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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

2015年のゲーマー日日新聞を総括する

エッセー

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皆様、明けましておめでとうございます。今年もゲーマー日日新聞と共に、よろしくお願いします。

さて、このブログを始めてもう1年半。中でも、その3分の2を占める2015年の1年間は、私個人にとっても様々な勉強と成長の機会となったと考えている。

そこで、改めて2015年の1年と、その間で印象に残った記事をそれぞれ紹介させて欲しい。(正月より大晦日にやれって感じだけど)

 

1月

【第一回】私の尊敬するゲーマー -KeNNy 最強アサルターの流儀

伝説的FPS『Counter Strike』の「国内最強アサルター」にして、今もなお様々な場面で活躍される元プロゲーマーのKeNNy氏の半生を、個人的な印象と客観的な実績を元に記録した。

何が嬉しかったって、やっぱり私が何年も尊敬するKeNNy氏に直接読んでもらい、また感想まで頂いたこと。同じく尊敬する、KeNNy氏の友人であるNoppo氏にもRTしてもらえたときは、それはもう感動した。

 

私自身、あまり何かを尊敬する、傾倒していると話すことはない。それは、私の「メディア」としての立場に、あまり偏見を持っていただきたくないからだ。

だからといって、まとめサイトの如く沈黙するのも「卑怯」と思われよう。そこで、「ゲーム」でなく「ゲーマー」の姿に注目し、ゲーム文化の新たな側面を知ってもらい、かつ私自身の主張を明らかにしておこうと考え、この記事に着手した。

我ながら、「ゲーマーを紹介する」記事というのは、中々にユニークなアイディアだと思っていたが、それだけに筆を進めるのが難しい。またいずれ書きたいとは考えているのだが。

 

2月

【評価】『Dear Esther』の感想やレビュー FPSが可能にした実存主義

インディーズ出身のタイトル『Dear Esther』へのレビュー記事。数々のレビューの中で、特に良く書けたなと感じていることと、ゲームそのものへの愛情もあって、印象に残っている。

『Dear Esther』というのは、一人称視点で孤島を黙々と探検するというゲーム。基本的にレールに沿って移動するが、演出やイベントの類は皆無で、ひたすら主人公が文学的な独白を語り、それに耳を傾ける程度。

元々、このゲームは「雰囲気ゲー」として位置付けられていて、『風ノ旅ビト』などの類似作としてあまり注目されていなかった。

だが私はその考えに反対し、『Dear Esther』に込められた「一人称視点」への極めて特殊な利用、また独白に込められた実存主義的なアプローチが、それぞれ統合し、「雰囲気ゲー」どころか、むしろ「哲学ゲー」として、人々の思想を揺さぶっていると訴えた。

 

3月

【PS4】本気で期待してる2015年のおすすめゲームソフト10本まとめ【PC】

未発売のゲームの中で、特に注目に値するタイトルを10本、それぞれの魅力と共に伝えた記事。

このゲーマー日日新聞で、初めてドカンとバズッた(Twitterやはてなブックマークなどで大きく注目される現象)記事ということで、よく覚えている記事。

あまり適当な事もいえないし、かといって主観も多分に入れた方が面白いとも思えたので、意外と時間をかけて書いた記事だった。

よく「オススメ○○10本まとめ」みたいな記事はあちこちで見かけるけど、私はあえてこのスタイルを多用している。何故なら、自分にしか言えない意見をぶつけられるし、「まとめ」ることでゲーム毎に比較したり、それぞれ面白さの源泉みたいなのを見つけられるんだろうなと思う。

(大半の人はテキトーに記事が埋めれて、なおかつアクセスも稼ぎやすいからって理由なんだろうけどね)

 

4月

【悲報】俺氏『Alan Wake: Americans Nightmare』でガチ泣きする【ネタバレ】

RemedyによるTPS『Alan Wake』のスタンドアロン版DLC『Americans Nightmare』のストーリー考察記事。

『Alan Wake』という作品はホラーとミステリーが交じり合う、スティーブンキングのような作風・・・ というのが一般的な見解だったのだが、私自身ゲームを通して、それ以上の何かがあると考えていた。

