ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

京都、ホイッスラー展の感想: 美が支配する独裁国家

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「ホイッスラー展 ジャポニズムの巨匠、ついに日本へ」に友達連れて行ってきました。

いやー、どの絵も綺麗で、すごい感動したんで、ちょっと感想書こうと思います。



ところで、僕らゲーマーは普段からゲームを遊んでますが、もしゲームを「鑑賞する」なんて表現すると、ちょっと仰々しいと思われる。

でも、私はゲームこそ「鑑賞する」という言葉が当てはまると思うんですね。

何故なら、ゲームには「鑑賞する」ことを前提として、チュートリアルとか簡単な操作とか、様々な「おもてなし」がゲームのメカニズムに加えられているから。

それだけ、「ゲームを遊ぶ」ことと、「鑑賞する」ことというのは、その仰々しさに比較して、実は多いに関係ある、むしろゲームのメカニズムとして「観賞」という行為が前提にある。

そんなわけで、この芸術観賞の記事と、「ゲーマー日日新聞」は決して無関係ではなく、従って筆者の自己満足ではないことを、言い訳しておきます。

 


ホイッスラーという人物

 

 

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(《灰色のアレンジメント:自画像》(1872年))


ホイッスラーという人物について説明しておこう。

彼は1834年にアメリカで生まれ「地図製作」に携わるが、画家としては人生の大半をフランスとイギリスで過ごした。当時のアメリカにはまだ芸術家は少なかったためである。(第二次大戦後に変化が訪れますが)

当時、印象派という画風が流行していた。ターナーやモネ、ルノワールなどが有名だろう。細かなタッチに囚われず、むしろ色彩による一瞬を描くような作品のことである。

しかし、ホイッスラーは彼ら以上に自由を求めた。「芸術にはメッセージ性を極力排除せねばならない」という過激的とも言える思想を抱いていたほどである。

彼の思想は、印象派と違えた「耽美主義」とも呼ばれ、美という捉えどころのない理想を追い求め続ける旅人として、生涯絵を描き続けた。

そして最終的に出会ったのは、東洋文化だ。西欧文化と比べるとあまりにかけ離れた文化は、彼の過激性を更に加速させ、そして世紀の傑作「ノクターン」を完成させた。



《灰色と黒のアレンジメント No.2: トーマス・カーライルの肖像》 1872年

 

 

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当時、本作品は芸術界に波紋を呼んだと言われている。

しかし、一見タッチや輪郭は、当時流行していた印象派と似ているし、この絵のどこがそんなに異端なのか、正直わからないという人も多いのでは?

しかし全体をご覧頂きたい。

実はこれ、よく見ると、「真横から」人間を描いた作品なのである。それも、「全身を真横から」描いた作品。

モデルとなったトーマス・カーライルスコットランドの哲学者兼歴史家で、当時ホイッスラーがモデルになることを頼み込んで、ようやく描けた作品だという。

全体の色使いは黒々しく、更にわずかに見える「横顔」には賢者の苦労が伺える表情であり、学者の膨大な知識故に、世間と折り合いをつけられない様子を思わせる。

しかし、ここで見える「全身像」が、つまり、まっすぐに伸ばした背筋に、揺るぎない両足、ただ静かに組まれた両手といった肉体が、彼の学者としての力強い精神を表現し、我々の安い同情を打ち消しているのだ。

しばしば「賢くなると辛い思いをする」という人もいるが、それは誤解であると警告するように、本作における強靭な漆黒のシークレットは、その誤解を一蹴する。



《黒のアレンジメント No.3: スペイン王フェリペ2世に扮したサー・ヘンリー・アーヴィング》 1876年

 

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このタイトルに、思わず「おお!」と反応した歴史ファンもいるのではないだろうか。そう、フェリペ2世は「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたスペイン全盛期の王で、フィリピンの国名の由来でもある。

