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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

【あべの、東京】『新印象派 光と色のドラマ』の感想 啓蒙と賛美の谿間

芸術/映画/文学

 

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前売りのチケットまで買って楽しみにしてた「新印象派 光と色のドラマ」に行ってきました。

とても興味深かったので、いろいろ感想を書きたいなーって思います。

 


印象派とは?


印象派(neo-impressionism)は19世紀の西洋芸術において主流であった印象派を発展させた流派です。

当時大きく発達した工学や色彩学といった科学を参考に「点描法」を取り入れ、更に崩壊する社会を描くジャーナリズムも投影されるなど、激動の19世紀ヨーロッパの変化を垣間見ることができます。

大動乱のヨーロッパの歴史を反映するように、「新印象派」もまたたく間に次の時代へと移行し、「フォービズム」(デュフィなど)、「キュビスム」(ピカソなど)へと受け継がれていきました。

さて、このように「新印象派」の作品が生まれたのは数十年間の刹那ながらも、芸術史における重要な役割を果たしました。ゲームのアートにも応用される芸術の原点を、今日は振り返ってみましょう。



クロード・モネ 《アンティーブ岬》 1888年 愛媛県美術館

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実は、本作は「新印象派」ではなく、その前の流派である「印象派」の代表的な作品。

本展「新印象派 光と色のドラマ」では、いきなり「新印象派」の作品を見せるのでなく、最初に原点となった「印象派」の作品から見せることで、ちゃんと歴史のコンテクストに従って楽しめるよう工夫されているのである。

だが新印象派の「前菜」に「モネ」は豪華すぎないか。思わず、「新印象派」のハードルを上げすぎないか心配してしまうほどだ。

地中海の穏やかな海に、赤い土から屹立する松と思しき樹木が、天空を支配するように葉を広げてゆらりと仰ぐ。ただそれだけの、とても静かな作品。

だが素人目にもわかるほど、この作品は「完璧」だ。印象派ならではの豊かな色使いが地中海の寛大さを描き、それでいながら勇敢な樹木の肌色が、それと対をなしている。

構図にしても、「海:木」の関係だけで「青:赤」「柔和な水面:堅固な木目」でありながら、更に「木:葉」「葉:空」「海:山:空」が全て密接に結びついた構造。

この作品はあまりにシンプルながら、全く退屈しない。観れば観るほど、全ての構図と色彩と造形に意味があり、それぞれが絡み合って一つの作品に収束していく。むしろ退屈するほうが難しい。

もはや「傲慢さ」すら見出しかねないほど、この作品はモネの合理性と才能によって形成されている。この完成された作品は、生半可な発想や造形では、「”新”印象派」を名乗ることなど不可能だと、その躰で威嚇する。

 

クロード・モネ 《アンティーブ岬》 1888年 愛媛県美術館


ポール・シニャック 《クリシーのガスタンク》

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この作品は、「新印象派」の中でも初期の作品で、19世紀に続々と建造された工場の姿を描いた作品である。

眼前に広がる野草を追うと、赤い屋根が印象的な小さな工場が佇んでおり、その後ろには3つの円形の製鉄場が建造されている。

まず注目すべきは、驚くほど豊かな色彩だ。踏み荒らされた白い土、緑と黄の草、青い空、赤い屋根、灰色のガラス、雑然と並ぶ黒い鉄具、巨大な茶の工場、濁った青の水路。

 

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これほどに多様な色を使い分けたのは、「新印象派」の特徴たる「点描法」に他ならない。これは、ただ緑の絵具を塗るのでなく、青の絵具黄の絵具の「点」を描くことで、遠目に緑に見えるように描く手法であり、これで色彩を明るく、かつ豊富に描くことが可能になったのだ。

それにしても、これだけ豊富な色彩は凄まじい。シニャックが色をどれだけ研究したのだろう。むしろ、この絵は色彩の実験場とすら思える。

興味深いのは、絵がこれだけ細やかであるのに、鑑賞する我々は疲れるどころか、むしろ癒やされているように感じる点だ。というのも、これだけある色彩の一つとして、対比色と隣接していないのである。

