ゲーマー日日新聞

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『Fallout4』ストーリー考察 何故オープンワールドに生きるか

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『Fallout4』のメインクエストにつきネタバレを多分に含んでいます

 

若干旬を逃した感はあるものの、真面目に2周目をこなした『Fallout4』が結構面白かった、というか普通にグッと来る物語だったので、今更ながらストーリーの考察をしたい。

 

ファンへの「背徳」に向き合う

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まず『4』の物語を考察する上で、前作との比較を行いたい。

最初に、『Fallout 4』はBethesda時代の『3』や、Shadow Isle時代の初代の魅力をしっかり踏まえた、極めて”謙虚な”作品だと思う。

登場人物や物語は、過去作との繋がりを示唆する部分が多く、ゲーム部分でも『3』時代のエッセンスを順当に進化させている。

良く言えばファンに真摯と言え、悪く言えば保守的となるのだろう。

 

ところが、本作で明らかに”背徳的”な部分がある。それは主人公そのものだ。

本作では主人公に声優がつき、キャラクターとの会話にも彼自身がペラペラ喋り、ご丁寧に会話用のカメラまで用意されている。

更に、主人公の強烈なバックグラウンドとして「子を攫われた親」という背景がある。物語の冒頭では幸福な生活を送る主人公が、核戦争と同時にVaultに冷凍保存され、そこから200年後に伴侶と子供を目の前で奪われる。

その子供を探すことが、メインクエストでの主な目標になっている。

 

この調整は、一部のファンから反感を買うことを免れられなかった。

『Fallout』は本来、現存する文明が滅亡した世紀末社会で、自由にプレイヤーの判断を下せる、古典的なロールプレイ面が評価された。

その面で、本作の主人公は「でしゃばりすぎ」だと批判されている。

 

「子」ではなく「親」が主人公

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同じような懸念は、実は2008年に『Fallout 3』を発表した時点で存在するものだった。

当時、『Fallout』と言えば、コアなPCゲーマーこそ知る名作。一方、Bethesdaは既に人気ディベロッパーな上にCS機での開発に力を注いでおり、コアな「信者」の反感を買うことは避けられないと考えられた。

その点、Bethesdaは奇跡的とも言えるバランスで『3』を完成させた。

あくまで、『Fallout』ならではの「プレイヤーの自由な判断」を尊重しつつ、一方でカジュアルな新規ファンを、キャッチーなゲームプレイと作りこまれたオープンワールドで獲得した。

 

その『3』、私もファンであるが、個人的にメインストーリーが壊滅的につまらないという致命的な欠陥があった。

主人公は「浄化プロジェクト」を進める父親を探し、彼の意思を継ぎ、BOSの仲間たちとエンクレイブを打倒する。

どの派閥やキャラクターも画一的で、プレイヤーの動機がついさっき知った父親の「子供だから」に収束する点が、私はどうにも安直に感じられた。(FEVウィルスを浄化槽にぶち込むって選択肢は面白かったけど)

確かに、「子供」というのはRPGではありふれた動機付けだ。親の希望を叶えることは世界共通の善行だが、なぜ『Fallout』で、なぜ世紀末でその動機が成立するのかわからなかった。

 

話を『4』に戻そう。『4』は物語がリニアになった一方、主人公の強烈なバックグラウンドとして「親」という点がある。「親」として子供を探すという動機付けは、一見『3』と同じようなものに思える。

だが、本格的に話を進めると、この「親」と「子」の対比が明確に浮かび上がる。何故なら、探していた「子」の正体は、「子」を誘拐したはずのインスティチュートだからだ。

『3』の場合、主人公は父親の仇としてエンクレイブを倒す。それはとても自然なことだろう。しかし、『4』では仇だったはずのインスティチュートこそ愛する息子であり、彼は独自の価値観、まるで主人公のような自由奔放な(そして危険)発想で、アメリカを掌握しようとしているのだ。

 

究極の二択

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何故「仇」が「子供」になったのか。その原因は物語を辿れば明らかになる。

「子供」、ショーンは、インスティチュートの目標のためVaultから誘拐された。彼らは完全な人造人間を作ることで、アメリカの復興に役立てようとしており、そのためには戦前の欠損のないDNAが必要だった。

彼らにとってショーンは完全に道具だったが、ショーンがインスティチュートで育てられ、リーダーに上り詰める中で、自分の犠牲(特に自分を守ろうとした親の死)を必要な犠牲とまで考え、インスティチュートの目標を正当化してしまう。

一方、Vaultに冷凍保存されたままの主人公は、元々ショーンの「スペア」であり、人造人間の実験が成功したことで価値を失っていたが、何故か既にリーダーとなったショーンの権限で解凍される。

なぜショーンは主人公を解放したのか。この動機こそ、本作の物語における、一つの鍵である。

 

彼はケロッグにわざと痕跡を残させ、あたかも「主人公の知る、赤子の自分」が存在するかのように仕組んだ。

ショーンは最初、一連の行為を「実験」だと言う。既に高齢となった彼は、自身の余命が短いことも知っていた。

彼は何かを知りたいと思ったのだろう、自分の正体、そして幼い頃に失った両親からの愛情を。

そして、主人公、プレイヤーは、この現実に直面して決断を下さねばならない。息子は生きており、人造人間を利用して荒廃したアメリカを支配しようとしている。自分は息子の「敵」となるか「味方」となるか。

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『Fallout』シリーズの醍醐味といえば、選択肢だ。誰を救い、誰と戦うか。それは全て、プレイヤーの直接的な判断によって決められる。

