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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

メタスコアは万能か?数字の正しい読み方

ゲーム業界について

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Choke Point | 『Sniper Elite』開発元がMetacriticを「取るに足らない存在」と一蹴

 

「Metacriticのことを気にしている人間は、ここには1人もいないよ。率直に言って、取るに足らない存在だと考えている。我々はユーザーの感想だけに集中しているし、ユーザー・スコアの統計はどれも、プロによるスコアの統計よりもはるかに高いんだ。」

 

よく、この「メタスコアの是非」は巷でもよく語られるんだけど、これって意外と一概に断言できるもんじゃないと思う。

そこで、ちょっと色んな基準でこの数字について考えてみたい。

 

メタスコアの不毛な側面

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メタスコアの欠点は、ファンボーイを焚きつけてしまう点である。

メタスコアが数字を出すだけで、ネット中は大騒ぎ。噂が噂を呼び、発売する前からゲームの「客観的評価」が落ち着くとは恐ろしい話である。

 

でもよく考えると、プレイヤーたる我々には大して問題のない事情だったりする。

要するに、ネットの評判なんてそんなもんだから、読まなきゃいいだけの話だ。読んでも、「あれは所詮ネットだからな」と、それぞれで割り切ればいい。

どの道、ネットに依存して意見を交わす人々なんて一部なんだから、そういう人はそういう人で楽しめばよく、そうじゃない人は自分だけの感動を味わえばいい。

 

ところが、ゲーム開発者、つまりこの記事に出ている人たちにとってはそれどころではない。

何故なら、ゲームを買う人の大半は、どうしてもネットの意見で評価を決めてしまう人が多いからだ。だから、メタスコアは売り上げに少なからず刺さり、プロジェクトやレイオフの話にまで発展する。

(勘違いしないで欲しいが、ネットの意見を鵜呑みにすること自体は全く悪くない。そもそも、気軽にゲームを買うような、ゲームに対して興味のない人が売り上げの多くを占めるのだから)

開発者にとっては、メタスコアを含めたネットの評判が、自分たちのクビを吹き飛ばすことになりかねないわけで、このMetacriticの曖昧な批評が不満となることも頷ける。

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ただ、こちらも悪いのはネットもさながら、メタスコアを容赦なくノルマに仕立てるパブリッシャーや株主も大概である。

売り上げがメタスコアに比例するわけでなし、またMetacritcがゲーマーの総意ではない。そういう理解が、業界内においても中々得られないことも問題だろう。

(他のソースだが、「メタスコアが悪いと言うより、メタスコアの不明瞭さを理解しない業界も悪い。」という記事がある。)

Is Metacritic Ruining The Games Industry? - IGN

 

 

何故メタスコアが誤用され続けたのか

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で、メタスコアの与える影響は、顧客と業界人で少し異なる点を踏まえた上で、改めて何故「メタスコアはくだらない」と言えるのか考えてみよう。

 

まず第一に、メタスコアは比較出来ないことが挙げられる。

一般的に「『○○○』のスコアが前作より下がったぞ!」とか、「『○○○』より『×××』のスコアの方が高いぞ!」とか、そういう読み方はメタスコアでは成立しない。

何故か。それはメタスコアは「指標」であって「規格」ではないからだ。

メタスコアが示すのは、当然ながら一本のゲームに対する指標である。指標ならレビュアー一人一人の感覚が尊重されるが、規格は法のように厳格で、普遍的でなければならない。

例えば、日本で食肉を販売する場合、「X℃以下の温度で保存しなければならない」のような、明確な基準が存在するように。

だから、もしメタスコアでゲーム同士比較すると、「オープンワールドは平方Xkm以上展開されねばならない」「FPSは死体のラグドールを10体以上用意しなければならない」みたいな、訳の分からないことになる。

そんな無意味なことを避けるために、まず「比較には水準が必要」ということを踏まえて、ゲームのスコアを比較することは全く無駄と言える。

(まぁフリに使うくらいならアリかもしれん)

 

次に、メタスコアはメディアの格好の材料だったことが挙げられる。

何を今更、という話であるが、メタスコアはとにかく「読み易い・連帯責任・妙なゴシップ性」という、メディア、特にゴシップが大好きなサイトにとっては、これ以上ない「格好のネタ」だったのは間違いない。

正直、メタスコアは企業や開発者の罪というより、メディアの罪な気がするほどだ。とにかく調理しやすい上に、下手な持論を話すとすぐ叩かれるネットにおいて、これほど都合のいいネタはない。

 

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正直、偏差値とかTOEICのスコアをホイホイ出す人に限って、実力のない人が多いといのが自分の経験談である。

例えば、偏差値など、自分の目指す大学を決める、使い捨ての数字に過ぎない。数字は自分の努力に対するチェックポイントであって、ゴールではないのだ。

むしろ、本当に高学歴な人に限って、大学名や偏差値の名前を出すと、却って自分の努力を値踏みされたと怒る人は多い。上昇志向を楽しむ人にとって、「同じ数字の連中と一緒にするな」と考えるのは当然ではないか。

ゲームも同じで、メタスコアなんてものは、自分とゴールの間にある中間地点に過ぎない。どんなメタスコアが出ようと、優れた開発者が満足するはずがないのだった。