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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

「はちま起稿買収問題」の衝撃 業界のチンピラに捧ぐ鎮魂歌

ゲーム業界について エッセー

 

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年末、多くのネットユーザーを驚かせる事件が報道された。「はちま起稿買収問題」である。

 

要約:

・大手ゲハブログ「はちま起稿」とDMM.comとの繋がりが明らかに

・本当にはちま起稿は業界の脅威だったか?

・会長曰くDMMにとってはちまは「教育し忘れたガキ」→実はDMMの関心は薄かった

・実際、はちま起稿の記事を読んでも、既に反響が起きた「後追い記事」ばかり →はちまには独自に世論を動かす影響力がない

・はちまの感情的な記事は、現代のネットコミュニティそのもの。SNSにより各コミュニティが分断され、過激化しているから

・ポストはちま起稿は、大手メディアの参加により、大衆が匿名を捨てて分断化を認識できることが理想

 

グッバイ、はちま起稿!

はちま起稿とは、恐らく誰もが知る、個人の運営するブログだ。

ゲームや芸能、政治まで取り扱い、記事の大半はSNSや2chの無断転載を占め、

時に扇動的や捏造的な記事もありながらも、圧倒的なアクセス数を誇ることから、批判的な読者も多い。

 

そして、現にDMMははちまを買収していた(今は別会社に売却済み)。

無論、はちまはそれを明らかにせず、個人ブログという建前と、DMMによるバックを利用し、誤った記事で他者の名誉や財産を傷付けた。

これはネットマナー以前に、法的措置も考えられ、早い話「はちま」とその管理人は畜生以下の外道と言えるが…

実際のところ、「はちま起稿」はネットにおけるどのような立場だったのか、果たして本当に「はちま起稿」は悪影響を及ぼしたのか、DMM会長のインタビューを通して、私が考えたことを述べたい。

 

DMM会長「やんちゃなガキだったので損切りした」

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ここまでなら、単なる胸糞事件なわけだが、私個人が記事にまでしたくなったのは、この事件後に、DMM会長亀山敬司によるインタビューを読んだからである。

インタビューで、会長は、極めて冷徹にはちま起稿を突き放し、いかにDMMにとって不要か説いた。

 

そこで確信したのは、現状「はちま」は、路傍の石同然であり、現にインターネットで権力を持つ存在は、本当に誰もいないという現実だった。

はちま起稿買収問題、DMM.com亀山敬司会長が経緯を語る(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

では直接インタビューを読んでみよう。私が目に付けたのがこの記述だ。

山本:さすがにそれは馬鹿すぎますね……。 

亀山:そうだね。今回は100パーセント私の責任。ご迷惑をおかけしている大勢の皆様にも謝罪したい。私がOKを出したわけなので、知らなかったという逃げは通じないし責任は私にある。

清水鉄平という管理人には数回話したことがるけど、まだ20代半ばで「はちま起稿をどんな感じにしたいの?」と聞いたら、 

「アプリを作ったり、ゲームのオリジナルのインタビュー記事を増やして、大きくしたいです」 

夢を語っていた。 

今回の件で、はちまをそのまま放置せずに、DMMとしてきちんと教育して、やんちゃなやつをちゃんと大人に教育させていたら、こんなことにもならなかっただろうし、その点も含めて、私の全面的な落ち度だと思っている。

「やんちゃなやつをちゃんと大人に教育させていたら」。何と他人行儀で、また無責任であり、冷徹な言い方だろうか。

まるで大手企業の1dayインターンに来た青年を相手にするような他人行儀である。「やんちゃなやつ」?「大人に教育」?これは全く、「教育するつもりのなかった大人」たちの言い回しだろう。

DMMにとって「はちま」は完全に眼中になかった。彼はDMMにとって、せいぜい飼い殺しにすれば十分の存在だったのではないか。

「はちま起稿」を、偏向記事や捏造によりネットを混乱に陥れる、恐るべき存在と捉える人間もいる中、DMMサイドとしての認識はその程度だった。

 

