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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

【京都】DIEC講演のレポート及び考察/Oculus・VR・テレイグジスタンスの未来とは

ゲーム業界について

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3月29日に京都で開催されたDIEC、Digital Interactive Entertainment Conferenceに参加てきたので、そのレポート兼感想なんかを残していく。

このイベント、要するに「インタラクティブメディア」を様々な観点から議論するシンポジウムなわけだが、主催には立命館大学京都府、パネリストにはNHKディレクターの上松圭、表象文化論で活躍される石岡良治、GoogleはNianticのジョン・ハンケなど、まぁそうそうたる顔ぶれ。

とは言え、およそ半日以上に渡る講演を一度にまとめる文章力もないので、本稿ではNHKスペシャルのディレクター上松氏が登壇した講演「デジタルエンターテイメントの未来」のみ触れ、個人的な見解を述べる。

また本稿は、大学生の講義ノートよろしく講演をそのままコピペせず、個人的に興味が持てた話のみ簡潔に触れた内容なのであしからず。

 

NEXT WORLDのあらすじ

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さて、実際に「NEXT WORLD」を視聴した方がどれほどいるかわからないので、サラッと内容を振り返ってみよう。

 

まず最初に、ゲーマーなら誰もが知るだろうVRプラットフォーム「Oculus」が、東京ゲームショウの反響と共に紹介される。

また、これに連なって紹介されるのが、「テレイグジスタンス」と呼ばれる技術で、これは既存のOculusで再現される「視覚」に加え、特殊な機器で「触覚」まで再現してしまう技術だ。これがあれば、遠隔操作のロボットを通じてサーフィンや登山を体験できるという。

 

次は、一度死んだ人間の情報を大量に集めることで、「デジタルクローン」を作る試みが紹介される。

必要となる情報は様々で、対象者の手紙からは価値観が、対象者の写真からは思い出が吸収され、人工知能の礎となる。

更に、現代ではTwitterやFacebookといったSNSの普及により、これら「ライフログ」を効率よく蒐集できるようになった。AI技術の発展に加え、これらのデジタルデータが氾濫する未来には、死者と会話することも難しくないだろうと、番組は展望する。

(因みに、上松氏によると本プロジェクトの出資者は、トランスジェンダーの資産家で、自分が男性だった頃の元妻と出会うために出資しており、VTRのロボットも彼女を象ったものだとか。)

 

「未来を待望できる番組」を目指して

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と、実際に放映されたこれらを踏まえ、ディレクターの上松氏による裏話について触れていきたい。

まず第一に、上松氏は「NEXT WORLD」という番組は、「未来を楽観視すること」を共通の目標として作られたと語る。

現代日本で「未来」にユートピア的な希望を抱くことは難しい。東日本大震災に触れながらも、上松氏は「警鐘的」な番組がNHKでは横溢していることを危惧する。

 

一方、取材によって北米ではむしろ楽観的な言説が見られたことにも触れた。「アメリカでは”未来は待つものでなく、作るものだ”という意志が強いんです。(上松氏)」を皮切りに、

Googleのレイ・カーツワイル氏の「2045年がシンギュラリティとなる」という言葉、その中で触れられている「ムーアの法則」、ミチオ・カク氏の「2100年の科学ライフ」を取り上げ、

未来に発生する技術革新は、インタラクティブメディアに関わらず、様々な希望的観測が持てるものがあり、NHKが意図的にネガティブなコンテクストは避けたことも仄めかした。

例えば、ゲームに耽溺する危険性や、デジタルクローンの人権はどうするのか、仮に人権があれば、死後のビッグデータはどう処理すべきか等の要素も、何度か討論した末に削られたという。

上松氏によれば、番組の主題は、あくまで「心の準備はいいですか?」であると考え、若者に希望が持てる内容を目指すべきだと決断した。実際に未来を歩むのは、NHKの視聴層である高齢者でなく、今から社会へ進出する若者たちなのだと。

 

続いては、立命館大学の新清士氏が、VRにフォーカスした論題を展開してくれた。

まず第一に、VRの定義を「仮想現実」ではなく、「現実とは別に作られた完全な物理世界」であることを強調し、欧米におけるVRの認識が、新たなフロンティアを開拓することと同義だと説明する。