つまり、本作はこれだけ多様な色を使いながら、ジグソーパズルを組み込むように、「青と赤」のような反対の色(補色)とは隣接しないよう作られており、鑑賞する上で刺激によってチカチカすることは絶対にない。

何故か。それは、シニャックは絵画の観賞を「視神経の労働」と考え、我々鑑賞者に過剰な「労働」をさせてはならないと考えたためだ。

 

そこで、原色を知覚する三視神経を均等に働かせるため、補色がそれぞれの位置に分散されているのである。

この鑑賞者への「いたわり」を考慮した設計もそうだが、この作品のなかにも「巨大な円形工場と小さな赤い工場」といった労働と社会の行く末を考えさせる「政治的メッセージ」が盛り込まれたジャーナリズム性も盛り込まれており、芸術の持つ可能性を合理的に引き出すシニャックの作品は、やはり魅力的だ。

 

ポール・シニャック 《クリシーのガスタンク》 1886年 ヴィクトリア国立美術館

 

ポール・シニャック 《髪を結う女、作品227》 1892年 個人蔵


マクシミリアン・リュス 《カマレの埠頭、フィニステール県》

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西に沈む夕陽が、埠頭に屯する漁師とボートを照らす。漁師たちは仲間と談笑したり、舟の整理をしたりと、それぞれの時間を過ごしている。

「新印象派」らしく「点描法」によって、絶妙な光の色合いや、漁師と砂浜の影が、斜線の構図に従って綿密に描かれており、純粋な「新印象派」作品としての特徴を維持している。

中でも、本作の「プロレタリアート的視点」は一際目を引くものだ。例えば、労働者は誰もが生き生きと描かれ、ケルト海は大小様々な舟や艀によって占拠されている。

帆が黒い影を強調する一方、その「黒」の間に「赤」が混じっているのが印象的で、まるで船が獣のように赤い血管が浮かばせているようだ。

「点描法」を見事に利用して描いた、血管が巡る漁船と、堂々たる漁民たち。彼らは明日も同じく海に出て、労働の喜びと誇りを感じることだろう。

ところで、芸術や文学における「労働」は、『1984』のようなディストピア的批判に限らない。例えば、『蟹工船』では企業の欺瞞は描かれていても、本作のように労働そのものはむしろ美しいものと描かれている。

 

マクシミリアン・リュス 《カマレの埠頭、フィニステール県》 1894年 ミシェル&ドナルド・ダムール美術館


ポール・シニャック 《ヴェネツィア

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昼か夜かも分からない微睡む水面に、2艘の帆船が浮かび上がり、その間にサン・マルコ大聖堂が蜃気楼のように佇んでいる。

既に、初期の現実的な色彩は消え、むしろ「フォービズム」らしい非現実的な色彩へと移行しつつあるようで、青と赤が絶妙に交じり合う碧空が印象的である。

ここで注目したいのは、中央の水に浮かぶサン・マルコ大聖堂。

聖堂の全体が、水中に浮かぶように、また空中に溶けるような淡い造形を模しながらも、賛美を唄う鐘楼は、その幻影のなかで明確な「造形物」としての存在を誇示している。このギャップが、聖堂の神聖な雰囲気を一層引き立てているのだ。

最初から一体であったかのように、違和感なく結び付けられた「空」と「海」も美しい。彼らは一体となって、神聖なヴェネツィアの町並みを、上下から暖かく包み込んでいる。

そんな「美への憧れ」を体現したようなヴェネツィアには、翡翠の帆船が連れて行ってくれるのだろう。あの無人の方舟に乗り込めば、どこへでも漕ぎ出せそうだ。

だが、あまりに幻想的な世界だからこそ、我々が触れられない「壁」を本作の非現実的な模写から感じさせる。むしろ、最初からシニャックは我々の淡い願望を打ち砕く意図を込めて、この作品を作ったのかもしれない。触れられないからこそ、美しさは際立つのだと。

いずれにせよ、シニャックという一人の芸術家がみた「夢」を思わせる、素晴らしい作品だった。

 

ポール・シニャック 《ヴェネツィア》 1908年 アサヒビール株式会社