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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

マリオメーカーに挑んだふぅ氏の擁護とゲーム実況の衰退

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ゲームという文化がネットに浸透する上で、もはや外せない話題となった「ゲーム実況動画」。

その導き手となったのが、動画や配信を彩る「実況者」たちであり、中には「ゲーム」ではなく「実況者」目当てに人が集まるほどの、カリスマ的な存在も誕生するようになった。

 

そんな中、投稿されたのがこの動画だ。

動画を掻い摘んで説明すると、動画配信サービスの『ニコニコ動画』では、有名実況者たちがこぞって、これまた有名な新作である『マリオメーカー』を題材にした作品をアップロードし、それらが相乗的に話題を呼ぶことで、一時的にランキングを彼らの動画が支配している状況に対し、このふぅ氏は苦言を呈している。

任天堂の新作である『マリオメーカー』は注目相応に再生数が稼げるし、さらに任天堂が参入した「クリエイター奨励プログラム」により、本作を題材とした動画の制作が公認されたことに加え、再生数に応じて報酬が加算されることも、このムーブメントに拍車をかけているのだ。

 

ふぅ氏によるこの「糾弾」は、今やネット中に拡散され物議を醸している。

本稿では、今やゲームの最も有力なメディアの1つである実況動画を通じて、私自身、実況者でもないし、まして実況動画を観る機会も少ないが、ふぅ氏の意見が正鵠を射ていると論じたい。

 

ゲーム実況の内実

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ゲーム実況の歴史はそれなりに長く、私の記憶する限りはニコニコ動画の最初期から既に存在していた。

今では、ニコニコ動画における最も有力なコンテンツとも呼べるこのゲーム実況は、

①:友達と一緒にゲームを遊んでいるような感覚が得られる

②:古すぎるゲームや、高難度なゲームも、動画なら楽しめる

③:高度なテクニックや裏技を駆使した独特のゲームプレイを学べる

以上のような理由で、支持されてきたように思う。

ここに、更に「実況者」のなす「独特な編集」「面白いトーク」が加わり、ゲーム実況はゲームを「遊ばずに楽しむ」、暇つぶしに持ってこいなコンテンツとして受け入れられた。

 

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しかしながら、様々な要因が重なることで、徐々にこうした「面白い実況動画」は数を減らし、代わりに思わず首を捻るような動画が今では評価されているようである。

まず、氏の動画をきっかけに、改めていくつかの実況動画、特にこの動画内で挙げられた人物の作品を拝聴させて頂いたが、そのほとんどの作品が結論を述べると「つまらなかった」。

何が悪い、これが気に入らないというのでなく、とにかく何もないのだ。「当たり障りない」とも言うべきかもしれない。例に挙げた「編集」「トーク」「珍しい作品」「プレイの技術」、何一つ持ち合わせていないのだから、評価しようもない。

まずゲームを遊ぶ。チュートリアルのような説明をする、驚くべきところで驚き、笑うべきところで笑う、あとは黙々とプレイする。これが延々何十分と続く。とてもじゃないが、ゲームを楽しんでいるように思えない。

複数人集まって実況するタイプの動画も存在したが、そちらもまぁ面白いが、端的に言って「ほんとにこいつら仲良いのか」と思う程の会話で、やはり他に観るべき点がない。何より、複数人が同じようなゲームプレイだから、見分けがつかない。

 

それでも尚、彼らは評価されている。いやむしろ、淡白であればこそ、普段ゲームをしないユーザー、主に女性や子供の層にウケるのだ。

何故なら、その実況者や実況者を取り巻くコミュニティ自体が視聴者の目的である以上、そもそもゲームは話題程度で十分であり、むしろゲームへの極端な情熱をアピールすれば、ゲームへの感心にばらつきのあるファンの微かな繋がりを破壊してしまう可能性もある。

総じて、今のゲーム実況というのは、過去に評価されていたそれ(過去にどれだけあったかはおいといても)とは大きく異なり、むしろ「ニコニコ動画」に内包される「ソーシャル性」のみが追求されたものばかりだと、私は考える。

(興味深いことに、氏の挙げた実況者の作品は題材となるゲーム以外、ほぼ同じ内容であった。)

 

公式実況動画は「囲い込み」に過ぎず、問題は解決しない

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ふぅ氏は動画内で、昨今における動画の「衰退」の根源の1つに、任天堂らによる「クリエイター奨励プログラム」を挙げていたのだが、(最も、これを批判してるわけでない)