そして、VR技術のボトルネックとなるのは、プレイヤーに映像を伝達するコンタクトレンズと、実際に立体映像を撮影するためのカメラである現状を例に挙げ、

デジカメのイノベーションという前例から、10年で飛躍的にコストと画素数が改善され、誰もが冠婚葬祭に即して3Dカメラを導入し、大切な思い出を立体映像で残せる日も近い、決してVRが遠い未来の技術でないと訴えた。

 

個人的な感想

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以上のように、講演は濃厚な内容になっていて、1時間15分はあっという間なものだった。

さて、次は自分の感想と疑問を抱いた点について述べていこう。

 

まず、番組の内容として「Oculus」に留まらず、五感によるVR体験を可能にする「テレイグジスタンス」を掘り下げている点はとても嬉しかった。

番組の主題は「2045年」であり、Oculusのそれは2015年現在で半ば実現している以上、その更なる未来にある「インタラクティブメディア」も含めて考察する視座が、NHKという巨大組織で実現した事自体、プロジェクトの寛大さが伺える。

 

また、上松氏による制作の話も興味深かった。

「デジタルクローンの出資者はトランスジェンダーだった」とか、「クローン出資者は4万人で中には日本人もいる」のような裏話もさながら、

予想されるネガティブな予想、例えば、「テレイグジスタンスで使うロボットが万が一遭難したらどうするのか」という予想に対し、「自動で帰還できる設定で」と別途に仮想していた、等という製作陣の構え方も面白い。

 

疑問点

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意外に感じたのは、上松氏が「Twitterでの反応は予想以上にネガティブだった」と話したことだ。

確かに、本来娯楽であるゲーム業界に、専門用語の飛び交う学会のように仕立てる必要もないが、それでもそんな僻地に特化してコンセンサスを取る必要はあるのか。

そもそも、ネット自体が「世俗」の一部であって、しかもTwitterの中で「Twitterで積極的に呟く人々」となれば視聴層の何%だろうか。少なくとも、Twitterに触れていない私の友人は、素直に番組の希望的観測を受け止めていたが。

私の小さなブログならTwitterも貴重な意見だが、あえてSNSを挙げたことに、少し選民的・囲い込み的な違和感を感じてしまう。より全体的な反響を鑑みた反省を聞きたかった。

 

また、一番引っかかった点だが、上松氏や司会の細井浩一氏が触れた「未来技術に対し、北米では楽観的、日本では悲観的」とか、「日本ではゲームに対する偏見がある」というゲームを語る上での、番組を構成する上での前提は、私には理解できない。

ハッキリ言って、「技術に対する理解」など、北米だろうと日本だろうとアフリカだろうとほとんど変わらない。そりゃ、将来的な技術を構築する専門職に取材すりゃ理解してくれるでしょとは思うが。

せいぜい、「特定の技術」が進行する過程及び時期にズレがあるかないか程度で、ゲームに限らずあらゆる技術にズレはあり、それは泡沫のような事象だ。

 

そもそも、アメリカだろうと、教会は根強く残っていて生命科学は国家的に封殺され、逆に宗教への偏見が信仰の自由を奪い取っているとか、いくらでも例はある。日本もまた然り。

「ゲームへの偏見」にしたって、無料配信されている「Free to Play」というe-Sportsのドキュメンタリー映画において、シンガポール・ウクライナ・アメリカの「一流プレイヤー」たちでさえ、周囲の理解を得ることにいかに苦労しているかが、天下のValveの手で描かれたのは最近のこと。

その上で、日本とアメリカの「楽観的・悲観的」「理解がある・理解がない」の相対化が誤謬であることなど、フッサールの現象学を持ち出すまでもない。

(別に「日本とアメリカは同じ国だ」という話ではない。ただ、個々の認識における議論が不足している前提を、価値観の相対化及び比較で埋め合わせるのは不可能だという話。)

 

また、科学への「悲観的」な反応を、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を掘り下げないまま語ることは厳しいだろう。人的被害に留まらず、未だ何も解決せずにいるこれらの問題を、NHKは根強く取材を続けていただけに、同じディレクターの言葉から、これほど「畑違い」があったことが残念でもあり、新鮮でもあった。

(言うまでもないが、ここで反原発云々の話をしてるわけでない。「現代日本」と「技術」に、市民や社会の「環境」を語る上で、これは絶対に抜けないという話。)

 

とまぁ、長々と語ってしまったが、それも上松圭氏と新清士氏の議論が充実していてこその話。学ぶものはとても多く、とりわけ取材や番組制作における議論は眉唾ものだった。

これほど価値ある議論を提供してくださった両氏に、心から感謝を申し上げたい。