そこでこのDLC、『Americans Nightmare』をプレイし、現状のネットで見受けられる理解以上の物語、そこに眠る真の感動を発見し、オリジナルの考察が示せたと思う。

いや実際、本当に良く出来た脚本だ。下手に有名な作品になると、却って慎重に評価されるのが難しくなるんだろうなと思う。

 

5月

他人に「ゲーム」を馬鹿にされた時、真っ先に突きつけるべき言葉

「ゲームがつまらない」と考える人は、まずそもそも、面白いゲームを知らないだろうという話。某所でちょっとした議論の種になったらしい。

別段、「面白いゲームを知ってから、ゲームを否定しろ!」と言う話ではないし、そもそもがゲームのみならず色んな趣味に言えた話(むしろ、ゲーム文化だからこそ無視され続けた議論)なのだが、何か誤解する人も多かった印象。

元はといえば、当時たまたま、すごく心に響く小説を読んだ個人的な経験から衝動的に書いた記事だったんだけど、本当に「素晴らしい作品」に出会えた喜びというのは、親友や恋人に出会った時のような、筆舌に尽くしがたい貴重なものだと思う。

 

6月

『スプラトゥーン』がステマ扱いされる理由。「語りたい作品」と「すごい作品」の違い

当時、突如として評価された『スプラトゥーン』に際し、それを取り巻く「評価者」の存在と、問題点を議論した記事。Twitter辺りでバズって、最終的に2000RTぐらいされてたと思う。

正直、私は『スプラトゥーン』をアホみたいに持ち上げてる人間が嫌いだった。厳密に言うと、マニア同士がサブカル知識競い合い、「マニアな周囲に流される自分が好き」みたいな、Twitter辺りで山ほどいる連中が嫌いだ。

ある意味、『スプラトゥーン』は被害者だ。ゲハブログとか、ひたすら「喋りたがり」の餌として話を「盛り」、結果として不合理かつ誤謬のある評価が与えられる。

既に『TF2』や『ET:W』でいくらでも与えられていたフィーチャーを、まるで都合の悪い事実を隠すように「『スプラトゥーン』が起源、『スプラトゥーン』以外に存在しない」と主張しまくる人間は実際いたのだ。

そして彼らは、誰にも叩かれることなく、匿名として埋没し、また同じ事を繰り返す。(私らのような人間が同じように振舞えば、どんだけ叩かれて粘着されることやら。)

 

7月

日本のインディーズゲーム祭り!Bit Summit 2015のレポートと期待の新作紹介

日本の京都で開かれたインディーズゲームの祭典、「Bit Summit」をレポートした記事。

たまたま近くに寄る予定があって、かつ時間も余ってたので現地に飛んだのだが、想像以上の収穫だった。発売前のゲームに触れる機会は珍しかったし、何より『Mighty No.9』が遊べたのだ。

『Downwell』も面白かったし、『Tommorw Children』も期待したい。

 

8月

【これが】至高のサブクエストを5本選んだ【お使いゲーだ】

よくある「オススメ○○ランキング」系を、オープンワールド系ゲームのサブクエストでやってみましたという記事。

個人的に着眼点が悪くないなと思っていたけど、そこまで掘り下げられなかったところに、自分の力量不足を感じた。

まぁでも、『RDR』の例のクエストは、まさにオープンワールドならではの演出だと衝撃を受けたなぁ。

 

9月

暇だったからValveの新入社員用マニュアルを2万字ぐらいで翻訳してみたよ

Valve社のサイトに残っていた新入社員に向けたマニュアルを、全文に渡って翻訳し、そのまんま記事に載せたもの。

現状、ゲーマー日日新聞で最も読まれた記事であり、最もバズった記事でもある。チマチマ続けていた翻訳にはそれなりの手間がかかったものの、

「ゲーマー日日新聞ならではのコンテンツ」が欲しい一心で続け、結果的にこれだけ色んな人にも読んでもらえて報われたなーと一安心できたのも覚えている。

 

10月

ゲーム初心者の「人権」 初心者は保護すべきなのか?

