ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

なぜ『COD:BO3』の架空銃はダサいのか?「FPS」と「銃」の話

f:id:arcadia11:20150918000739j:plain

世界を代表するAAA級FPSタイトル、『Call of Duty』の最新作である『COD:BO3』をプレイした。

舞台を現代から未来へ移し、兵器や主人公もSFらしい最新兵器をジャラジャラさせるという、大幅な路線変更に踏み切ったものの、ゲームそのものはこれに準じて面白いものへ改良されていると思う。

しかし『BO3』には、私にとってどうも許容し難い欠点が1つあった。

 

それはズバリ、「銃がダサい」ということである。

『BO3』に採用される銃のほとんどが、Treyarchの作った全く架空の銃であり、今まで『COD』で採用され続けた「M16」や「AK47」のような実在する銃が使えないのは極めて残念なことだ。

ファンも同じことを考えていたようで、日本でも『COD:WAW2』(第二次大戦を舞台にしたCOD)が欲しいという声、単に現実的な世界観への回帰を望む声もある。

では改めて、何故『COD:BO3』の「架空銃」がダサいのか、同時に従来の『COD』における「実銃」がどのような貢献をしたのか、そもそもFPSにおける「銃」の役割とは何か考えたい。

 

FPSにおける主人公とは、誰か?

f:id:arcadia11:20150917235408j:plain

これは、世界的に有名なアクションゲーム、『New スーパーマリオブラザーズ』のスクリーンショットだ。

さて、このゲームを遊んでいるプレイヤーは、普段この画面のどこに注目しているだろうか。

それは恐らく、主人公たる「マリオ」のはずだ。プレイヤーは、ノコノコでも、土管でもなく、プレイヤーが唯一直接動かせるマリオを注視して、ゲームを進めていく他ない。

プレイヤーは、マリオの姿を介して、世界に触れ、ステージを攻略し、物語に没入できるのである。

 

f:id:arcadia11:20150917235536j:plain

では、この『Call of Duty: Modern Warfare 3』のスクリーンショットではどうだろうか。

残念ながら、ここに主人公マリオの姿はない。何故なら、このゲームはカメラを主人公の一人称視点に固定したゲーム、即ち、この画面そのものが主人公の視点だからだ。

私はそこで、「銃」に注目すると思う。

何故なら、この画面内で唯一、「主人公(自己、或いは現実を介する象徴)」を認識できるものが、「銃」に集中されるからである。

 

最も、いくら銃を見つめても、ゲームに勝てるわけではない。乗り越えるべき障害物、倒すべき敵兵、頻繁に変化するレーダー。これらも、銃以上に重要だ。

しかし、ゲームを攻略する上で、そもそも銃が使えない、マリオが動かせないでは話にならない。プレイヤーがゲームを攻略する、まず第一の糸口はといえば、それは銃を適切に扱うことなのだから。

実際、『CoD4』のシングルモードにおける最初のミッションは、「射撃訓練」だ。敵も目標もないステージで、プレイヤーはまず「銃」という最初の相棒に触れる。

(映画『フルメタル・ジャケット』の「銃は自分の女だと思え!」という話も、まんざらゲームでは嘘じゃないかも。)

 

f:id:arcadia11:20150812210555j:plain

これは単なる、「メカニクス」や「物語論」の話ではない。

むしろ、ゲームにおける体験、駆け引き、物語において、それだけ「主人公たる銃」が基幹を担うことに繋がれば、「銃」は即ち、プレイヤーがゲームを理解するための「記号」であり、「インターフェース」であり、「ルール」にもなりうる。

例えば、「マリオ」の風貌は万能のスーパーマンではなく、頼りない配管工であり、シビアなアクション性をプレイヤーに間接的に伝えている。事実、マリオは最弱の敵「クリボー」に、触れただけでも絶命してしまう。だからこそ、慎重な行動をプレイヤーは考える。

或いは、『Grand Theft Auto V』に登場する「Trevor」は、狂気を孕んだ表情によって『GTA』を代表する「暴力性」を端的に表している。現に、『GTA』らしいコミカルながらバイオレンスなミッションの多くに、印象深い外観の「Trevor」の人格が発揮されていく。

 

これらの例は、FPSにおいても同じではないだろうか。

一見粗暴な作りで、テロリストも使っている「AK」は、高火力だが扱いが難しい。小綺麗なサブマシンガン「MP5」は、扱い易くとも遠距離戦は苦手とするだろう。

このように主人公のもたらす印象は、画面内から提供される情報の中で、とりわけ「弱そうなオッサン」「粗暴そうな銃」といった、簡略化された「記号」となって、ゲーム性を理解し、同時に駆け引きを作る世界観に至るまで、重要な役割を担うのではないだろうか。

