ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

2分で読める映画批評 ジャン・マルク=ヴァレ監督『ダラス・バイヤーズクラブ』

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あらすじ

 1985年ダラス、電気技師でロデオ・カウボーイのロン・ウッドルーフは「エイズで余命30日」と宣告される。

当時まだエイズは「ゲイ特有の病気」だと一般的には思い込まれており、無類の女好きであるロンは診断結果を信じようとしなかったが、詳しく調べるうち、異性との性交渉でも感染することを知る。しかし友人や同僚たちに疎んじられ、居場所を失ってゆく。

 

生きるための政治

ありがたいことに、筆者は余命を宣告されるほどの重病を患ったことはない。

だが、本当に生命の危機に瀕した時、自分はどう考えるだろう。

まず、耐え難い悲しみに襲われるだろう。主人公ウッドルーフが酒とドラッグに溺れ、呆然とした中見せるその悲哀は、まさしく我々が期待するもので、我々が共感するものである。

さらに、家には「ホモ野郎」の落書きが。偏見もまだ残っている。誰にも理解されず、苦しみぬいた末に死ぬのなら・・・。

手元には12ゲージのショットガン。自分なら、もうカーテンコールだろうか。

 

ここが自分とウッドルーフとの決別のシーンだった。

彼はショットガンを取り出し、自分のこめかみをぶち抜く代わりに、家の鍵をぶち抜き、

ありったけの、くしゃくしゃのドル札を持って、家の外へ飛び出したのだ。

 

彼は生きるため、まずアメリカ中の薬を買い集めた。だが、製薬会社の規制を知るやメキシコへ。

未知の病エイズと戦っているのはアメリカだけじゃない。メキシコ、中国、イスラエル、日本。

彼らの戦力を求め、飛行機でウッドルーフは冒険する。

それだけじゃない。同じくエイズで苦しむホモ野郎共、あいつらを利用してやる。

山盛りの薬を密輸同然で運び込み、患者に売り捌く。

 

田舎のカウボーイは、国際的ビジネスマンとして蘇った。

なにがなんでも、生き延びる。生き延びるからには、金儲けして、いい女を抱いてやる。

それを阻む者なら、製薬会社でも政府でも戦った。

絶対にくたばるか、俺がくたばるくらいなら、てめえらを殺して、てめえらの腸を喰ってでも生きてやる。

バイタリティという言葉では形容しきれない、生きる意志。

仮に映画の中の、それも1人の人間でも、こんな生き方が我々に出来るだろうか。

 

それでも。彼の人となりを知ってでも、彼の支持者が集まる。カマ野郎、ホモ野郎、不満げな弁護士に落ちこぼれの医師。

各々の利潤を求めて集まった彼らは、ついに政府と製薬会社相手に本格的な攻勢を始める。

どんなリスキーな手段も厭わない。余命30日の俺たちは不死身だ。これが俺らの政治、生き延びるための政治だ。

ウッドルーフは再び生まれ変わる。

 

我々が普段生きる民主主義の社会。それを築いたヨーロッパ人は、戦争や重税から文字通り生き延びるために戦った。

リバタリアン。彼らは現代でそう呼ばれている。

だが、本来こうした精神は誰もが持っていたはずだ。革命や処刑のない現代においても、我々は受験戦争や就活、出世競争のような「戦争」で、日々血なまぐさい争いに明け暮れる。

私はエイズ患者のウッドルーフに、驚くほど感情移入していた。

 

だが、そうしてしがみついた生に、彼は一つの希望を見出す。

それが自分と同じく苦しみ、共に戦ったエイズ患者の解放だ。

単なる偽善ではない。甘い馴れ合いでもない。「生」のために世間と戦い、そうして自分が何に報いるべきか考えた時、始めてウッドルーフは「善」のために戦おうとする。

私を含めた読者の多くは、身体的に健康だろう。だが、ウッドルーフと同じく、様々な戦場で、時に敵を憎みながら、戦っているだろう。その点で我々はウッドルーフ同様、勇ましい猛獣だ。

 

だが、いつか我々は「善」を見いだせるだろうか。自分の生命に、自分の戦争に、ああこれでよかったと報える日は訪れるだろうか。