ゲーマー日日新聞

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『Alan Wake』の優れた「原稿システム」 所持品リセットが伝えたもの

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最近、ストーリー解説記事を書くために『Alan Wake』を再プレイしている。

本作の特徴といえば、未来の主人公の身に起きる内容が書かれた、公式ネタバレとも呼ぶべき「原稿システム」が有名で、

これによって、ストーリーの内容を詳細に考察できたり、次に起きる内容がわかって恐怖が増したりと、本作の上質なストーリーを一層際立たせているのだが、

この「原稿システム」、シューティングゲームのゲーム性を考えるうえでも、かなり優れたメカニズムだ。

何故なら、このシステムによってステージを「予習」させることで、適切な弾薬管理をしたり、散策の塩梅を調節したり出来るからである。

 


「所持品リセット」と呼応する「原稿」

 

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本作のシングルプレイは複数のチャプターに分断されているのだけど、1つのチャプターが終わる毎に所持する弾薬を全て失ってしまう。


よって、強力な武器を使わずに温存しすぎると、ゲーム中で唐突に没収されてしまう。この記事はそれを指摘したものである。

私もこの「所持品リセット」には大いに反対で、プレイヤーの努力を水の泡にしてしまうシステムは、ゲームのインタラクティブ性を否定しているとすら思える。

この「所持品リセット」は何も本作だけでない。現代の多くのゲームにこのシステムは導入されており、ある種の「疫病」のようなものに思える。

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だが、『Alan Wake』における「所持品リセット」はどうだろう。

私はむしろ、この「所持品リセット」は、本作の醍醐味である「原稿システム」をより強調するための、ペナルティなのではないかと思っている。

 

さて、本作の道中には、次にゲームで起こる展開を教えてくれる、「原稿」と呼ばれるコレクタブルアイテムが存在する。

例えば、作中に拾える原稿でこんなものがある。

「その夜はまさに一難去ってまた一難だった。既に体力は限界に達し、フラッシュライトすら重く感じた。引き金を引く度に衝撃で腕が痛む。それでもようやく森を抜けたと思った瞬間、チェーンソーの音が鳴り響いた。」


これを読んだプレイヤーは、いつか襲いかかるであろうチェーンソー男を想像し、恐怖することだろう。この「原稿」を介した暗示は、作品の恐怖感を増すことに貢献している。

だが、これを言い換えると、「そのうち強敵が現れるので、ちゃんと弾薬を節約しておいたほうがいいですよ」とも読めないだろうか。

例えば、これを読んだプレイヤーは、「フレアガン」のような強力アイテムを道中で節約し、逆にチェーンソー男に遭遇した時は惜しみなく使えるのである。

つまり、この文章はただホラー要素を強めるだけでなく、作中のレベルデザインを予めネタバレすることで、プレイヤーに強力なアイテムを使うタイミングについてのヒントを与えているのだ。

逆に言えば、この「原稿を読んで強力なアイテムを使う/節約する」というプレイスタイルを遵守させるために、あえて「所持品リセット」を入れたとも言えるだろう。

 

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これは実に興味深いシステムだ。

ただ、「ここでアイテムを使え!」と、プレイヤー側のリソースマネジメントを調節する要素としても興味深いが、

そもそも作者が秘密にしておきたい「レベルデザイン」を自らネタバレするという、実に思い切った難易度調整としても面白い。


断絶された「作者」と「プレイヤー」の会話

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そもそも、ゲームのレベルデザインというのはかなり一方的なものだ。

『スーパーマリオ』で例えても、まず作者はプレイヤーは何も考えず進ませ、予め作者が用意しておいた難所に引っ掛けて「殺す」。

死んでしまったプレイヤーは、再び同じ場所へ突入し、何度も「殺され」続ける間で、どうすれば突破できるのか自力で考え、最終的に難所を突破する。

古典的な作品では、こういう「トライ&エラー」が当たり前で、ピラミッドを守護するスフィンクスのように、作者は有無をいわさず難問を与え、プレイヤーは体当たり方式で答えを探す他なかった。

当然ながら、この方法ではプレイヤーにフラストレーションが溜まるのは避けられない。この関係は、作者がプレイヤーを「殺し」、プレイヤーが作者に「殺される」、一方的な主従関係とも言えるのだから。

それでも『スーパーマリオ』が評価されるのは、1度や2度の死で克服できる絶妙な難易度、予め難所を「悟らせる」ような秀逸なデザインがあるからと言える。

(「悟らせる」であって、「教える」ではない。それが『Alan Wake』と『マリオ』の違うところ。)

 

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だが『Alan Wake』は、「ここに○○が来るぞ」とか、「もうすぐチャプターが終わるぞ(所持品をリセットするぞ)」と、明確な文章でヒントを与えてしまう。(まるで攻略本だ!)

この懐の広さは厳しいスフィンクスと言うより、オデュッセイアの苦難を伝える芸術の女神、ムーサである。

このように、作者が重い腰を上げてプレイヤーに語りかけるその姿こそ、『Alan Wake』のレベルデザインの先進性そのものではないか。

残念ながら、『Alan Wake』以外でこのデザインを導入した作品は少なく、レベルデザインを明確に意識した作品すら減っている。(最近なら『Dark Souls』が似たような試みを行っていた)

いずれにせよ、「レベルデザインをゲーム内のテキストで仄めかす」というデザインは、初代『ドラゴンクエスト』からあったのだが、本作はメタフィクションという形式を取って、驚くほどに具体化させているのが特色である。

現代ではインディーズゲームの進化も相まって、改めてレベルデザインや難易度の調整といった部分が評価されるようになったが、現代では同時にいかに「レベルデザイン」をプレイヤーに伝えるかといった努力も必要ではないだろうかと思うし、それには所持品リセットといった思い切った判断も必要かもしれない。