ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

なぜ人はゲームにハマるのか 「船×ステルス」MGS、Hitmanより

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「ステルスゲームの魅力とは何か」という議題において、とても興味深いオピニオンがあったので翻訳しました。

以下は『PC GAMER』に連載されるコラム「Why I Love」から引用しています。

 


Why I Love: Stealth on ships - PC Gamer

 

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「Why I love: Stealth on Ships」

-Phil Savage

 

特別に選んでるわけでもないが、私は船上のステージが好きだ。

特に、一本道で敵を倒しまくるゲームよりも、プレイヤー次第で色んな攻略法があるステルスゲームにおいて、船上というステージの魅力は増す。

言うならば、災害モノのパニック映画において、船のデッキにあるドアから出た瞬間に、唐突に襲い来る高波を見て、主人公がうなだれるような、そういう隔離された世界、それが私の定義する「船上」だ。

これをゲーム的に言い換えるなら、「船上」をあえてゲームに用いるのは、プレイヤーの世界を外界から隔離する目的のためだ。

つまり、プレイヤーにとっても敵兵にとっても、小さく、窮屈で、逃げ場も援護も期待できない、閉所恐怖症になりそうな空間こそ、「船上」における真髄と言えよう。
 

 

『Deus Ex: Human Revolution』のDLC、『Missing Link』は、正に私が求むる船上マップの一つだった。

ゲームのスタイリッシュなSFの世界を基調にした、巨大な輸送船にこそ、この機能的デザインが施されている。

迷子になりそうなオフィスに、広大な市街地といい、『Deus Ex: Human Revolution』は独自のSF的デザインを、環境に適応させていた。

一方で、船はどの世界でも船である。細く長い回廊が続いていて、無機質な壁に包まれており、

暑く重苦しいドアが行く手を塞いでいて、プレイヤーは物質的空間とリアルに支配されるのだ。

このDLCにおける「船上」は、本編における上海やデトロイトの広大な市街地とは、真逆のデザインと言えよう。



また、初代『Deus Ex』や『Splinter Cell: Chaos Theory』においても、巧妙なステージが絶え間なく組み合わさることで、一つ一つに見どころのある「船上」ステージに仕上がっていた。

 

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また一方で、偶然にも私が現在書いている『Alien: Isolation』のレビューに挙げた不満こそ、この「船上」のステルスゲームが持ち合わせる、魅力の欠如にあるのだ。

何故なら『Alien: Isolation』は、私がここで語った「船上」の作品とは、全く反対のコンセプトによって作られているためである。

例えば、『Alien』の映画版は、自分より遥かに強大な天敵と共に、主人公らのクルーが逃げ場のない空間に閉じ込められる、という「狩られる者」の話である。

一方で、ここで挙げる「船上」ステルスゲーム、『Metal Gear Solid 2』のコンセプトはと言えば、

あなたが強大な天敵となって、逃げ場のない空間に閉じ込められた敵兵を追い詰める、「狩る者」の話なのだ。

 

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『MGS2』は私が17歳ぐらいの頃に発売されたのだが、偶然にも私が初めてホラー映画を観た日も、ちょうどその頃だった。

そして、「閉鎖された空間で、敵兵をいたぶる面白さ」を具現化した『MGS2』のタンカー編は、

見事に、私が観たホラー映画とは正反対のカタルシスを秘めていたのである。

例えば、スネークが敵の無線兵を射殺すれば、船内における敵兵の通信を無効化できるし、

また、敵兵の目の前に何か投げつけ、気を取られている内に投げ倒すといったことも出来る。

これらは正に、ホラー映画『Alien』で、エイリアンの侵略者が主人公に行った妨害の数々と同じではないか。

また、こういう「船上」のカタルシスは、子供を殺人者に変えてしまうだけの、猟奇的な趣味ではないことを弁解しておこう。

何故なら、ゲーマーは自分の意志で、「狩る側」になることを選んでいる自覚があるからだ。

確かに、私が『MGS2』を何周も遊んでいく中で築いた、船上と暴力に陶酔した少年のプレイスタイルは、いささかサディスティックだったかもしれない。

だがこれは言い換えれば、私は映画監督のような未知の体験が出来たのである。

また、こんな風にゲームを遊んでいると、何が面白いんだと周りの理解を得られないこともあるだろう。

しかし、「サイコパスの勝利」とも言うべき、こんな面白いものが他のメディアで体験できるだろうか。

 

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『Hitman: Blood Money』では、主人公は更に凶悪なサイコパスになる。

何故なら、主人公はどんな場所にも隠れる事ができるからだ。

正にこの主人公は、名作『遊星からの物体X』における「X」そのものであり、その愉悦こそ『Hitman』の醍醐味である。

本作の『Death on the Mississippi』というステージでは、船内の区画ごとに、船員や酔っぱらい、当然あなたが暗殺すべきターゲットといった、社会的地位が異なるNPCが配置されている。

更に、あなたのプレイスタイル次第で、彼らを素通りすることも、強大な力でねじ伏せることも出来る。

因みに、私はなるべくバレないようにプレイする派だが、大抵は思うようにステルスできず、弾倉を装填するハメになるのである。

そして、こういったゲームの最終的な理想こそ、去年のインタラクティブフィクションの審査で優勝した『Coloratura』だ。

本作では、主人公は、眠りから起こされ、自力で家まで帰らねばならない状態の、比喩でなく純粋な化物である。

プレイヤーが取りうる選択は、最初こそ自分がエイリアンであることの困惑から消極的なものだろうが、

最終的には思い通りの選択を取る事ができ、気づけば船上の人間を食い殺し続けるようになるだろう。

結論としては、隔離された場所のステルスであるかぎり、どの作品においても、あなたはこの「ホラー映画とは真逆のカタルシス」に浸れることは間違いない。

しかし、それが海のように広大な世界に基づくものであれば、このコンセプトは急激に弱いものになってしまう。

広大に、そして非献身的な、クリエイターの配慮が十分でない世界であれば、私はすかさずやる気が萎えてしまう次第である。