ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

ゲームを遊びまくったら、SNSの議論の不毛さに気付いてしまった件

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唐突だが、私はネット上で頻発する議論(らしきもの)に、興味を持って聞いたことがない。

イスラム国、解散総選挙、オタクの倫理、インディーズゲームの未来・・・ 散々Twitterやら2ちゃんねるやらで議論されてきた内容だが、それが建設的だと思ったことより、むしろくだらないと無視したことのほうが多い。

ところが、インターネットの一部では、「なぜわかってくれないのか」「私は常識だ」「こうなれば妥当」と考え、「これは世に必要な正論」と言い張る人もいる。(でなければ、イライラしながら何時間もネットに張り付くはずがないだろう)

だがはっきり言って、ネットでまともな「議論」や「言論」が成立するわけもない。ストレス発散以外の理由なら、無駄なので辞めた方がいい。

それは何故か?「ネット住人はバカだから」「ネットイナゴだから」と言えばそれまでだが、その話題は散々議論されただろう。

そこで、実はインターネットの機能に、そもそも限界があるからではないだろうかと、私は考えた。

 

 

クランで学んだ、本当の「インターネットの議論」

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実は、私は「ネット上の議論」が好きだ。しかし、それはSNSのような文字の議論ではなくて、多くの場合はTS3やSkypeのようなボイスチャットにおいてである。

まず、私は色んなオンラインゲーム、中でもe-Sportsと呼ばれるような作品を遊んできたが、その都度「クラン」と呼ばれるチームに参加していた。

クランとは、要するに固定メンバーでチームを組んで、もっと高度なゲームをしましょうという集まりだ。

このクランで重要なのは、何よりコミュニケーションである。クランではメンバー固定なので、お互いの性格や得意分野を踏んだ上で、フォローし合えるゲームが実現するのだ。

故にクランでは、チャットやSNSのような効率の悪いコミュニケーションは好まれない。大抵はTS3のようなボイスチャットの導入が必要とされ、試合外でも、挨拶といった軽い交流が必要とされる。(中には「聞き専OK」のような緩いクランもあるけど)

 

更に、チームが勝つためにどうすべきか「議論」が発生することがある。

「このポジ守って」「Buffをもっと早く頼む」なんてのはかわいいもんで、リーダーに「スタメン入れ替えよう」「次は役割を変えて欲しい」なんて、キツイことも言われたりする。そんな時、冷静に相手と議論を通して折り合いをつけなければならない。

お互い何が出来て、何が出来ないのか、インターネットで知り合っただけの他人同士が、本気で議論する。都合の良い仲間で集まって、他人を足を引っ張り、知識人気分になる人間には到底出来ないことだ。

それで多少険悪な気分になっても、やっぱりああしよう、こうしようと、どう勝つのか真剣に議論して、本当に勝てたときの喜びは、それこそ野良試合とは比較にならない。

 

で、長々と自分語りをしてしまったわけだが、この経験から、文字のみのコミュニケーションが、いかに不便か悟ってしまったのである。

 

文字と肉声では、一度に伝わる情報量が違う

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予め断っておくと、ここでの「議論」の定義は、一般的なSNSやまとめサイトでよくある、「特定の意見や事件への反論」だとする。(例:「○○党はクソ!」「××は馬鹿ばっかり」)

 

まず、SNSでの議論で一番疑問に思ったのは、「文字でのコミュニケーション」の限界だ。

私の所属していたクランは、最初チャットだけで作戦などを立てていたが、VCに切り替えると、格段に連携を取れるようになったことがある。

恐らく、それは文字のチャットと音声のチャットでは、同時にやり取りする言語の量が全く異なるからだと思う。1時間VCをして発する言語量と、1時間Twitterでリプライを送りあって発する言語量では、多分5~10倍、いやそれ以上にVCで話す分量の方が多いだろう。

そのため、VCで話すだけで、自分が伝えたい情報量は格段に増え、相手方の印象や意見の真意を掴みやすく、仮に相手に自分の意見を誤解されても、即座に修正をかけることも出来、水掛け論に陥りにくい。(ある程度限界はあるだろうけど)

