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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

映画『グレートビューティー』 感想 ローマの美は失われたのか?

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『グレート・ビューティー/追憶のローマ』を観てきました。

私が監督のパオロ・ソレンティーノのファンだったので友人と観たのですが、期待を裏切らないクオリティでしたね。

タイトルからして、いかにも地味なヨーロッパ映画を想像してたのですが、そこはパオロ監督。

モダンな手法に、ジョークも入れ、オシャレな雰囲気も備え、見事にわかりやすくストーリーを誘導していまし、「退屈そう」と考える方にもおすすめできます。


また、前情報でフェリーニの『甘い生活』のオマージュと聞いていたのですが、雰囲気が似てるだけで、別物のオリジナルな映画だったことを、一応弁解しておきます。

では早速、あらすじをなぞってみましょう。

 

 

 


ローマを忘れたローマ人

 

 

 

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「旅は想像力をもたらすが、他には徒労と時間のみ。人生は生から死への旅である」こんなセリーヌの一節の引用と共に、

静謐な佇まいの石造の教会と、それを映すカメラに差し込む眩い後光、背景で響く魂を鎮める聖歌隊の曲によって、本作の幕が上がります。

その壮大な景色は、正に「我々の想像するローマ」そのものです。世界でも随一の観光地であり、「俗物」を一切感じさせない、「神聖」な空気が立ち込めている。

しかし、そこに訪れる人間はアジア人の観光客ばかりで、イタリア人は見られません。



すると場面は一転し、ローマ市内のクラブハウスに移ります。

モダンなファーニチャーに、サイケなカクテル、ドラムンベースのテクノで彩られた空間に、ドレスコードに身を包んだセレブたちが饗宴を楽しんでいます。

そう、ローマ人たちは、先ほどの「荘厳なローマ」よりも、この「俗物なローマ」を選んでいたのです。

パーティの中には俳優や監督も参加し、その中のスタッフが零す言葉が印象的です。

「俳優の役は二つある。一つは教皇、もう一つは出獄したヤク中。」



その饗宴の中で、美女に囲まれる一人のイケメンな老人に、ピントが絞られます。

彼こそ本作の主人公、ジェップです。

ジェップは成功した作家+ジャーナリストであり、この成功者のパーティの中でも、特に厚い信頼を得ています。

我々観客は拍子抜けでしょう。主人公は最初から成功を治めた、リア充中のリア充なのですから。

しかし、ジェップは唐突に心情を語ります。

「私は65年、人のために生きてきた。残された時間は少ない。そろそろ自分のために生きなければならない」


 

 

 


「俗物の王」の葛藤

 

 

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ジェップはリア充です。金も豪邸も友人もいて、他人から見れば、これ以上ない成功者。

しかし、彼は「人のために生きてきた」と嘆息します。これはどういうことでしょうか?



まず一つは、ジャーナリストとして生きてきたことでしょう。

彼は元々作家であって、自分の創作物を作っていたのですが、結果的に、ジャーナリストとして作る代わりに伝えることしか出来なくなったためです。


そして二つは、セレブとして生きてきたことでしょう。

彼はリア充として社交性に長けている一方で、彼は繊細だったために、自分が言いたいことを差し置いてでも、友人が求める偽物の言葉をくれてやる社交性を持ちます。

ここから太宰治の『人間失格』を思い出す人もいるでしょう。自意識が人一倍強い人間だからこそ、失望されまいと必死で取り繕う結果、友人に恵まれても、本当の自分を知る友人は少ないのです。



彼は、デヴェル川の畔を一人で歩きながら、自嘲気味にこう語ります。

「ついに、私は俗物の王になった」


 

 

 


ストリップクラブの邂逅

 

 

 

