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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

「やりこまない」ゲームライフのすゝめ

エッセー

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「昔は夢中でゲームを遊んだが、最近ではゲームを遊ぶと疲れが溜まる。」

「期待してゲームを買ったはいいが、何故かパッケージはビニールを被ったままだ。」

 

先日はE3が大盛況で、様々な新作に期待で胸を躍らせるニュースのなか、読者諸賢の中にはこのように、少しゲームに冷めてしまった方もいるだろう。

昔の興奮はどこへやら、ゲームを遊ぶ気力は惰性なのか。やはり最近のゲームはつまらないと懐古しそうにもなる。

昨今ではsteam等の流行で、「積みゲー」という響きも珍しいものではなくなったし、このような現象は誰でも起こりうるのだと思う。

そこで、私が推奨したいのは、「やりこまない」ゲームプレイを受け入れることで、楽しめるゲームだけを選別しあとは放置してしまう、断捨離的なゲーム・ライフ・バランスだ。

 

ゲームを遊ぶコスト

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そもそも、我々の世代にとって、未だゲームとは「やり込むべき」ものという認識が強い。大量のシークレット、よりハードな難易度、遊び尽くせないサイドクエストやミニゲーム、そして実績やトロフィー。

技術がどれほど進歩しようと、これらの粗暴ながら暇が潰せる要素がたっぷり用意されているのは、ゲームがまだ子供にとって貴重な娯楽で、少ないお小遣いからたっぷり楽しめた頃の話だ。(さすがに少なすぎて”手抜き”なら仕方ないが)

 

一方、資本主義社会に生きる我々にとって「時間」は貴重だ。学業や仕事に勤しみ、趣味だってゲーム以外にもあり、友人や恋人との付き合いも大切にする我々は、文字通り「時は金なり」を身に沁みて理解している。

「労力」だって惜しむ。たまには全てを忘れて家でゴロゴロしたり、就寝時間さえ貴重なのだ。

そんな我々にとって、それぞれの趣味や娯楽を愉しむために必要な「時間」とは、「コスト」そのものである。自信の関心を、金額、時間、労力それぞれのコストと照らし、我々は自らの余暇を当てるに相応しい趣味を、作品を見出すのだ。

ではビデオゲームのコストはどうだろうか。金額的な問題ではない、時間や労力の問題だ。1時間辺りにどれほど濃度の高い体験が出来るか、趣味や作品を評価する根本的な軸はそこにある。

 

未だに「高コスト」なゲーム文化

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いいゲームだ。でも無駄も多い。

 

正直、現代のビデオゲームには依然として「何百時間も遊べるぞ!」のように大ボリュームを謳う作品が多く存在する。普通のAAA級タイトルでも、一本辺り数時間から数十時間。これは正直「高い買い物」と言わざるをえない。

確かに高いレベルの感動を何百時間と味わえるのなら結構だが、果たして多くの時間を費やすに値するのか、そもそも時間を浪費すればよい(=暇つぶし)とされないかもっと疑問視してもいいはずだ。大人がゲームを卒業するのも無理はない。

また他の趣味に目を向ければ、2時間で上質な体験が出来る映画、自分のペースで愛車を乗り回せるツーリング、結果が身につくスポーツ、いくらでもある。ゲームがいくら気楽で安価で唯一無二の体験があるといっても、改善の余地はあるだろう。

「もしゲームに費やした時間で資格勉強すれば」なんて話も現実味を帯びる。いかに自分の趣味とはいえ、時間の浪費に鈍感になってはならない。

 

更に、ゲームは作品である以上、起承転結があって、途中で作品を中断することが難しい。勇者が目覚め、やがて魔王を討伐するように。作品は最後まで遊んでこそ楽しめるように作られている。

そのため、プレイヤーは途中でダレようと中断することが難しく、惰性でプレイしてしまいがちだ。ギャンブルの射幸心とまで言わないが、少なくとも作品は付き合ってもらうための仕組みがあり、途中で「合わないからやーめた」と投げ出しにくい。

ゲーマーが多趣味になるべきと言うつもりはない。同じ時間費やすにしても、なるべく多くの作品に触れて、本当に感動できる作品を探したり、これぞと思った作品にどっぷり時間を費やす、それこそが私の考える理想的な「ゲームライフ」だ。

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ほんの数時間でいい。だからこそ記憶に残る。

 

より濃厚なゲームプレイとは

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では具体的にゲーム作品における無駄とは何か、逆に理想的なゲームライフを実践するには何が必要か考えたい。