同時に、ふぅ氏の意見が最も批判されているのもこの点だ。

 

つまり、ふぅ氏の批判する「有名実況者」は、任天堂らによる公式のお墨付きを得た「公式実況動画」を投稿している。

本来、「実況動画」は法的に危うい立場にある。ユーザーの独断で公開されたゲームプレイを、ゲームを購入せず誰もが自由に観賞できる。アニメや映画が公開されれば、紛れも無く著作権侵害となるが、ゲームにおいても例外ではないはずだと。

ところが、実況動画の求心力が高まるにつれて、任天堂は「クリエイター奨励プログラム」によって公認し、アメリカ大手のEAも「コミュニティから発せられる創造性にも常に前向き」と評し、実況動画を公認している。更には、実況者が企業に招致されて宣伝することもある。

それに乗じた彼らが批判される謂れはなく、むしろ「公式」の許可を得ていない大半の実況者(ふぅ氏を含めた)こそ、むしろ知的財産保護の観点から批判されるべきではないか… こういう批判が氏の動画には集まっている。

 

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しかしながら、私はこの「公認」には極めて懐疑的である。

まず、現状「有名実況者」として挙げられる、大半の実況者は、「非公認動画」からスタートしていることを忘れるべきでない。

それどころか、彼らが「有名実況者」として、公式からのオファーを受けられたのは、他ならぬ非公認動画において実績を積み重ねたからであり、もし実況動画を「法的にアウト」だとするなら、彼らは一様に「アウト」となるだろう。

言うまでもなく、後から「公認」を得たところで、それまで著作権を侵害し続けた事実は消えない。それどころか、そのような「犯罪」を繰り返して得た信頼で、企業と取引していることにもなる。

何より、彼らは実況動画を肯定している「任天堂」の作品ばかり実況しているわけでないだろう。SCE、SEGA、果ては海外のインディーズゲーム。仮に任天堂の許可を得たところで、彼らの許可までは得ていない。

即ち、公式だろうと非公式だろうと、客観的に考えて「実況者」は等しく、極めてグレーな部分を渡ることで実況動画を作っている。そこにふぅ氏と他実況者の違いはなく、この点でふぅ氏を批判することも、まして、実況動画の「グレーさ」が「公式」で解決されないことは明らかである。

 

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そもそも、任天堂のクリエイター奨励プログラム自体も、私自身は違和感を感じる。

まず第一に、任天堂のこの行動は、一種の「囲い込み」ではないか。

そもそも、任天堂にとって最初から好意的なユーザー、実況者の集まるニコニコ動画に狙いを絞り、彼らは許可を出している。(公認する作品は任天堂が選んでいる)これにより、単なる「売上」よりもむしろ、大衆の「信頼」を効率よく獲得できる。

「公式」という権力を振りかざし、「グレー行為」によって増長した実況者たちを利用し、ファンコミュニティに介入を図る。

ネットの評価が大きく影響するゲーム業界では、確かに有効な戦略であると同時に、ただでさえ腐敗しやすいネット世論にとって、これほど危険な行動はない。企業と実況者とファンが癒着し、その企業が神格視され、その評価が偏ることは想像するに容易い。

まして、パブリッシャとディベロッパが分離する海外の企業や、インディーズの企業にとって、そう簡単に「公認」を与えることは難しい。だからこそ、任天堂はこの顧客を独占できる。

純粋な市場原理に照らせば、むしろ任天堂は評価されるべきだろう。しかし、ゲーム市場は金融市場でも、まして資源市場でもなく、1つの文化の市場である。文化への「敬意」と、創造性への「評価」が、本物の「売上」へと繋がる市場である。

だからこそ、このような評価と信頼を膨らませる癒着は、ゲームという特殊な市場にとって、手放しで喜べるものではないのではないか。

 

ゲームのためのゲーム実況を

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結局のところ、現代において「ゲーム実況」を取り巻く環境は、その勢いに反して、決して改善されていないといえる。

ゲーム実況そのものの可能性は、誰かに深められることもなく、むしろコミュニティの拡大ばかり目を向けられ、

またゲーム実況の合法性についても、任天堂による「囲い込み」公認の裏では、有名実況者は俄然「グレーな動画」を投稿し、

爆発的に増えたユーザーは、もはやゲームへの関心を単なるゴシップにのみ捉えている。

 

