィ 1902年



先ほど述べた、「ピカソやゴッホでも、彼らの最初期の作品は、現実の模倣に徹する「アカデミックな絵」である」という、典型的な作品である。

当時流行の画家、ブーダンを思わせる、、上質かつ模倣に徹した作品であり、彼が晩年描き上げ続けた前衛的作品からは想像も出来ない慎重かつ精巧な作品だ。

しかしながら、既にこの作品には、彼の生涯のテーマである「生きる喜び」を見出そうとする努力が根底に感じさせるのも事実であり、既に彼の才気を伺わせるとも言える。

「ローマは一日にしてならず」と言うように、どんな画家も、模倣に徹した絵を何度も描くことから始まる。

私自身もこうしてくだらないブログを書いているが、執筆においても模倣と反復練習の連続によって、初めて自己の作品を見出せるものなのだと、本作品を通じて痛感した。



 

 

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『ニースの窓辺』 ラウル・デュフィ 1923年

眼下に広がるリゾートを窓辺から眺めている、デュフィ中期の作品。

デュフィの本領たる色彩と輪郭の溶け合う様が、まざまざと現れる作品が増えてくる頃の作品。



デュフィは多くの色彩を忌憚なく作品に取り入れたが、その中でも「あお」を積極的に取り入れたのが特徴的だ。

彼に言わせれば「青はどの場面でも本質を保ち続ける」のだそうで、生涯「あお=Azur(アジュール)」の表現の拡張を求め続けていた。

その最たる例が本作であり、本作には「室内」と「室外」の二重の空間が広がり、その両方で「あお」が使われている。

世界に広がる「あお」は濃厚かつ豊潤さを司る美を発揮し、室内に広がる「あお」は平穏と鎮護を彩る美を魅了する。なんて陳腐な言い回しも思いつく一方で、

ターナーにあるような風景画たちが「あお」に大自然の怒り「Wrath」或いは雄大さ「Majestic」を見出す一方で、

あくまでデュフィは安らぎ「Tranquil」、慈しみ「Affection」を強調するのが印象的だ。

海も空も精神も、全てが世界に溶けた結果、「あお」に姿を変えて、有史以来人類を魅了し続けた、自然の久遠の努力を、デュフィは見逃そうとしなかったのである。

 

 

 

 

 

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『電気の精』 ラウル・デュフィ 1930年

パリ万博の電気館に寄贈されるため描かれた、デュフィ最大の傑作。

左半分には近代の風景を、右半分には中世の風景を描き、底部には人類に貢献した科学者たちを描いている。



私たち現代人は、「科学」であるとか「社会」のような強大で近代的な存在に、しばしば否定的となる。

「コンクリートジャングル」なんて言葉がその典型で、日本でも明治時代の風情ある情景と比較して、現代の高層ビル群の景観を否定する声は多い。

中世から芸術を重んじ続けたフランス人にとっては、尚更その声は強かったのだろう。

あの「エッフェル塔」でさえ、建設当初は景観を破壊するとして、パリ市民や芸術家による反対の声が強かったようだ。



しかし、デュフィはその声に、この一枚の絵画を差し向けることで、無言の反抗を試みた。

この絵画では、古代ギリシャの哲人やその牧歌的な情景と共に、移りゆく近代への歩みが、彼の本質である「あお」を中心に描かれている。

哲人たちと比べると恐ろしく無機質なタービンは、放蕩地味た色彩と、鬼気迫る構図により、完全に「美」と一体化し、他の牧歌的風景と融和している。

現代ではすっかり、タービンや工場に代表される近代的構図を、ディストピア的、退廃的風景に定式化されたのは、『ブレードランナー』的バックグラウンドから大量生産された、現代メディア・アートの例を持ち出すまでもない。

しかし、デュフィはそのフラジャイルで安易なコンセプトに対し、1937年の時点で既に致命的な楔を、このパリ万博で発表された10x60mの「美」によって打ち込んでいたのである。

 

 

 

 

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『ポール・ヴィヤール博士の家族』 ラウル・デュフィ 1927-33頃



デュフィの作品のなかには、かなりすばやいタッチで描かれた作品も多い。この作品も、その一つである。

「まるで下書きのようだ」と思われそうな絵だが、むしろすばやいタッチでながら、このような精巧な作品に仕上げることは、それはそれで難しい。

その上、絵の中の情報量は少ない点も、それだけ「描くべき」情報を厳選しているからとも言える。



ではどうして、彼はすばやいタッチにこだわったのか。

その答えは本作品の中に溢れている。

彼は、写真のフィルムには決して映らない、ほんの一瞬ばかりの「はっ」とした時に、人間が観る憧憬を描こうとしたためである。

実は、ここで描かれたポールヴィヤール博士と、デュフィは生涯付き合い続けた親友であり、

その長い付き合いの中で、様々な博士の、いや親友の表情を、デュフィは脳裏に焼き付けていたはずである。

その友情のなかにある一瞬、一瞬が積み重なった叙景、その集大成こそがこの作品ではないだろうか。



一家団欒。そこで博士は自分の生きがいを見出したのだろう。この絵からは、その一瞬ばかりだが、家族を護るプロレタリアートの誇りを感じる。

同時に、デュフィが本質だと確信した「あお」によって、夫婦の色彩は融け合い、娘は同時に「あか」によって孤高ながらも、新たな世代を担う力強さと持っている。

デュフィの作品ではしばしば「あお」と「あか」が対峙する。

これは余談だが、「あお」は日本語の母音の最初と最後の語で結ぶ言葉で、「あか」は母音と子音の最初の音を繋ぐ言葉である。

この一家団欒で描かれる色彩の対比に、私はその「あお」と「あか」の対比を思わずにはいられなかった。

本作は、「色彩の魔術師」とまで呼ばれた画家の、数十年の技法と友情が刻まれた、傑作の一つである。

この友情を惜しみなく芸術に昇華させようという試みこそ、アカデミー一筋に生きる写実主義の画家とは違う信念なのだろう。

 

 

 

 

 






総評

デュフィの作品にはどれも人間性が現れている。

しかし、それは単に才能によるものでない。デュフィは意図的に、合理的に、狡猾に、彼が思う人間性を、自身の作品に忍ばせた。

特に『電気の精』で彼の信念を感じた時、否定された近代化を弁護する作品を見た時、私は彼の狡猾さを確信した。

彼は生涯にわたって「人の喜び」を描き続けた。

しかし、「人の喜び」とは、単に安楽に生きるのでは決して得られない、痛みを知る者の強い決意と意志があって、初めて表現できる世界であり、

この微睡むような色彩も、恐らくその鋭い狡猾さと、強い意志によるものなのだと、私は感銘を受けた。

人間性を表現する美術家は、それ以上の「痛み」を知るものだからこそ、「優しさ」の偉大さを知るのである。

少なくとも、彼が生きた時代に起きた二度の世界大戦という惨劇は、我々の想像を絶する「痛み」だったに違いない。












以上、デュフィの作品四点における拙評でした。

9月一杯まであべのハルカスに、10月から12月にかけて愛知県美術館でデュフィ展は継続します。

ぜひ、暇な時にでも覗いてみてください。僕はメッチャ感動しました(>_<)