まず「無駄」についてだが。まず真っ先にロードやマッチングのようなシステム絡みの無駄が思い浮かぶ。より厳しく見ると量産されたおつかいサイドクエスト、平凡なコピペのオープンワールド、変化のない作業的ゲームプレイの連続も建設的ではない。

極めつけは同じゲームエンジン、似たようなゲームプレイ、消極的なストーリーを満載した、大型DLCかと思わせるシリーズ作品だろう。具体的作品名を載せると確実にとばっちりを受けるので控えるが。

これらはあくまで一例であり、人にはそれぞれ評価軸がある。コピペだろうと好みに叶えば満足できるのは私も同じだ。あくまで自分が退屈だと考える基準を持って、しかし無駄だと思うゲームは厳しく見切り、別のゲームを探すか他の趣味に打ち込めばいい。

 

逆に時間を費やす価値のある作品は、原型となるアイディアが極めて独創的で、開発側にいくらでも膨らませられる普遍性があったり、プレイヤーの解釈や干渉で面白さが無限に拡張される作品だろう。

わかりやすい例は「ルールそのものを創った作品」。常に人口の過疎と戦う極寒のマルチプレー業界ではまさにコレが問題で、プレイヤーが自分の発想でいくらでも戦術を見いだせるゲームは本当に強い。MOBA然り、RTS然り、シューター然り。

シングルゲーでも『マリオ』や『ゼルダ』の強みは明らかにここ。(さすがに飽き始めてるきらいはあるけど)ぱっと見は似たようなゲームでも、自分でルールを創ったからこそ広げる幅はものすごく広くて、後追いの作品じゃ追いつけないんだなとつくづく関心する。最近だと『Minecraft』もそうか。無駄がない作品なら『Undertale』も。

また同じゲームプレイが続く作品でも、『Fallout 3』は風刺ネタやSFネタ、圧倒的な引き出しでプレイヤーを楽しませる作品だったし、上達することでスキルの幅が広がり更に楽しめる『Souls』シリーズやレースゲームの各名作は、充実した体験を送ることが出来る。

 

結論:やりこまないゲームライフとは

賢明な方なら「何を今更」と思う単純な話だが、私は要するに「(比較的)ゲーム文化はズルズルと時間を費やしがちなので、より厳しい目線で持って無駄なゲームプレイをサックリ切り捨て、積極的に優れた作品を探したり他の趣味を楽しむべき」と言いたかった。

私は他人の趣味にとやかく言うつもりはないし、ダラダラ遊ぶのも好きだ。でも最後まで遊ぶのに30時間かかるって、冷静に考えてコスパ悪くない?とは常々思う。作品を途中で投げ出すのも気が乗らないが、ズルズルと遊んで微妙だったなと腑に落ちない思いもしたことがある。低確率のドロップアイテムを入手した時の達成感と徒労感も忘れ難い。

「やりこまないゲームライフ」はそんな当たり前の反省だ。「もういいかな」と思ったらサクッと辞める。個人的にライトなゲームファン(他趣味と兼ねる人)はこう考えやすい。

何より、最初期待してなかった作品が意外と面白かった経験って誰でもあるはずだ。そのためにはドンドン手を出してみて、面白そうな作品だけ遊ぶ。時間はないが金銭的余裕のある社会人だからこそ出来る。ゲーマーはもう少しアグレッシブなぐらいが楽しめるのでは。

 

ああ勿論、レビューを書く時はそれなりにやり込んでから書いているし、そもそもサックリやめたゲームのレビュー自体書く気が起きないのでそこは心配しないで欲しい。

 

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「まずは100時間遊んでから」だって?

 

追記:「埋没費用」の理屈

いくらか誤解を受けているようなので、少し追記。別段私はゲームを軽視しているわけでなく、「買った以上/遊んだ以上は最後までプレイせねば」という人間の心理に言及したかったのである。

経済学には「埋没費用」という概念がある。1000円で買ったチケットで映画を見始めたはいいが、内容が自分が思う以上に退屈な時、そこで退出すべきか、それとも最後まで見続けるべきだろうか?

結論として、仮に最後まで見ようと退出しようと、初めに支払った1000円は回収できない(埋没した)のだから、そこで退出してその時間を他の有意義なものに費やすべきだと言われている。

ゲームも同じだ。せっかく途中まで遊んだのだから、エンディングを見なければ、トロフィーを集めなければと考えるのは、人間の心理としてありがちだし、貴重なお小遣いでゲームを遊んだ幼年期があれば尚更だ。

それでも、先述したように既に費やした時間やお金は回収しようがない。特にゲームは膨大に時間を費やすものだから、より慎重に遊ぶ作品を選ぶべきだし、退屈なら果断に別作品に切り替える必要があるだろう。