正直なところ、現代の「ゲーム実況」がつまらないと呼ばれる理由は、視聴者にしろ投稿者にしろ企業にしろ、「ゲームを楽しむ」という当たり前の目的を、すっかり忘れてしまい、むしろ「ゲーム実況」自体が目的と化したためではないか。

ゲーム実況は大きなマーケットだ。

「ゲーム」が「動画」へと変換される過程で、能動的な「遊ぶ」から受動的な「視聴する」へと、個人が向き合う「作品」はソーシャル性のある「話題」へと、プレイする「私」からプレイしてくれる「アイドル」へと、変換され、今のゲーム実況は評価されている。だがそこに、「ゲーム」という本来の姿は残っているのだろうか。

私は何も、尊きゲームを崇めよと言っているわけでない。「ゲームに興味はないが、まぁ動画くらいなら観てやろう」という人の気持ちもわかるし、それが商売や趣味となるなら、それもその人の自由だろう。

 

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では何が問題なのか。それは、このような状況が「ゲーム実況」そのものを衰退させてしまうからだ。

もはや、ゲームの代わりにファンを、面白さの代わりに権威を求めたゲーム実況は、新たな魅力を提示することなく、ズルズルと使い古されたメソッドとファンだけに依存している。

今こそ、まだ活況のあるゲーム実況であるものの、土台を失ったユーザー主体のカルチャーなど、成立しようもない。進んで「公認」を受け入れたユーザーは、題材となるゲームを自由に選択できず、またファンの希薄な繋がりを埋め合わせることに終始する。

そうなったゲーム実況は、遅かれ早かれ衰退を迎えるだろう。実況者目当てのファンが末永くこの文化に留まる保証はなく、今の高校生のファンが大学生になってもファンであるとも限らない。元々ゲームが好きだった人たちは、この閉鎖的なコミュニティに嫌気が指し、既に退去を始めている。

やがてゲーム実況は、少なくともニコニコ動画において「使い潰される」。更には、カジュアル層全体を包んでいた実況者のコミュニティが収縮することで、ゲームそのものも少なからず打撃を受けるだろう。

ゲーム実況の面白さを純粋に追求するふぅ氏が危惧しているのは、法的な問題でも、ましてランキングの公平性でもなく、長期的に観た「ゲーム実況」が「消費」されつつある傾向ではないだろうか。

 

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では最後に、このようなゲーム実況という文化の衰退に対して、どのような対応が求められるのだろうか。

それはズバリ、先述した「ゲームを失ったゲーム実況」の代わりに、「ゲームのためのゲーム実況」が評価されれば良いと思う。

 

その典型例は、これは興味深い偶然だが、ふぅ氏の動画である。これはいずれ別の記事にまとめたいと考えていたが、彼の動画は実にゲームへの理解と愛情に富み、様々なゲームプレイを見せてくれる。

『Dark Souls 2』を題材とした氏の動画では、「自分が好きな武器」「自分が苦手とするボス」などを次々にトークに盛り込み、様々なプレイスタイルでの攻略法を見せつつ、また編集によるユーモアも忘れない。

彼だけではない。例えば、ニコニコ動画でも最も評価される幕末志士氏の動画では、『スーパーマリオ64』を興味深い独自のルールを設けて、これまたテンポよくプレイしているし、

もこう氏の動画では、『ポケットモンスター』の対戦における巧妙な駆け引きや、『ポケモン』ならではの運要素や理不尽なバランスにツッコミを入れつつ、動画を盛り上げている。

 

彼らは一様に、ゲームを「理解」し、そのゲームの魅力を引き立てている。これこそが、まさに「ゲーム実況」を「作品」たらしめ、彼ら実況者を「クリエイター」たらしめているのであり、ゲームの未知なる可能性を、視聴者に与えている。

今後、ゲームという文化と足並み揃えて発展するのは、このようなゲームのためのゲーム実況、そして、ゲームが好きな人間が、ゲームに興味を持った人間のために録画する動画なのではないか。

何も、マニアのためのゲーム実況を求めているわけでない。だが、自分はゲームとゲーム実況が好きであり、前向きに貢献したいと考えているという意思に代わるものを、今の実況者たちは持ちえているのだろうか。

「ファンを囲ってゲームを遊んでる人たち」が「ゲーム実況者」と認められる日は、その真摯な姿勢を持ち合わせる人たちが評価される日だろう。