ゲーマー日日新聞

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【評価】『アサシンクリード3』の感想やレビュー 愛国心に踊る少年兵の悲哀

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ゲーム概要

広大なオープンワールドをメインにした歴史アクションゲームである、UBIの『アサシンクリード』のシリーズ5作目。

本作では、独立戦争を目前に控えたアメリカを舞台とし、主人公のインディアン、コナーは故郷を焼き払った犯人を「テンプル騎士団」だと認定し、復習を誓う。

 

受け入れがたい主人公

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まず最初にお伝えしたいのが、この『アサシンクリード3』は、シリーズの中でもかなり微妙な評価で落ちついていることだ。

理由としては、ぎこちないアクションや、不親切な設計もさながら、ストーリーと主人公に不満を持っている方が多いようである。

例えば、本作の主人公コナーは、テンプル騎士団とイギリスを「間違っている」と断言し、アメリカの正当性を強く主張する。いわば、彼の性格に「政治的主張」が強く現れており、まして、その政治思想を根拠に自分の数々の暗殺、暴力を正当化しているのである。

これは、あくまで「ダークヒーロー」として、粛々と任務をこなした歴代アサシンに対しても、対照的な主人公と言え、ゲーマーにあまり受け入れられなかった。どう考えても、「自由」や「アメリカのため」という大儀が、日本人の我々に受け入れられようもないからだ。

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だが、一歩引いて、この作品を「寓話」と捉えた場合、安易な「アメリカ万歳」作品ではなく、むしろ今まで切り込んだことのないディープなメッセージへと繋がっていると私は思う。

そのメッセージは、「少年兵」と「愛国心(ナショナリズム)」に繋がる。とある少年に殺人の才能が芽生え、そこにナショナリズムが沸き立って生まれた物語が、この『アサシンクリード3』である。

今日お伝えするのは、その少年兵コナーの悲劇である。

 

高まるナショナリズム

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ナショナリズムという言葉が悪名高いものとされるのは、第二次世界大戦からであるが、民族の固有性を訴える主張はむしろ、本作が舞台とする18世紀から存在していた。

そもそも、アメリカ独立戦争は大英帝国による植民地支配からの独立、そしてアメリカ国民の自決こそが目的であり、ゲームのそこら中に独立と憤怒の気運の高まりを感じさせる描写が残されている。

ズバリ、本作の舞台は「ナショナリズム」の気運が歴史上初めて台頭した時代なのだ。

 

では本作における「ナショナリズム」がどう反映されているのか検討しよう。

本作の主人公、コナーはインディアンの集落で育った素直な少年だったが、そこに英軍を連れたテンプル騎士団が襲来し、コナーの母親もろとも集落を焼き払ってしまうところから物語が始まる。

孤独になったコナーは、強者の暴力には暴力で対抗するしかないと考え、アサシンの老人アキレスの元で修行をし、インディアンやボストン市民の代表としてイギリス兵を暗殺し始める。

だが、次第に彼の名声が広まり、イギリスとの戦争が近づくと、コナーはアメリカ軍の一員たる兵士として独立戦争に介入し、その戦争の結末と共に物語はクライマックスを迎えるのだ。

 

ここで面白いのは、コナーの目的が次第に変化している点だ。最初は母の仇を討つべくテンプル騎士団と戦うはずが、次第にそれがイギリスと戦うアメリカの仇を討つことに置き換えられてしまう。

そこには、常に大陸軍の「大人」がいた。彼らは「自由のためだ」「自由は素晴らしい」といってコナーを持ち上げ、イギリス軍の矛盾を指摘する。テンプル騎士団とイギリス軍は同盟を結んでいるのだから、イギリス軍と戦うのは、テンプル騎士団と戦うのと同義だとも説く。

この二つのロジックに、コナーはまんまと乗せられ、ワシントンやパットナムといった大陸軍の利益のために戦い続けることになるのだ。

 

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つまり、コナーは本来あった自分の意志で戦ってはいない。自分の意志で戦うべきは、テンプル騎士団、中でも自分の父親たるケンウェイであって、イギリスはほぼ無関係のはずである。(確かにテンプル騎士とイギリスは同盟だが)

師のアキレスもその矛盾に気付き、うっすらと止めはするものの、コナーは少年故の純粋さでアメリカへの陶酔を強め、次第に自分の殺人を、合衆国のロジックで正当化し始める。最初は故郷を取り戻すといった具体的な目的が、「自由」という抽象的な目標となり、復讐はいつまでたっても終わらない。

