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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

ガチでゲーム遊んできた奴が『艦これ』を真剣に批評する

芸術/映画/文学 ゲームレビュー

 

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ここ数日、各SNSやまとめサイトを賑わせているアニメといえば、大人気ソーシャルゲームを原作とした『アイドルマスター:シンデレラガールズ』『艦隊これくしょん』が挙げられます。

ではここまで人々を惹きつける『アイマス』『艦これ』の魅力とは、一体何なのでしょうか。

私は、恐らくそこにプレイヤーが勝手に有利になれる「社会階級」が横たわっているためではないかと推測しています。

 

「美少女ゲー」「ソシャゲ」もある種のゲーム。ここは一つ、ゲームブログとしてそれらの作品の魅力に迫ってみましょう。

(すいません、実はアニメというよりゲームの感想です。)

 

目次

  • 「萌え」の醍醐味
  • 「萌え」の大衆化
  • 「萌え」と「階級」の実例
  • 「階級」の合理性
  • 「階級」から「自明性ある人間関係」を目指して ホーソン効果と「萌え」

 

 


「萌え」の醍醐味

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私自身、あまり「萌え」を浅薄な知識で語るのも気が引けるのですが、少なくとも、昔の「萌え」は学校を舞台とした作品が多かった気がします。

これは、いわゆる少女(ジュブナイル)の持つ「不安定な心情、一定の余暇、精神的な純粋さ(無知さ)」によって、「恋愛」を少ないテクストで支配することが可能だったからでしょう。

要は、「萌え」という情景の根底には、いかにして女性を支配するか。という欲望が見え隠れしているのです。



しかし、これはジェンダー観からみても、何ら恥ずべきことではありません。

恋愛というのは、人が人を支配する、そんな矛盾に満ちた欲望に満たされているのですから。(だからこそ、大抵失恋する)

古典文学にも、このような熱気のこもった人々たちの情欲が描かれてきました。


「このかわいい女、この世でたったひとり愛する女が、ほんの数時間前までは、おそろしい神を畏れる気持ちと、自分の義務に執着する気持ちにとらわれていたのに、いまは自分の腕に抱かれ、自分の足元にひれ伏さんばかりになっているのを見て、ジュリヤンの自尊心は心ゆくばかりの快感に満たされた。
 一年間操を守り続けた結果に、固められたはずの決心も、ジュリヤンの勇気の前にはひとたまりもなかったのだ。」

  -『赤と黒』ステンダール 小林正訳

 



「萌え」の大衆化

 

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「萌え」というのは、歴史的にも脈絡と受け継がれてきた、女性を支配することへの野心に裏付けられた、カタルシスの一種である。というのは前述した通りです。

しかしながら、『赤と黒』や『嵐が丘』における「萌え」は、平和な日本を生きる我々にとって、いささかハードルの高いものなのも事実。

あのエネルギッシュなジュリヤンやヒースクリフに、感情移入しろという方が無理があります。

むしろ、現代でサブカルを楽しむ人々は、仕事や学校から終わって、一息つくと同時にアニメ観ているはずです。

ですから、もっと気楽に楽しめる庶民的な「萌え」こそ、現代日本で必要とされているのでしょう。



そこで「もっと手頃に、様々な女性の美しさ」を描けないか。更に欲を言うなら「もっと簡単に女性を支配する快感」を味わえないか。

こういった課題が、現代のソーシャルゲームにおける「萌え」には存在しました。これらを同時に解決するのは、相当に困難に思えます。

しかし、一つ画期的な方法がありました。

それは物語の根幹に「階級制度」を導入し、環境や設定から既に、ヒロインより優位な立場で物語を進行することです。

これは『アイドルマスター:シンデレラガールズ』や、『艦隊これくしょん』が、最たる例と言えるでしょう。


「萌え」と「階級」の実例

 

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古今東西、恋愛事情を描くにあたって、男性の心理にはいつも「女性を支配したい」という根源的な欲求が根ざしています。

現代のソーシャルゲームはその欲求を見事に実現すべく、「階級制度」による「主人公ーヒロイン」の人間関係を築き上げました。



例えば、『アイドルマスター:シンデレラガールズ』では、プレイヤーは「プロデューサー」として各ヒロインを管轄する立場にあります。

「プロデューサー」は試行錯誤して強化アイテムやレベリングをヒロインに施し、結果的にヒロインは「アイドル」として世に羽ばたいていき、

その「プロデューサー」の努力に対しては、「アイドル」は様々な声援や喜びの表現でもって報います。これにより、ギブアンドテイクかつ、プレイヤー優位な人間関係が築かれるわけです。

また、『艦隊これくしょん』では、より明々白々な「階級制度」が敷かれていて、それも「提督ー軍艦」という関係。

「平和維持」という共通の目的を介して、「提督」は時間と根気で様々なバックアップを「艦娘」に与え、やはり「艦娘」は独自の愛情表現でもって「提督」に返礼します。

このようにして、予め形式として用意された「階級」からして、自然にヒロインたちは主人公にアプローチすることが可能なわけです。


「階級」の合理性

 