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「私に美しいものは合わないわ」




ジェップは作家のプルーストセリーヌを愛するだけあって、「神聖」なものに、孤独なものに強い憧れを抱いています。

しかし、彼は孤独になりきれません。年をとることへの不安もあってか、益々友情に依存していくばかりです。

そんな彼が、ストリップクラブを経営する友人の場所へ遊びに行きます。その友人にはラモーナという一人娘がいるのですが、なんと彼女はストリッパーとなってクラブで働いているのです。

もちろん、友人はそのことを嘆きますが、ジェップは逆に興味をいだきます。



ジェップは自身を「俗物の王」と呼びます。これは同時に、自分は「俗物」の中では頂点に立っている、というプライドでもある。

その「俗物」ヒエラルキーにおいて頂点に立つ自分と、最も「俗物」に近い世界に身を寄せるラモーナ。その対比に、彼は惹かれていきます。

自慢の口説きでラモーナを自室へ誘うジェップ。しかし、彼も彼女も、肉体関係を結びません。俗物の王と俗物の達人に、並みの体裁は不要だったのです。

ここのジェップの矛盾は見事です。「神聖」に憧れるジェップと、「俗物」で安心するジェップ。その間に存在するのが、ラモーナという女性だったのでしょう。

ジェップはラモーナと一緒に、ローマのセレブたちの退廃ぶりに、時に懐疑、時に驚きを伴いながらも、ラモーナとの幸福なひとときを過ごします。




涙を流す権利と、涙を抑える義務

 

 

 

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ジェップがラモーナと出会う時期に前に、大きなニュースが飛び込んできます。

それは、自分の初恋の相手の訃報でした。

既に彼女の夫がジェップの家を訪ね、「日記にはジェップのことばかりで、夫の私のことは何も書いていなかった」と嘆いています。

ジェップは持ち前の社交性で取り繕い、「私はフラれたんだ。君のほうがよほど想われていた」と夫をなだめ、自分がもう彼女への恋心を持っていないことを伝えます。

しかし、ジェップは初恋の相手を未だに想っていたのです。

彼はベットの天井に、彼女との思い出が詰まった海を描き、「世俗」からのダストシュートのように逃避し続けていました。

それでも、彼は彼女の訃報を受けて感情を露わにできなかった。「俗物の王」として、友人を配慮することを選んだのです。



そして、ストリップクラブでラモーナとの出会いを経た後、彼女と共に旧知の友人の葬儀に出席します。彼ほどの年齢となれば、友人が亡くなることは珍しいことではないのでしょう。


彼のセレブな友人も、その老いへの恐怖を赤裸々に語っています。ジェップの友人までもが、命の終焉を目の前にして、どう生きるべきか再考を迫られているのは、中々にリアルです。

ジェップ自身、初恋の相手を亡くし、もはや葬儀に慣れてしまったと自分で思っている。

彼はラモーナにこう語ります。

「葬儀に出る時は泣いてはいけない。それは遺族の特権で、雰囲気を壊してしまう。」



彼はかけがえのない友人を失った葬儀であっても、あくまで彼の「俗物の王」として、空気を読んで参加せねばならないと考えていました。

しかし、実際に出席してみると、思いもよらない出来事が起こります。

途中までは自己のポリシー通り、自分の哀しみより遺族の哀しみを優先していたのですが、最後に友人の棺を担ぎあげると、突然涙が溢れ出てくるのです。

「俗物の王」が退位した瞬間でした。

彼は人目をはばかることを忘れ、滂沱として涙を流します。彼は空気を読むことよりも、自分の哀しみを優先したのです。


 


聖女との出会い

 

 