無論、これはDMM会長の発言なので、実際はどうかわからない。だが私としては、このぶっちゃけたようで冷徹な言い回しに、十分なリアリティを感じる。

実際、はちま起稿の管理人は、DMMの「家族」にはなれず、古ぼけた犬小屋で飼われた「犬」だったのだ。その犬が、ある日誰かに噛み付いて、いざ処分される寸前、家長の亀山は他人行儀で「ちゃんと教育させていたら」と言い放つ。

私の経験上、本当に惜しい逸材なら、DMM会長程のビジネスマンは、口が裂けても「教育させていたら」などとは言わない。

本当に惜しい逸材なら、当然のように教育し、家族として受け入れると、自分の先見の明をアピールするはず。

無論、インタビューでは亀山会長は全力でDMMを弁護している。だが、「教育させておくべき」などという敗北宣言は、結果的にDMMと亀山会長のプライドを大きく傷つけることとなる。

だから、この発言には説得力があると感じる。

 

その冷徹さから浮かび上がるのは、いかに我々が「はちま」を過大評価してきたか、という現実だ。

我々が、はちまのステマを疑い、またDMMとの癒着が明らかになった時、このマフィアが企業と繋がることに恐れを抱いたはず。

だが、実際は決して「はちま」はマフィアでなかった。はちまは所詮、「外の犬小屋で飼われた番犬」であって、家族が僅かな餌をチラつかせれば、尻尾を振って言うことを聞くだけの存在。人間と畜生程に格差があると、亀山会長と実証した。

 

同じインタビュー内の「ステマなど不要、はちまは自ずからステマするから」という亀山会長の発言とも繋がる。

外で首輪に繋がれ、家で暖も取ることが出来ない犬にとって、わずかな餌や躾でも大きな報酬になる。

DMM様に飼ってもらう喜びを覚えた個人ブロガーに、対等な立場で何かを依頼する必要などなく、ただ「飼ってもらう」だけでも、彼がDMMに奉仕するには十分。現に、DMMはそう判断しているのだから。

 

「はちま起稿」は元々無力な存在だった

ここまで読んでもらった方は、恐らく「だが、このインタビューはDMMにあまりに都合が良すぎないか?」と考える方も多いだろう。

現に、この記事にはそういった批判が集まっている。

無論、かなーりDMMに都合の良い記事ではあると思うが、かといって「はちま起稿」に関する事実はかなりの部分で真実ではないか、と私は思う。

 

正直なところ、以前から「はちま起稿」は果たして企業が入れ込むほどの価値があるのかと、私は考えていた。

かつてPCゲーム界隈で著名だったサイト「GameLife」氏もこの点に言及した。我々は普段、「はちま」「JIN」を恐ろしいメディア王で業界を萎縮させていると考えているが、実際は「荒らし」の塊に過ぎないのではないかと。

 

あれから数年経過し、私はもう一つの事実を汲み取った。

その「荒らし」の源泉は、どこまで行ってもSNSではないか。

何故なら、SNSで炎上したり、2chで盛り上がらない限り、絶対に彼らは記事にしないからだ。

何故か。彼らは常に剽窃や転載を繰り返すばかりだが、裏を返せば、「1.誰かが言及する→2.周囲がSNSで議論する→3.JINはちまが記事にする」という、長い行程がなければ、彼らは剽窃も転載もできない。

彼らのサイトを読むといい。記事の殆どが、まず記事の核心や面白さを「1」で構築し、その話題性を「2」で熟成させた記事しかない。「1」と「2」を、彼ら自身で作ることはないし、出来ないのだ。

 

これは、単にゲハブログが怠惰なことに加え、ゲハブログがいかに「無力」かという結論に結び付けられる。

一方で、本当に有力なメディア、それこそ新聞王ハーストのような人間は、自分たちの都合で記事を作れる。

彼らが気に入った商品や政党を宣伝すれば、大衆がそれに引かれて支持する。それがメディアの権力だ。問題のステマ疑惑は最たるものだろう。

だが、彼らは常に、大衆の三歩後ろを歩き続けることしか出来ない。

彼らは業界のマフィアでなく、業界に巣食うマフィアみたいな大衆を、上手く利用してハイにする、ドラッグディーラーのようなものだ。


なぜ「はちま」? ネットの分断化と商業化

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以上のように、亀山会長による「教育しとけばよかった」という飼い犬宣告と、従来のはちま起稿のスタンスを省みて、