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予め断っておくと、私は何も「『艦これ』は女性を権力でねじ伏せる、性差別的なゲームだ!」などと告発するつもりはありません。

先述した通り、女性を支配しょうという野望は、古今東西様々なメディアで描かれてきたものであり、質は置いといても、アプローチそのものはむしろ古典的です。

むしろ私は感心しています。「萌え」文化と、古典文学の決定的な違いは、「生活に疲れた現代人に、いかに少ないエネルギーでカタルシスまで到達させるか」という点です。

 

「階級」によって立場が優位になることは、ただ支配欲を満たすに留まらず、より少ないコンテクストで物語を描くことにも貢献しています。



まず、「階級」制度においては、プレイヤーとヒロインの立ち位置は明確です。

つまり、プレイヤーとヒロインの共通の目的があり、その上それぞれ異なる努力を行います。

「提督」は指揮を下し、「アイドル」は与えられた指示を真っ当にこなす。この義務関係により、必然的にプレイヤーはヒロインに親近感を抱きます。(バイトすると彼女が作りやすいというのは、これと同じ原理ですね)

まして、「アイドル」は自分より格下な存在なわけですから、まさか反旗を翻すであるとか、いわゆる「寝取られ」ることもないわけです。

更には「友達か恋人か」と迷い、どちらかが告白する必要もありません。「階級」においては、友達以上恋人未満の実に居心地のいい関係が築けます。


「階級」から「自明性ある人間関係」を目指して ーホーソン効果と「萌え」

 

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ですが、ただ「階級」は便利なだけなのでしょうか。

私はむしろ、この「階級」に結び付けられた真の魅力は、ヒロインとプレイヤーの間で初めて描かれた自明性のある「人間関係(Human relations)」にあると思います。



さて、これまでの萌えコンテンツにおいて、プレイヤー(読者)とヒロインを結びつける、人間関係が欠如していました。

例えば、いかに高校生の主人公が、学校で女性にモテてハーレムを築こうとも、それはプレイヤーがモテたわけではありません。

いかに感情移入して、読者がヒロインに惚れたとしても「主人公ーヒロイン」の関係が膨らむだけで、実は「読者ーヒロイン」の間を直接つなぐ、人間関係は希薄でした。

 

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(「Earn it, earn this.」死の間際、上官は部下に全てを託した。引用:『プライベート・ライアン』)


ですが、この『艦これ』はどうでしょうか。

少なからず、「艦娘」たちは「提督」という架空のキャラクターでなく、「プレイヤー」の采配に期待しているはずです。

だからこそ、彼女らは「提督!」と元気に呼び、提督の何らかのアプローチを好意的に解釈し、賞賛します。

彼女らが「さすが提督です」と言う場合、それは劇中の主人公にでなく、プレイヤーの力量に対しての言葉です。

 

ここには、明らかなヒロインとプレイヤーの間のやりとりであって、「主人公」という税関を通す必要もなく、むしろ「階級」はそのまま「人間関係」として翻訳されます。

 

むしろ、「階級」とは「人間関係」そのものであり、「階級」を通して物語を構築するだけで、既に自明性ある「人間関係」を描くことが出来るのです。



さて話題を変えますが、社会学では「ホーソン実験」というものがあります。

これは1920年代のアメリカで経営されていたホーソン工場において、一体どのような作業が労働者に割り当てられ、また労働者はどのような心境で働いているのか実験したものです。

端的に言えば、労働の内容は過酷でした。

当時は一人ずつ小さな作業を繰り返す「フォード生産方式」が中心で、労働といっても延々ネジを締めたり、鉄板を切り落とすだけとか、とても単純で退屈なものだったためです。(チャップリンの『モダンタイムス』のように)

ですが、労働者は辞めることもなく淡々と続けます。何故彼らが過酷な労働に耐えられたのかといえば、それは労働を通じて構築される「人間関係」にありました。

彼らは労働こそ退屈でしたが、その後に上司を含めた仲間とダイナーで食事をしたり、何気ない世間話を繰り返すことで、友達付き合いも兼ねて仕事に従事していたのです。

これは少なからず、一つのタスクを通じてプレイヤーとヒロインの信頼関係を築く、『艦これ』の人気と関係しているのではないかと私は思います。

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(仲の良い職場の同僚が、ベトナム戦争で散り散りになる様を描いた作品。引用:『ディア・ハンター』)



昨今『アイマス』『艦これ』と「階級式萌えコンテンツ」はソシャゲを通じて爆発的に普及しつつあります。

そういったソシャゲが、今後も文化として生き残るには、ただ「階級」に物を言わせた「萌え」だけでなく、労働を通した真の「階級」を実現した作品を、世に送り出すことにあるのではないでしょうか。