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「何故草の根を食べるのか?根は大事だからですよ」




彼は友人のつてで、アフリカで活動していた聖女(マザーテレサを想わせますね)が、ローマに立ち寄るパーティに参加します。

様々な経験を経て、遂に結末が近づいてきたのです。

そのパーティでは、枢機卿やセレブといった一流の人間ばかりが集まり、各々が楽しげに語っています。

しかし、もうジェップは「俗物の王」ではありません。彼が話したいのは、どんな金持ちよりも、神に仕えた聖女、「神聖の王」である彼女なのです。

ジェップはすかさず尋ねます。

「聖女の口から直接話が聞きたい。」

すると聖女はこう答えます。

「貧しさは語るものでなく、生きることそのものです。」



聖女との出会いを受け、彼は「語る」ことでなく、「生きる」こととして、ジェップは作家としての自分を徐々に取戻し始めます。

「俗物の王」としての彼には、最後の核シェルターがありました。それが初恋の記憶です。

そこでは愛想笑いすべき友人も、自分を求める恋人もいない。純粋な人間関係だけが存在する、過去の記憶。

しかし、彼は遂に初恋の記憶を辿り、「善き日々」として保存しておいた景色を、「現在」として乗り込みます。

そこで彼は悟ります。

 


「私はグレートビューティーを求めてさまよっていた。しかし、実際は美しさも醜い人間性も、全ては混ざり合い、恥辱としてこの世界に溶けていたのだ。


 そして、私はそれらと向き合っていなかった。さぁ、小説を書こう。何もかもがトリックだったのだ。」

 


世界には美しいものと醜いものが混在しながら、我々はどうしても醜いものばかり見てしまう。

しかし、その下には常に「美」は眠っており、「世俗」にまみれた世界にこそ、「神聖」が存在している。

これは結局、だまし絵のようなものだった。人間という不完全な理性に苦しめられる動物故の、トリックだったのだと。

そして、彼はオープニングで盛大な愛想笑いを見せたように、エンディングでは真に至福な笑みを一人ぼっちで浮かべるのです。


 

 


総評

 

 

 

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本作は数々の賞にふさわしい、素晴らしい作品でした。

フェリーニのシニカルな手法を匂わせながら、最後で、むしろ俗世を肯定し、そこから「美」を見出す結末という、単なる社会風刺を一蹴する脚本。

それだけでなく、音楽も絶妙です。「俗世」パートではクールなテクノをかけつつ、「神聖」パートでは有無を言わさぬ重厚なテーマでローマを彩ります。

演技も素晴らしかった。人物たちが乱痴気騒ぎの合間に見せる、老いへの不安。主人公の哀愁ただよう愛想笑いと、俗物の王たる品格を持たせる強気の表情。

構図も素晴らしい。人生の美と諸行無常をローマになぞらえる作り、カクテルパーティの隣に佇むコロッセオ(ローマ衆愚政治の象徴ですよね)。

闇夜に光る街の灯と、太陽の眩い光を積極的に取り入れるカメラワーク。徹底的に「ローマ」をテーマにする必然性を押し出します。



単なるヨーロッパ映画の伝統に依存するでなく、分かりづらい抽象的なテーマでナルシズムに傾倒するでない。実に丁寧な点も、好感が持てます。

特に、友人の葬儀の際に、ジェップがポリシーに反して涙してしまうシーンなんかは、普通に泣けましたね。

誰でもあるでしょうが、葬式や結婚式の時って、あんまでしゃばったら失礼だし、逆に自分が身内の時は、全然知らない連中が泣いたり笑ったりしてるのはちょっと不快だし。

ああいう時、「試されている」と感じる時があるんです。自分の感情を重視するのか、自分の体裁を重視するのか。

私はまだ若いですが、65歳のジェップなら、体裁を重視するのも当然でしょう。だからこそ、「感情」に神聖さを見出したという下りは、グッときました。

総じて、ローマの景色が積極的に取り入れているのも素晴らしい。ジェップが、ローマの史跡や芸術品を見て回るシーケンスが、本作の随所に挟まれてるんですが、

すごい共感できました。旅行や芸術観賞って「対話」なんですよね。言葉では伝わらないものを必死で聞こうとする余り、作者と話してるはずが、自分自身と向き合っていたり。

とにかく徹頭徹尾、よく出来た映画でした。わずか数千円でローマ紀行できる映画と考えれば、観る価値はあると思います。