だがタイトルを注意深く読んで欲しい。「フェリペ2世に扮した…」とある。実は、このモデルは英国の俳優で、フェリペ2世というのは役である。

これは面白い発想だ。何故なら、当時の流行だった印象派は、王や貴族を描く既存の画家に反対し、市民や自然を描くことに喜びを見出したからである。

そこで、ホイッスラーは少しひねくれた発想を考えた。つまり、印象派ほど質素でも、既存の画家ほど権威的でもない、「王を演じる市民を描く」という第三の道を選んだのだ。

更に、構図は伝統的なバロック派を思わせながらも、色彩は印象派の厚塗りというのも面白い。

こういう派手な貴族服は、古きバロック派の間でよく見られる構図であり、彼らは服の繊維の一つ一つを描く細かさで、美を競いあったからだ。(だから、バロック風の構図に対し、現代的に厚く塗られたドレスの違和感がすごい)

 

この温故知新は上手く活きている。

何故なら、印象派のように装飾品は黒に厚く塗り潰されても、バロック的な凛々しい姿勢と柔和な表情が一層際立つ彼の躰には、正に「役者としての誇り」を感じさせるからだ。

バロック派の参照:ヴァン・ダイク《マリー=ルイーズ・デ・タシスの肖像》(1630年))

 

 

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ブルターニュの海岸(ひとり潮汐に)》 1861年
《肌色と緑色の黄昏:バルパライソ》 1866年

 

 

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ブルターニュ(フランス)

バルパライソ(チリ)

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せっかくなので、次は比較を交えて作品を観賞してみよう。

実は二つの作品は同じ作者が描いたもので、それもたった5年の間で描かれたものである。

にも関わらず、この作品の相対的な表現はどうしたことか。

まず舞台において、片や産業革命期のフランス、片や植民地時代のチリ。

次に色使いにおいて、片や輪郭を強調する厚塗り、片や色彩を強調する薄塗り。

以上から、彼がただ個性的な思想を抱いていたわけでなく、広い視野、強い関心、充実した教養、鍛えられた技工を持ちながらにして、勤勉かつ打算的なアーティストだったことは容易に想像がつく。

彼に限らず、改革者とは、時に学者並の教養と寛容さを持って大成するということを、わずかに衒学的な動機も含めつつ、訴えるかのように彼は二つの作品で表現しているようだ。

更に言えば、《ブルターニュ》における剛健な岩場から望む煌めく海には、憧憬、待望、そしてわずかな諦観といった、届かぬ世界に対する願望を思わせる。

対して、《バルパライソ》における一瞬の黄昏には、平穏、蕭索、そして海との一体化を思わせるような、沈みゆく世界に対する慈悲を思わせるのだ。

実は、《ブルターニュ》と《バルパライソ》の間こそ彼の作品における最大の転機であり、この辺りからジャポニズムに傾倒していく、そのきっかけを両作から伺う事ができる。


 


《白のシンフォニー No.2: 小さなホワイトガール》 1864年

 

 

 

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ホイッスラーと言えば、東洋芸術を大々的に取り入れた画家として有名であり、