また、「非言語的コミュニケーション」と呼ばれるように、単に言葉だけでなく、顔の表情や、声色、アクセントを通じて、会話が成立している部分も多い。VCでも顔まで見ることはないが、それでも相手の声を知れば、理解する幅も大きく広がる。

更に、これらの「多くの情報」によって、相手の性格や人間性を知ることで、理解や憐憫、学習も生まれ、仮に意見が異なっていても、かなり「落としどころ」を見つけやすい。

議論は理屈だけでなく感情によってこじれることも多いが、相手方の状態を理解すれば、自分自身が冷静になって、感情を抑えて聞く耳を持つことが出来るためである。

 

 

1年後の反論はフェアか?

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次に疑問に思ったのが、インターネットの議論において、「応対におけるレスポンスの間隔」が、実質的に無制限にあり、何時間経っても反論できてしまう点だ。

例えば、クランで活動する上で重要なのは、敵がどのような行動をしているかという「報告」であるが、これは内容の質より、いかにすばやく行うかが重要とされる。

「敵はAWP、敵リスポーンにいて、残り体力は~」と長々報告するよりも、自分が倒されたらすぐに「AWP、Tベース」と報告する方が、味方としては何倍もありがたい。いくら正確な報告であっても、他の味方が倒されてからでは意味がないのだ。

これは議論にとっても同じ。反論は、即座に受け取るからこそ有益なものが多く、仮にTwitterで数時間後に返事をもらっても、既にその頃には別の発言の内容を考えていたりするもの。

そもそも、反論するにしても、時間をかけ、ネットを這いずり回り、言動を逐一チェックして反論しても、それはとてもフェアとは言えない。

更に、公式で行うディベートでも、互いが主張するには時間制限が与えられるし、チェスや将棋においても、いかに限られた時間で最良の手を打つべきか考えるだろう。

それはただルールとしてよりも、複数の人間で行うからこそ生まれる、駆け引きによる熱や創作性といったものが、ダラダラ続けてしまうことで台無しになってしまうためだとも思う。

何より、自分ばかり時間かけて返事をすること自体、コミュニケーションにおいては失礼である。Lineやメールでも、相手を思いやる気持ちがあるから、短い時間で返事するというもので、むしろ他人を敵視して人間なら、いくらでも長引かせてやろうと思うだろう。

 

以上から、ネットの「議論」と呼ばれる、ある程度意見の異なる者同士の会話が上手くいかない理由に、

まず、インターネットや文字といった、劣悪な媒体における限界が一つ。

次に、相手の人間性を考慮できない、無機質な環境である点が一つ。

最後に、ルールやレスポンスが無限大に開き、フェアというに程遠い前提であることが挙げられる。

いずれも、「ネット住人は民度が低いから」のような利用者の条件を見定めるものでなく、むしろインターネットというツールの限界を考えた上で、私はネットの議論や政治トークの不毛さを感じざるを得ないのだ。

 

SNSは利用すべきでないのか?

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では端的に言って、「SNSに価値はないのか?」ということになる。

私はそうは思わない。というか、そこまで憤るぐらいなら、Twitterなんぞとっくに辞めている。

ここで述べたいのは、我々が想像する以上に、「SNSとは限られた、利用の幅が狭い道具」に過ぎないということだ。

SNSに限らず、インターネットは本質的に無限の可能性を秘めている。誰もが賢人になり、立場の違いを乗り越えて友人になれる可能性を。しかし、それは可能性であって現実性ではない。割り切って付き合う必要がある。

だから、「SNSという、不便なコミュニケーションツール」では限定的な議論にとどめ、本格的に相手と話し合いたいと思うなら、VCでも現実でも、SNS以外で接点を持つべきだ。

インターネットで面倒な人に絡まれたり、逆に面倒な人に絡みに行ったりしたとき、この前提と限界を思い出して欲しい。楽しいネット生活は、妥協から始まるのである。

私もBlogで突っ込んだ話をすることもあるが、それは所詮「面白い」と思ってくれれば満足で、まさか誰かの思想を変えようとは思ってない。同じように、Twitterも当人が楽しく、また感情の排泄と割り切るなら、「議論」もアリだと思う。