ゲーマー日日新聞

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【評価】PS4版『風ノ旅ビト/Journey』の感想やレビュー 唯一無二の巡礼ゲーム

 

人びとに、巡礼するよう呼びかけよ。かれらは歩いてあなたの許に来る。あるいは、どれも痩せこけているラクダに乗って、遠い谷間の道をはるばる来る。

-『クルアーン』22章 27節

 

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開発:Thatgamecompany

対応:PS3/PS4

発売:2012年3月14日

ジャンル:アドベンチャー

 

ゲーム概要

Thatgamecompanyから開発された、PSN配信のアドベンチャーゲーム。目的も敵もない砂漠で、無言の旅を続ける。

ゲームらしからぬ作風でありながら、その独特な感性が評価され、国内外で強く支持されている。

 

実はしっかりしたゲーム

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小さな規模で作られた本作が、世界中で話題になった理由の一つに、素晴らしい世界観が挙げられる。

まず目を引くのが、美しい砂漠の描写だ。波のようにうねる砂や、蜃気楼のように揺らぐ廃墟の姿は、観るものを圧倒するものがある。

まるでデヴィッド・リーンを思わせる世界に、本作が小規模の予算で作られたことなどすぐに忘れてしまうだろう。

 

それだけではない。本作のアート的ゲーム体験は、丁寧なレベルデザインに基づいて作られている。

例えば、砂の波に乗って移動するシーケンスや、少しずつ難しくなる謎解きもあって、数時間のゲームプレイを飽きさせない。そう、本作はゲームとしてプレイしても十分面白い。

また、序盤から向かうべきゴールが「山頂」という形で表現されているので、プレイヤーが迷うことも少ない。雰囲気を壊さないためにマップやコンパスを画面から消しつつ、プレイヤーをスムーズに誘導する離れ業をやってのける。

 

このように、本作は決して「雰囲気ゲー」に胡座をかくだけの作品ではない。美しいアートもさながら、ゲームとしての面白さも盛り込まれ、更にプレイヤーにストレスなく遊べる配慮も備わっているのだ。

むしろ、一つのゴールを目指して、砂漠を駆け抜け、ダンジョンをくぐるという、ゲームの王道そのものだ。本作を飽きずにプレイ出来るのは、『スーパーマリオ』と同じ感覚で遊べるからではないだろうか。

 

虚無的で、目標のない旅

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さて、本作が見事なアートとゲームの王道に則って作られているとして、一つ疑問が湧く。

主人公は一体何のために旅を続けているのか、と。

 

私が本作を遊んでいて感じたのは、何となく「難しい」ということだ。

何故か。本作はゲームこそ簡単だが、主人公自身の旅があまりに虚無的で、楽しそうに見えないのである。

例えば、マリオがピーチ姫を救うのは、己の正義に基づいた使命感がある。GTAのギャングが大暴れするのは、自分がリッチになるという欲望あってのことだ。『ICO』ですら、「敵に囚われたから脱出する」という目標がある。

一方で、本作は延々砂漠を駆けて、石碑に触れて回るだけで、その行為に何の意味があるのかほとんど説明がない。

おまけに、ゲームを進めてもコインや武器といった報酬は貰えない。プレイヤーに対するインセンティブが、尽く引きぬかれているのである。

 

さらに言えば、砂漠を舞台とした世界観は美しいものの、決して従順な観光地に収まってはくれない。実は、ゲームプレイを阻む障害は、ほとんどが自然だ。

例えば、冒頭の美しい砂漠。最初はなんて美しいのだろうかとプレイヤーも眺めていられるが、数時間も歩いていれば広すぎる砂漠の光景に途方に暮れてしまうだろうし、

その他にも、積み重なった砂山、山頂で出迎えてくれる吹雪など、最初は美しいだけだった自然は、天然の城塞となってプレイヤーに襲いかかるのだ。

 

唯一無二の巡礼ゲーム

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このように、本作は優れたグラフィックに、充実したゲームプレイと、それだけなら文句なしの素材を揃えておきながら、

報酬なし、目標なし、話しかけてくれるNPCもなしと、あまりに虚無的な旅を続けることで、単なる快楽的な体験で終わらせようとしない。

では結局、本作の魅力とは何なのか。

 

私が思うに、本作の面白さは、ズバリ「旅」の喜びを、そのままゲームで体験させることに成功した点にある。

ツーリングなり山登りなり、一人旅に出たことがある人ならわかるだろう。

一人旅は本来、金も労力も使う割に、ほとんど快楽はない。歩み続ける苦しみ、噛みしめる孤独。それでも、旅を続けていれば見えてくる、筆舌に尽くしがたい達成感。

私が大好きな小説で、孤高に生きる人生を「旅」として描いた、『夜の果てへの旅』という作品には、こんな有名な一説がある。

 

「僕らが一生通じてさがし求めるものは、たぶんこれなのだ、ただこれだけなのだ。つまり生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。」

-ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』(中公文庫)

 

私が本作の険しくも美しい旅を愛したのは、正にこの一節に現れた、苦痛と快楽の狭間にある「巡礼」を表現していたためだ。

大自然に身を投げ、圧倒する砂漠に溺れながらも、一歩一歩と山頂に向かって足を運ぶ巡礼の旅。

冷静に考えれば、続ける理由は何一つないのに、一度その味を知れば、何度でも足を運びたくなる、旅の喜び。本作にはそれが満ちていた。

 

本作は、直接的な快楽が薄い。少なくとも、ワイキキビーチではしゃいだり、サファリバスで動物たちを鑑賞するような面白さを、私は本作の旅で感じることはなかった。

何故なら、美しい砂原を再現する一方で、無人の寂寥感を描き、高度なゲーム性を堅持する一方で、何ら目的も報酬も与えないためである。

しかし、それは本作で体験する「巡礼」の副次効果でしかなかった。本作が本当に描きたいのは、美でも孤独でもなく、その最果てにある、巡礼者の喜びに他ならない。

 

だからこそ、私は初見プレイはあえて「ソロプレイ」で挑戦して欲しい。確かに二人いれば旅の楽しさは増すかもしれないが、娯楽らしからぬ「巡礼」の苦味と喜びは薄まってしまうのだ。

さあ、今こそPS4で生まれ変わった「巡礼」を、既にPS3版をプレイした人にも堪能してほしい。