メインストーリーにおける究極の選択肢は違う。どの派閥に属するか、そこに強く関係するのが「息子」のあり方だ。プレイヤーでなく、主人公が愛し、守り抜いた「息子」をどうするべきか。

プレイヤーは、自分の判断と、主人公の判断の間で葛藤する。少なくとも、物語の途中までインスティチュートは「仇」だった。だが主人公の立場、子を愛する「親」の立場なら、ショーンのためにインスティチュートを率いるべきだ。

或いは、「親」だからこそ、息子の過ちを正すために、インスティチュートを止めるべきかもしれない。時に、親子の物語そのものが鬱陶しいと感じるプレイヤーなら、ショーンを真っ先に殺すだろう。

 

「ありがとう、母さん」

結論から言って、私は多いに葛藤した末に「インスティチュート」の指導者として連邦を支配した。それには、ある私なりの判断があった。

私は最初、何となしに主人公の性別を女性にした。だが、物語を進めていくと、私は「女の主人公」を選んだのでなく「母親の主人公」を選んでいたことに気付いた。

 

彼女は努力家だった。荒野に放り出され、生きるために人を殺し、鎮痛剤を打って苦痛に耐えた。私なら到底耐えられない生き方を、彼女は息子のために耐えてみせた。

それは同時に、私(プレイヤー)がただ安全な場所で、感情移入しすぎて疲れることもなく、「ゲームを遊んでいるだけ」という事実を強く実感させられた。

そこに、この物語に中核があったと思う。「世紀末で生きる」、それは他人事だからこそリアリティが生まれ、真剣に物語に向き合えたのかもしれない。

 

一方、『3』の私は、控えめに言ってサイコパスだった。メガトンは原爆で吹っ飛ばしたし、重要NPCを奴隷として売りまくった。

それはとても楽しかった。愉快なテーマパークで、好き放題暴れて、NPCのリアクションで笑った。何故なら私は主人公で、主賓だったからだ。

だから真剣ではなかった。荒野という名のテーマパーク。戦闘という名のアトラクション。主人公はありきたりな物語に沿うだけだから、これはゲームだと割り切って好き勝手やった。初代シリーズでも、ハードボイルドなゲームとして楽しんだ。

 

だが、『4』は私ではなく、私と一人の母親の物語だった。私は母親でもあり、プレイヤーでもあった。彼女は私の目の前で、息子への愛を語り、敵を酷く罵った。私がテーマパークにいようと、彼女は彼女の人生を歩んでいる。

主人公が喋り、その会話シーンが写る異例のシステム。しかし、彼らのやり取りは前作のそれより迫力があり、私を物語へ引き込んだ。オープンワールドに生きることを自覚させた。

 

シナリオも素晴らしかった。最初インスティチュートに乗り込んだ時、誤訳かと思う程にショーンの話し方はたどたどしく、そもそも何故主人公を解放したのか、何故インスティチュートのリーダーとなったのかすら話さない。

ただ、自分が息子である旨を伝え、主人公の助力を乞うた。どれも説明口調で、正直言ってペテン師だと疑った。彼は主人公のことを「母さん」ではなく「あなた」と呼び続け、敬語で話し続けた。

 

しかし、彼の願いを聞くにつれ、彼は徐々に態度を軟化させていく。

主人公を解放したのは実験といいつつ、実は母親が本当に助けてくれるのか気になっていたことを打ち明け、まるで甘えるようにクエストを頼む時にも遠慮することもなく、しかし「本当は心配で仕方ない」とも漏らす。

一方で、彼は自身のインスティチュートの権限を振り回してでも、主人公に大量の報酬を与え、部下に信頼させ、最終的にリーダーに選んでしまう。部下も当然反抗するものの、普段のショーンの実直な仕事振りを知る部下たちは、誰も文句を言わない。

彼は自分の死期を悟り、「親」を求めた。そして物語は、彼の最期で終わりを迎える。善悪はどうあれ、無法地帯はインスティチュートによって制圧され、世界の復興へ歩み始めた時、彼はこう主人公に語る。「ありがとう、母さん。」と。

私が遊んできたRPGの中で、これほど達成感を感じる台詞を聞けたことはなかった。

私は正しいことをしたのだろうか。その時、私は思わず「誘拐時に救えず、愛情を教えてやることが出来なかった」と考えていた。

彼女ならそれを悔いるだろう、だから彼を赦し、望みを叶えた。それが私の母親としての生き様だった。

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何故オープンワールドに生きるか

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現代の作品は、ストーリーテリングが大きく進化したと言われる。ゲームならではの手法で、プレイヤーを感動させる物語とは何か模索が続く。

だが、オープンワールドにおける物語はまだまだ未開拓だ。リニアなゲームではなく、自由なゲームでこそ活きる物語とは何か、本作はそれを模索したのだと思う。

本作は幸福な家庭が核戦争によって崩壊し、息子を奪われる衝撃的な展開から始まる。

だから、目の前で失った息子を探すことが、広大な世界を冒険する目的であり、その広大な世界をどうするかが最終的な目的と移行する。

 

その背後に、主人公の強烈なバックグラウンドが刺さる。プレイヤーのみならず、プレイヤーと共に冒険した主人公。彼/彼女の運命に寄り添って、プレイヤーは選択しなければならない。

私にとって、ショーンは守るに値する存在だった。インスティチュートの思想も同意するものだったが、やはりこの親子の存在が物語における最大の鍵と言えるだろう。

楽しいテーマパークではなく、険しいウェイストランドで生きる物語。『Fallout 4』が印象に残る作品となったのは、広大な箱庭で生きることの意味を考えさせたからだ。