 

主人公の重要さ

f:id:arcadia11:20150917235950j:plain

このように、FPSにおける「銃」とは、本来マリオやリンクといった「主人公」に匹敵する程に重要なファクターであり、同時に、ゲームプレイそのものにおいても、あらゆる調整と性格を表す、「記号」なのである。

 

それを踏まえて、従来までの『COD』における「銃」は素晴らしい主人公だったと思う。

単純に、「M4」等を装備するアメリカと、「AK」を装備するロシア、そして第三国の対立図を明確に表したことで、ストーリーや世界観をすぐに飲み込めたし、

もちろん、ただモチーフに実銃を使っただけでなく、隅々まで描きこまれたテクスチャ、かっこいいアニメーション、性能と外見のリアルな一致など、実銃への敬意が世界観への「リアリティ」に対する信頼を構築していた。

 

そして同時に、「主人公」として精緻な銃が展開する、ミニマムな面の「リアリティ」と対比するように、ハリウッドライクな「物語」や美しい「舞台」といった、マキシムな面の「娯楽性」が絶妙に混ざったのが、従来の『CoD』だったのではないか。

 

(『MW2』では「TAR-21」や「F2000」の専用スコープが用意されたり、『BO』では「AK47」にオレンジ色のマガジンを装備させるなど、とにかく芸が細かった。)

 

f:id:arcadia11:20150918000109j:plain

f:id:arcadia11:20150918000204j:plain

もちろん、私は仮に架空銃であっても、SFを舞台にしていても、それが合理的なデザインであれば、ぜひとも体験したいと考えている。

何も私は、一方的に特定の人種を嫌うように、偏見で架空銃を差別しているわけではない。

それでも、『CoD:AW』や『CoD:BO3』の銃は、ダサかった。

まず見た目の差がほとんど伝わらない。どれも同じような銃だから、自分が今何の銃を使っていて、どのような性能であったか、ゲーム中にピンと来ない。

それに、せっかくロボットやドローンのような世界観は素晴らしいのに、何故銃だけは前時代的な実弾を使い、既存のライフルにアルミを貼り付けただけのような、「未来性」を感じさせないのかわからない。

更に、実銃ならバレル、マガジン、スコープといったパーツの1つ1つに機能があるのに、架空銃では明らかに不要なギミックやパーツが優先され、まるで機能性を感じない。

 

もちろん、これらの銃でもカッコいい銃は存在した。それでも、やはり使っていて楽しくなく、「コイツと一緒に頑張ろう」という気がおきない。

どことなく過去の栄光を引きずり、それでいてマンネリを打開せねばならない焦燥感。現代の『CoD』、いやマンネリが進むあらゆるFPSの限界を、これらの銃は象徴しているように思える。

 

f:id:arcadia11:20150918000337j:plain

一方、FPSにおける架空銃の好例は、まず『Quake』が挙げられる。

攻撃性をむき出しにした「Lightning Gun」と、当てた時のカタルシスを体現した「Plasuma Gun」のように、ゲーム性の記号として、世界観としても印象に残る名銃たちは、今も歴史に名を刻んでいる。

或いは、『Team Fortress 2』。こちらはクラス制を軸としながらも、武器はクラスにより固定されており、その記号&世界観として誰もが理解しやすいクラス共々、万人に愛されている。

クラスの1つ、「Medic」を紹介する「Meet the Medic」はYoutubeで3000万再生を記録しているし、もちろん、その動画の中で「Medic」の主力武器「Medi Gun」は堂々たる活躍を残している。

 

---

f:id:arcadia11:20151119203356j:plain

ある意味、FPSにおける「銃」とは、『LoL』における「Riven」であり、『ストリートファイター』における「リュウ」であり、『Star Craft 2』における「Zerg」だ。

彼らは一様に、プレイヤーが最初に取る「選択」だ。だからこそ、彼らはゲームの看板として、ルールとして、ビジュアルとして、何より注目される存在なのである。

とりわけ、チャンピオン同士の熱い駆け引きが最大の魅力である『LoL』や『Dota 2』のような「MOBA系」が一挙に進出してきたことは、見過ごすべきでない。彼らのPVでは、「主人公」たちの魅力が全面に押し出されている。

 

---

くどいようだが、「架空銃だからダメ」という話をしているのでなく、従来の『CoD』における「実銃」を用いることによる効果が、どのように『CoD』の魅力へ貢献していたか明らかにした上で、「架空銃」はどうこの点に立ち向かえるか考えたかった。

FPSは、今間違いなく全盛期を終え、衰退期に突入している。

だからこそ、「FPS」という文化にどのようなイノベーションを作り出せるか。そこには、魅力ある「主人公としての銃」の存在が、必要不可欠なはずだ。