いかに「はちま起稿」が無力であるかという理由、そして、本当に無力であったこと証明された衝撃について述べてきた。

 

ここから、一つ残念な事実が浮かび上がる。

では、はちまを始めとする悪質なメディアの「反吐が出そうになる偏向的・感情的な記事」は、一体何故生まれたか。はちまが無力な飼い犬なら、一体誰が作れたのか。

そう、結局は「悪臭」をせっせとはちま起稿に送り付けたのは、記事のソースになったSNSと、それを利用する大衆なのだ。

厳密にはこのブログのような個人サイトを含めた、無政府状態の日本のウェブ環境そのものと言えるだろう。

 

さて、『君の名は。』『ポケモンGO』『ピコ太郎』など、日本のエンターテインメント産業は、インターネットが中心となりつつある。

誰もがスマートフォンを使って、ウェブにアクセスできる現代。SNSという特殊な環境における「世論」が、日本経済に強く関与する。

更に、SNSにおける世論は一般的な世論と異なり、かなり特殊だ。FacebookにせよTwitterにせよ、絶妙に分断化されたクラスタが独自の文化を構成し、それが徐々に偏り、感情的になっていく。

 

その偏りが具現化した結果が、「はちま起稿」を始めとするゲハブログの台頭であり、また偏りを利用しようとして、ネット住民に媚を売る企業の出現である。

ゲーム業界から見ても、『FF15』の例がある。「極上クオリティ」等、過剰な喧伝で散々ネットに媚を売って、発売後は酷評レビューで駆逐された『FF15』は、正にその象徴的な作品だ。

分断化されたネットのコミュニティ、そこから生じる賞賛や批判などの偏りと過激化、何とかそこに取り入ろうとする企業たち。こうした環境を、ゲハブログはどんな目線で追いかけていたのだろうか。

バカみたいに身内で盛り上がって他人に押し付ける、こうした暴徒を誰が糾弾したか。

大半のネットの「プロ市民」たちは、匿名の彼らより、手軽に糾弾できるからゲハブログを叩いたのでないか。

 

ポストはちま起稿について

最後に、個人ブログという体で自由にやってきた「はちま起稿」の影響力は薄れ、そこから生まれるだろう「ポストはちま起稿」とも言うべき、ネット上の空白について考えよう。

恐らく、メディアは今以上に偏り続け、ネットの分断化は進むだろう。確かにゲハブログは「煽る」ものの、仮にも個人ブログという体だったので四方八方を煽っていた。

だが、SNSによりコミュニティが分断化されると、こうした共通の敵は格好の「的」になり、現に排除されている。代わりに、コミュニティはより分断化され、そこに企業が付け入るようになった。

そうなれば、「はちま起稿」の記事がマシに思えるような、偏った世論は増えるだろう。

 

今ネットに必要とされるのは、「分断の認識」だ。

ネット上でコミュニティが分断されることは仕方ないとして、その境界が余りに曖昧で、無秩序なまま排除や侵入が絶えず、SNSはファイトクラブのようになり、そこに、企業が付け入るので、更に混沌としてしまう。

だからこそ、まずコミュニティの存在と境界を、我々は認識せねばならない。

国境線を引けとは言わないが、Twitterなどで際限なく自分たちの主張を拡張して他人に押し付ける人たちは、いずれ「東方生存圏」みたいな過剰なエゴを爆発させる。

例えば、今は右翼も左翼も「自分は中立だ、常識人だ」と言い張り、持論をあちこちで持ち出す人がいるが、あれでまともな政治議論が成立するわけがない。

自分は右翼・左翼と堂々と言い、匿名の殻を捨てて、初めて他の価値観を認められる。

 

具体例としては、民間企業や現行メディアによって、相応の権力を確立するべきだろう。

民主主義は市民と政府の両方に権力があるから成立するのと同じく、市民を放任すべきでない。

既に、五大紙はウェブ上でサービスを徐々に拡張しているし、企業側も(下手に媚びるのでなく)直接顧客と向き合う対応を始めている。

こうした既存の権威を、どう現状のネットに対応させるかで、今のネットにおける「無政府状態」はいくらか改善されるだろう。