その東洋芸術、ジャポニズムで最も有名な作品の一つが、この純白のドレスを身にまとい、儚げに鏡を覗きこむ本作だ。

まずパッと見ただけでも、彼の才能の非凡さを伺える。柔らかな質感のドレスに、うちわ、白磁、梅の花という目立ち過ぎないオリエンタルなオブジェクト。


更に言えば、この構図どこかで見たことはないだろうか? そう、日本史でも頻出する化政文化の浮世絵師、鳥居清長の好む構図である。

彼の作品を含めた日本の画法は西洋に衝撃を与えた。まず、西洋芸術のイコンを思わせる平面的な下地に、更に平面を強調するかのような水平と垂直線の多用。

一方で、モデルの視線は交差するように何か別物に向けられ、これが自然な日常を描いたものであると同時に、視線だけで奥行きを構築している。

本作で用いられるジャポニズムは、純粋に日本画の構図、つまり技法を受け入れることで、文字通り西洋芸術と日本芸術の融合を完成させたのだ。



しかし、本作のジャポニズムは単に影響されただけではない。むしろホイッスラーの銃士として自分に仕えさせている点が面白い。

本作の磁器や団扇をご覧頂きたい。少ない色で表され、その材質に合わせた題材から、ギリシア芸術の幾何学様式を思わせる美しいジャポニズム、また中国のシノワズリだが、

更に本作を注意深く観察すると、磁器は光沢を放ち立体的に見えるし、団扇は持ち方故に絵が反転していることから、明らかに独立したオブジェクトとして描かれている。

つまり、これら東洋芸術は「芸術の中の芸術」として、西洋芸術の本作を一層印象づけているのだ。

「存在理由が存在のみの絵」を描くという、藝術からメッセージ性を除外する耽美主義を追い求めたホイッスラーならではの、「メタフィクション」とも取れる粋な構図と言えよう。

(類似した作品として、ファン・エイクの《アルノルフィーニの夫婦像》(1434年)が挙げられる)


(鳥居清長の参照:《美南見十二候 六月 品川の夏(座敷の遊興)》1784年)

女性の視線がそれぞれ交差し、一人の女性が海辺に向けられている。

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ノクターン:青と金色ーオールド・バターシー・ブリッジ》 1872年

 

 

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個人的に、本展における最高傑作である。

真に息を呑む作品、それが本作であり、何が何でも作品そのものを見て欲しい次第である。

正直、これに限らず《ノクターン》シリーズは本当にすごい。同じ色、無形の世界、重なる影、どこもそんなに珍しいものでないのに、引きずり込まれそうな魅力がある。

何と呼べばいいのか。色彩の世界というにはあまりに陳腐だ。そう、むしろ色彩に支配された世界と呼ぶべきだ。

この絵を観た瞬間、私は色彩の世界に引きずり込まれ、立処に溶解し、私自身さえもが声のない色彩へと霧散するような感覚に囚われた。

私は色彩の中に壅塞され、色彩が私に、いやこのロンドンの世界に襲いかかり、王として君臨する。

この完璧な色彩の世界では、絵の中にいる住人の影のように、何人たりとも意志を見せることも、精神を独立することも許されない。

いずれ夢と現の区別は立ち消え、そもそも現実の世界こそが色彩に支配されており、夢幻の世界は久遠に続くのだと説得するような、「耽美への過激なメッセージ」に我々は説得され、屈服し、従属するのだ。



ホイッスラーは友人にこんな書簡を送ったそうだ。

 

歌川広重の作品は素晴らしい。西欧人は対比を好むが、日本人はくり返しを好む。我々は彼らを見習うべきだ」


果たして彼は日本語を理解出来ずとも、日本の精神を理解していたのだろうか?

ここでホイッスラーが尊敬したという歌川広重の辞世の句を引用したい。

「東路へ筆をのこして 旅のそら 西のみ国の 名ところを見舞」
(現世に絵描きの職を残しても、あの世では名所を見て回りたいものだ)


これは弟子の作ではないかという説もあるが、それでもこの詩の美しさが損なわれることはないだろう。

少なくとも、ホイッスラーの憧憬は確かにジャポニズムにあったことは、「一つの短歌」から見ても明らかだ。




総論




端的に言って、今回の展覧会は「当たり」だ。印象派の求める解放と、写実派の求める真意の、二つの臨界点をホイッスラーの作品から望めるためである。

彼の作品は苦難の連続だ。印象派が「やり尽くした」事に対し、絶えず様々な技巧とモチーフを駆使し挑戦する。

それは時に、突飛な構図であったり、メタな題材であったり、果ては東洋藝術であったり、印象派の限界を追求する耽美という、ある種の正統派的な作品を鑑賞する事ができた。

だからこそ、シュルレアリスムに代表される、ピカソデュフィのような、もはや現実世界の形象を放棄した藝術にはない、「限られた世界で追求する美」が彼の作品には詰まっており、

ああいった「モダンアート」のような作品に慣れない方も、安心して楽しめるはずだ。

結局、近代から現代へ移り変わる、美の転換にこそ、本展における最大の見どころなのだと思う。