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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

現代のレベルデザインの課題 複数の難易度について

 

要旨:

・最良のレベルデザインを求める上で、昨今は複数の難易度を自由に選ぶスタイルが流行している。

・複数の難易度を用意することで調整が曖昧になる。

・このシステムでも「優れた難易度」は存在するが、それには複数の難易度からその難易度を「当てる」必要がある。

・このシステムは、プレイヤーを最良の難易度を求める疑念と後悔に追い込む可能性がある。

・dunkeyは『League of Legends』が嫌い。

 

「最良の難易度とは何か?」

viodeogamedunkey氏によってレベルデザインのあり方を議論した「Difficulty in Videogames」動画は、コミュニティ内でまたたく間に拡散され、既に150万再生を目前に控えている。

様々なゲームに触れながら、dunkey氏のユーモア溢れるトークで編集された本動画は、ゲーマーなら必見だ。当紙の論説委員J1N1が翻訳し字幕化しているので、良ければ閲覧して頂けると嬉しい。

以下は、動画を参考に、筆者による解釈を踏まえた考察である。

 

マルチプル/スケーリングな難易度の課題

「初心者が気兼ねなく楽しめ、かつ上級者でも手応えを感じられる難易度」を実現することは、多くのゲームデザイナーにとっての目標である。

しかしその緻密な調整を1つでも誤れば、ゲームはベイビー向けに簡単になるか、発狂待ったなしのイライラ棒になるかの、いずれかに着地してしまう。

そこで妥協案として導入されたのが、最初から複数の難易度を用意したり、ゲーム途中で難易度を調整できるオプションを残し、後はプレイヤーの意志に委ねる案だった。

 

だが、これはプレイヤーからすれば「妥協」というよか「放棄」に近い。実際問題、1つの難易度の調整さえ妥協するディベロッパーが、4つ以上の難易度をそれぞれ調整するなど不可能な話であり、その結果「どの難易度もクソ」という結果に陥りやすい。

かの『Halo 1』でさえそうなのだ。多様なゲームプレイ、ダイナミックなストーリーテリングを備える本作は、ゲームそのものは素晴らしい。

だが、Dunkey氏にとって本作の「Heroic」は簡単すぎて、「どの武器を使おうが勝てる」という平坦なゲームになってしまうし、「Legendary」は難しすぎて、「特定の武器以外は使うに値しない」多様な選択肢が喪われたゲームになってしまう。

 

そもそも『COD』シリーズのそれのように、大抵のマルチ難易度作品において、最高難易度は単に数値を跳ね上げただけで、難しいというより面倒くさい、鬱陶しいだけのものに過ぎない。

個人的に、そもそも難易度をマルチに用意すること自体、難易度を調整する幅を狭めていると考えている。

例えば、高度なAIがプレイヤーの行く手を阻む『FEAR』の場合、難易度を簡単にしたからといって、AIまで馬鹿にはならない。代わりに、弾薬や回復キットの数で調整され、それがゲーム全体の調整を曖昧なものにしている。戦術的なAIとの戦いは楽しいのに、弾薬量の配分が歪で集中できないのである。

そういった機械的な調整のゲームは、攻略する手段もまた機械的だ。どう攻略するか工夫するのでなく、トライ&エラーで時間ばかり費やすか、ゲームデザインの裏をつく結果に終わる。ゲームを最後まで遊ぼうとする熱心なプレイヤーは、破綻したマゾゲーをやり込むハメになる。

 

あなたは「最高の難易度」を選びましたか?

とは言え、マルチ難易度だから必ずしも退屈というわけでない。例えば『Bioshock』のハード、リメイク版『アンチャーテッド』のクラッシュ、『Mass Effect 2』のインセインは、他の「単一難易度作品」に比べて遜色のない面白さがあるとdunkeyは語る。

だが、その面白い難易度以外の、難易度を選んだ場合はどうだろう。同じ『Bioshock』を購入したdunkeyが、少し自信をなくしてノーマルを選んだり、イージーを選んでしまえば?

恐らく、dunkeyは『Bioshock』のハードモードの魅力を知らずに、ゲームを終えてしまうだろう。それは本来楽しめたであろう魅力を、プレイヤー自信が破壊する悲劇だ。

 

「マルチ難易度」における究極的な問題は、単に「ゲームがつまらなくなる」というものではない。プレイヤーにとって最大の不幸は、一方的に最も面白い難易度を選ぶ「責任」に追われる点にある。

優れたディベロッパーが「ノーマルモード」を素晴らしい出来栄えで完成させても、謙遜と配慮から「イージー」や「ハード」も用意するだろう。だが少なくとも、全ての難易度が、全て同様に優れた出来栄えであるはずもない。

氏が列挙したように、大抵の作品では基準となり得る最も優れた、意地悪く言えば、オリジナルの難易度(レベルデザイン)があって、そこから希釈するか濃縮するかで複数の難易度を量産する。

無論、プレイヤーによって最良の難易度は違う点もあるだろう。しかし、ゲームを遊び続ける上で、自分にとって最良の難易度とは何か、ノーマルでサックリ進めた方が面白いか、ハードの挑戦的な内容の方が面白いか・・・ そんな「疑念」に駆られて遊ぶゲームは楽しいだろうか。

 

では『マリオ』『ロックマン』『ショベルナイト』のような、1つの難易度しかないゲームはどうだろう。

確かに、難易度が1つだからといって常に完璧な作品と限らない。だが、同じ難しさにもバラエティがあり、どの程度までゲームバランスを壊していいか、難易度を落としてもいいのかといった、馬鹿げた葛藤に付き合わず、真摯にゲームと向き合える。

少なくとも、「最高の難易度」という疑念に駆られて、テスターのように遊ぶ必要はない。開発者が「これがベストだ」と念を押し、それを我々が信頼する、簡潔な関係だ。

故にマルチ難易度は「プレイヤーに与えた選択肢」と限らず、「プレイヤーに押し付けた責任」とも言えるのだ。

 

ところで、League of Legendsは?

it sucks!

(dunkey氏は過去に『LoL』を引退する旨の動画を投稿している)