ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

大人になってゲームを辞めた人たちへ

 

・大人になった今、ゲームを子供の目線で楽しみ続けるのは難しい

・私自身は比較的、大人でも子供でもない頃にゲームを始めた

・大人だからこそゲームは楽しめる。スケジュールのない自由、コンパクトだが完成度の高いパッケージ、高度なアートや物語。

・現代のビデオゲームは、大人のための作品が多い。日々忙殺される人間の目線で楽しむのはどうか。

 

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巷でよく聞く「最近のゲームはつまらん」という意見を裏返すと、「俺らの遊んでた時代のゲームは面白かった」というノスタルジーに似た感情があるのだろう。

実際、ビデオゲーム全盛期に幼年時代を過ごした人にとって、その気持ちを隠し切れないのは仕方ないと思う。多感な子供の頃に遊んだゲームはそりゃ新鮮だろうし、国内のビデオゲーム全盛期として盛り上がりもすごかった。

でも私自身の話をすると、実はその感情にはほとんど共感できない。別段、昔のゲームがダメだとは思わないが、子供の頃の私はそこまでゲームに熱中していなかった。

そんな自分がブログで熱心に語るほどにゲームにハマったのは、割りと最近のことだ。

 

元々、趣味は映画や音楽のような典型的な文系だった私は、そこで何かを得るまで頑張ろうと思った。

より面白い作品を探し、そのために色々な価値観や時代の作品にも触れ、作る側にも立つ経験を得た。そのプロセスが自分を成長させ、「大人」にしてくれたと思っている。

一方、その成長の間でゲームを馬鹿にしていたことは否めない。子供の時からそう面白いものとも思えなかったし、自分がゲームを遊ぶトシじゃねぇなとも考えていた。

しかし、偶然触れた作品は、私の想像を凌駕し、むしろ当時熱中していた他メディアと比べても、ゲーム文化が驚異的なまでに新たな技術や文化を取り込むことに貪欲で、他のメディアにも肉薄していることに感動した。

 

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例えば、『Grand Theft Auto: San Anreass』は私のゲーム観を大きく揺さぶった作品だ。最初はそれこそ、暴力的で「ヤバいゲーム」としか認識していなかったが、実際に遊ぶと全く違う世界が待っていた。

私が入力すると、目の前の黒人が動き出し、車に乗り込んだ。当面、理由もなく道路を走り続けていると、やがてハイウェイに乗り出し、気付けば大都会へ、大都会からまた自然へ、そしてカジノに辿り着いた。

その「冒険感」たるや、どの小説や映画で得るものとも違っていた。直接、旅行したりキャンプするのとも違っていた。何故なら、車を奪うも、旅客機を奪うも自由で、何かを咎められたり、当然訪れるべき何かを推奨されることもなかったからだ。

まさしく、自由だ。自分がゲーム機の電源を入れれば、すぐにこの箱庭を冒険し、飽きれば辞めてもよかった。ここには様式も伝統もない。自分のスケジュール帳にわざわざ「今日はゲーム」と書き込まないでいい。

これぞゲームだと私は感じた。仕事や勉強の合間に、ほんの少し電源を入れてみる。するとテレビ画面には美しい世界が広がり、何かを入力して反応を楽しむ。そのギャップも愉快だったが、同時にゲームの表現力、メカニクス、戦略性にも驚かずにいられなかった。

 

或いは、『Journey』(邦題『風ノ旅ビト』)はどうか。どの映画でも観たことのない美しい流砂の表現、それでいて解放感溢れるゲームプレイが味わい深い。

『Dark Souls』の戦略性には舌を巻く。最初は理由もなく難しいだけと思わせておいて、RPGとしてのビルド構築、アイテム収集、レベル探索の「静的な戦略」、ACTとしての回避、ガード、反撃の「動的な戦略」、これらを組み合わせる論理的な快楽。

コミュニケーションなら『Counter Strike』だ。高度なチーム対抗ゲームだが、メンバーは即席、戦術も即席。”何となく”でチームの連携を図る不思議な一体感。或いは友人と夢中で連戦したり。

無論、これらは全て一例でしかなく、私自身思い入れのある作品は新旧問わずいくらでもあるし、読者の方々にもあるだろう。

 

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子供の時なら、この魅力には気付けなかっただろう。余暇はいくらでもあって、今から何でも挑戦できたから、”あえて”ゲームを選ぶ理由もない。

だが大人になって、ライフワークを色々な選択肢で過ごせる中、数千円で売られるパッケージに込められた圧倒的な世界観に魅了された。

まず伝統や規則のないシンプルさがあり、高度な技術で実現された解放感(リニアなゲームであっても)があり、今だからこそ理解できる物語や戦略が盛り込まれている。いずれも、大人になって色々趣味を探す中で気づいたメリットだ。

ゲームの本質を考えれば、実は「子供が楽しむべき」と思わせる要素は一切なく、むしろ余暇が限られていて、趣味の選択肢が豊富にある(=趣味にも忙殺される)大人だからこそ、フィットするとすら思えてくる。

子供にはない、教養や経験があるから理解できる技術。余暇が限られているから理解できる完成度。忙しい日々でも無理なく付き合える自由さ。

大人になってゲームをやめた辞めるのも無理はない。子供の頃の趣味はいつか終わる。だが、大人になって再び触れたゲームは、また別の趣があるかもしれない。