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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

ネトゲ廃人はどこへ消えたのか

エッセー

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3/27 追記&修正

 

昨今ではプロゲーマーが、テレビや書籍のようなメディアで紹介されることもあり、「ゲームを真剣に遊ぶ人間」という姿が、以前よりは随分と評価されやすい環境になったのかなと考えている。

もちろん、それはそれで素晴らしいのだが、このようなゲームが身近な存在へと変化する一方で、昔のゲームにあったドロッとした「アングラ感」とかヌメッとした「サブカル感」みたいな雰囲気は、随分と「浄化」されたように思う。

昨今のAAA級ゲームのUIは、まるでアップル社のアプリを思わせるおしゃれ感が漂っているし、小規模な至上で展開されるインディーズゲームですら、渋谷のデジタルサイネージで映しても遜色ないレベルの美麗なアートが広がっている。

血と臓物の香り、妙にべたついたUIは、今では骨董品同然のものになった。ゲームもゲーマーも、「浄化」されたということだろうか。

 

そう、「浄化」に適応できれば、それはそれで良い。事実、何年もの間ゲーセン通いと努力を重ねたウメハラ氏などは、今ではゲームを知らない人間からも評価される存在だ。私も何だかんだ、現代のゲームも楽しみ、そのレビューや考察をこの場で書き綴っている。

だが、私にとって、今のプロゲーマーより、「ゲーム」を体現し、存在感をアピールした存在といえば、「ネトゲ廃人」だった。

彼らはゲームの中でとりわけプレイ時間を要求するMMOやハック&スラッシュを好んでプレイし、学業や仕事を放り出し、1日何時間も狂ったように遊び続ける人間。

私自身、色々なネットゲームをプレイした経験があるが、大なり小なり、「一体何時間遊び続けているのか」と疑問に思う伝説的なプレイヤーはいたものだ。

彼らの生態を恐れ、一般ゲーマーからは「ボトラー」(意味はご自身で調べて頂きたい)といった言葉で揶揄されたネトゲ廃人は、今ではすっかり見かけることも減った。

ある種、ゲームのダーティーなイメージを代表していたネトゲ廃人は、どこへ消えてしまったのか。

 

ネトゲ廃人を見かけなくなった最大の理由は、彼らが拠点としていたMMOや、それに類する超大なコンテンツを抱えるタイトル自体が衰退したためだろう。

今でも『FF14』『Diablo 3』『PSO2』などの大規模タイトルはまだ人気があるものの、かつての栄光には遠く、それらのタイトルでさえコンテンツの量自体はかなりヌルくなったらしい。

結局、彼らはヤサごと「浄化」され、その多くは一般的なゲームや競技性の高い対戦ゲームに転居したか、はたまたゲーム自体に冷めてしまったのだろう。では一方で、『狭き門』のアリサのように、心からゲームを愛し、実際に全てを捧げた人々はどこへ向かったのだろう。

恐らくは、ソーシャルゲームではないだろうか。昨今、とあるソシャゲが、そのあまりにあくどいビジネスから新聞沙汰にもなっていたが、彼らの重すぎる愛情を受け止められるのは、現代ではもうソシャゲくらいだと私は思う。

 

プロゲーマーにせよネトゲ廃人にせよ、MMOにせよソシャゲにせよ、イメージの違いこそあれゲームには人をどこまで夢中にさせる、魅力と狂気が眠っている。

とは言え、ネトゲ廃人を含めた、かつてのゲームが持っていた「アングラ感」が浄化されたとしても、彼らの息遣いと経験は膨大なフィードバックとして現代のゲームを支え、彼らが貴重な人生を費やしたのも事実なのだ。

(例えば、今e-Sportsと持ち上げられる『LoL』や『Dota 2』は、元はといえば有志のMODだ。)

これらが「浄化」のなかで当然に忘れ去られるのは、私としては少し惜しい。『マリオ』や『ゼルダ』のような古典的作品が評価され、プロゲーマーが大手を降って歩けるのなら、かつてのネトゲ廃人の姿もまた、評価されずとも思い出されることぐらいはあってもいいのではないか。

 

最後に、ソシャゲにハマった自身の心境を語った匿名のポストが大変興味深い。よければ読んで欲しい。

追)無課金で数年続けていたソシャゲをやめて分かった、ただ1つの事実

 

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追記

 

本当に何気ない気持ちで書いた文章が、意外にも多くの方に読んでいただけて(何より、「ネトゲ廃人」にまだ関心を持っていて)嬉しく思っている。

一方、少し誤解して頂きたくないのが、私自身は別段「ネトゲ廃人」を文字通りの「廃人」とか、見下したイメージで捉えてるわけでなく、また彼ら自身の人生もそう悲観視するものでない、という点である。

私にとって「ネトゲ廃人」とは、私の愛するゲーム、そしてそのコミュニティにおいて、純粋に「ゲームを愛し、ゲーム内で成功を掴んだ者」に過ぎない。それは競技において結果を残した者が尊敬されるのと同じで、自分が好きなゲームにおいて、それだけ「成功」していることは、私にとって純粋に尊敬できることだ。

無論、彼らの一部は苦しい生活を送っている人もいるかもしれないし、大きな悩みがあるかもしれない。しかし、人生における苦難とは単に上下で比較できるものでないし、その苦難の根源はネトゲとは限らず、むしろ人間関係や環境によるものが大きいと考えている。

中には、学校の中で居場所を失うという苦難を、ネトゲによる成功で吹き飛ばしたBjergsen選手のような例もある。かのウメハラ氏も、ゲーセン通いで腕を鍛えている間はとても「成功者」として認められていなかった。

確かに、ネトゲを含めたゲーム文化は、未だ世間的には冷ややかな目で見られるだろう。しかし、我々のようにゲームから楽しみを見出したマイノリティの、数少ないコミュニティの中で、密かに、しかし熱く、やや歪んだ羨望の的となった「ネトゲ廃人」たちは確かに存在したのである。