主にマルチプレーゲームにおいて生じる、「初心者」と「上級者」の間に、知的ないしは技術的な格差が生じている問題を、それを取り巻く世論と共に問題視した記事。

これもTwitterで特に読んでもらえて、ゲーム製作者とかサイト運営者、まとめブログにまで飛び火して、色んな業界人の目に触れたらしい。

個人的に、「ゲーム初心者の人権」というタイトルは自分でも「笑えるなぁ」と気に入っている。一応自分の結論は記事内で述べたけど、色んな人がこの記事を通して、それぞれが独自に議論し合っていたのは嬉しかったかな。

 

11月

なぜ『COD:BO3』の架空銃はダサいのか?「FPS」と「銃」の話

長い歴史を持つ『CoD』が、未来を舞台にした物語を展開していることについて、そのデザインの欠点と従来の魅力を比較考慮した記事。

私自身、このブログでは「個々の作品」と「抽象のデザイン」について積極的に区別するようにしていて、前者はレビュー、後者はこいうデザイン論として記事にしている。

「「FPS」の本質、それは画面に映る「銃」にある。」この話は、元々サバゲー好きの友人が、FPSに写る銃を熱く語っていたことをヒントに、展開したものだった。

 

12月

2015年のゲームオブザイヤーを考える

筆者が2015年に発売されたゲームのうち、複数の部門毎にベストな作品をそれぞれ決めた記事。

2014年にも「GOTY記事」は書いたことがあり、実際この手の記事はブログや海外誌では「定番ネタ」として知られている。

とは言え、やっぱり「ゲーマー日日新聞」として他のブログと区別したく、複数の視点ごとに作品を選ぶスタイルで記事を書いてみた。映像、演技、レベルデザイン、脚本、マルチプレー、企業、総合賞と、合計で7つの部門を設けたが、来年同じような記事を書くことがあれば、もっと増やそうと思う。

ちなみに、この記事のヒントは映画業界の様々な賞で、むこうだと驚くほど細かな分野ごとに、その作品の価値を見出している。

 

今後のゲーマー日日新聞として

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最近はリアルの諸事情もあって、更新頻度が落ちたり、どうしても同じゲームの記事に偏ってしまうこともあったと思う。

だが、この2015年、趣味として続けたブログは本当に多くの方に読んでもらえるようになり、またネット上の随所で議論の種となるなど、いつの間にやら趣味のうちに片付けられない規模になってしまった。

正直、これは私の実力というより、むしろ周囲の環境が徐々に「退屈」になった結果だと思う。まとめサイトやSNSから垂れ流される、ぬるま湯のような平凡な意見、定型的な情報。一方で、炎上や批判を恐れて消極的になっていくウェブ界隈。

それは私自身、一人のウェブ利用者として、常に感じている「退屈」だし、同時にこの小さなブログで少しでも打開しようと考えていた「退屈」でもある。

 

私は最初から、誰かを啓蒙しようなどと考えてブログを書いてはいない。あくまで「面白いもの」を書きたい、その一心で続けてきた。

それは恐らく、誰もが抱く「なんか違うんじゃないか」と思う事情に対し、私の唯一の武器である「文字」で、別の解答を示すことだと思う。これは業界や企業を巡る議論でもそうだし、ゲームの攻略一つとってもそうだと思う。

同時に、その解答を別の人間が受け取り、新たな議論や価値観を見出していく。読者の方が、「そうかもしれない、いや、そうだったっけ?」と考える。

これはどのメディアでも起こっている循環であるが、私がブログを続けて一番嬉しかった時は、そういう循環が、自分のブログで起きていることを目の当たりにできた瞬間だった。

 

この一年、幾度となくTwitter等で応援してもらえたり、また賞賛して頂いたことには感謝しているし、更新のモチベーションになっている。

だからこそ、より積極的にこのブログにしか書けない記事を提供し、また同時に、文章の質や知識量についても改善し、同じ記事でも質の良いものを提供させて欲しい。