また、コナーの燃やす愛国心とリンクするように、アメリカ国民もまた憤怒と暴力によるナショナリズムをどこまでも高め、「ボストン茶会事件」のような暴動が頻発する。そして、暴力の象徴たるコナーを、英雄視する者まで現れるのだ。

ストーリーの終盤、独立戦争が終わっても、コナーはなおテンプル騎士団を追い詰め、最後のメンバーを暗殺する。だが、既にアメリカの大儀を説く純粋さは失われていた。

 

そして戦争が集結し、ワシントンが大統領に就任した時、コナーに残されたものは何だったか。

最後に残ったのは、奴隷売買が公然と横行する「自由なアメリカ」と、自分がイギリスから守ったはずのインディアンの土地が、合衆国によって再び売り払われたという裏切りの真実だけだった。されど、悲嘆するコナーの隣に座る者は、誰もいなかったのである。

 

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オープンワールドに触れて恢復するコナー

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だが、ただ「悲劇」として終わらないのが、本作『アサシンクリード3』の素晴らしいところである。

何故なら、「ストーリー」では大人に利用されているコナーも、「フリーローミング」という別のゲームプレイでは、新たな人生を歩み、愛国心に振り回される悲哀を緩和しているからだ。

 

まず、本作がただのアクションゲームなら、次々に要求される課題をこなすだけで、それこそ『Bioshock』で描かれたような、「利用されるだけ」という悲哀が強まるだろう。

だが、本作はオープンワールドゲームである。ミッションを遂行するタイミングは自由で、普段は広大な世界を練り歩いたり、自然と触れ合うことで過ごすことも出来る。

ここで活きるのが、巷で面倒臭いと不評だった、「ホームステッドミッション」だ。これはいわゆるサイドクエストで、コナーが自分の土地に様々な住民を呼び込み、共に村を発展させるという、ナショナリズムとは正反対の自給自足の生活を営むものだ。

内容も、憎悪の暗殺ではなく、動物の狩猟であるとか、植民地軍に虐待されている住人の救出といった、より合理的なものとなっていて、多少暴力的であっても政治的なものではない。

ここに、コナーの「快復」が描かれる。国家に振り回される苦悩から開放され、純粋に同胞のために力を使い、自分たちの理想郷を築く。

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更に言えば、ストーリー以外の場面でも、馬にまたがり、猟銃を携え、アメリカの新天地たるオープンワールドを楽しむことで、ストーリーモードと対照的な「自由」が見えてくる。

本作のオープンワールドは、従来作と比べて自然は多いが建物が少なく地味だと不評だったが、上記のストーリーから開放される快復の場面と捉えると、むしろ自然が多い方が効果的だと言えるだろう。

また、父親ヘイザムも名脇役で、最終決戦ではコナーの矛盾を指摘しながらも、父親として見守るまなざしや、共闘するシーケンスでの温かい言葉が、アサシンとして生きるコナーの救いとして引き立てている。

 

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(ヘイザムには、他に「繰り返し言ったぞ、自由とは危険なものだと。お前が手を貸してきてやった連中の意見がまとまることなぞ決してあるまい。自由とはなにか、奴らの考えはてんでバラバラだ。」など、数十年後の「南北戦争」を予見しているような、興味深い台詞も多い。)

 

最後に。本作は『アサシンクリード4』と比較してこそ魅力が理解できると思う。『アサシンクリード4』は、「海賊」という職業を建前に、イデオロギーその他から開放される、真に自由な作品として描かれた。

確かに自分の意志があり、オープンワールドとしての面白さとも噛み合っていた名作であるが、正直平凡なゲームだった。実際、現実編では『アサシンクリード4』の海賊編を指して「誰もが楽しめる、アブスターゴ社の娯楽作品」とゲーム内で解説されているのだ。

言うならば、『アサクリ4』の快楽性は『Farcry 3』に近い。ならば、本作は『Farcry 』である。苦味は伴うが、相応の深みと衝撃を楽しめるだろう。本作を微妙と思った人も、是非もう一度このビターな悲哀を楽しんで欲しい。

悲哀と現代性の込めた濃厚なストーリーテリングと、それを優しく包み込むようなオープンワールドのデザイン。二つの合致が、アサシンクリード随一のゲーム性を確立している。