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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

今だから冷静に『君の名は。』を考察: 「恋」の倒錯

芸術/映画/文学

 

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「恋」の倒錯: 魅力について

昨今流行の『逃げ恥』最終回を見て、本作の魅力と課題を改めて考えてみた。

 

本作は紛れもなく「恋愛」が主なテーマである。キャッチフレーズで「この夏、日本中が恋をする」とあるぐらいだし。

実際問題、「恋」は極めて普遍的でありながらシビアなテーマだ。個人的に、戦争映画、歴史(伝記)映画、ミュージカル映画並に、描写が難しいテーマだと思う。

 

このシビアなテーマに対し、新海誠が用いたメソッドは「入れ替わり」だ。何故いまになって入れ替わりなのか。

現状、殆どの恋愛映画では(従来までの新海誠が描いたように)、相手に好意を抱く余りどこまでも相手を求めてしまう情熱的な愛情を、ある種の「奇跡的」な領域だと悟らせることで、恋愛の美を描くものが多い。

そこで、『君の名は。』は、まず物理的に「奇跡」を作り出し、その奇跡に触れた男女が結果的に恋に落ちる様子を描いた「倒錯」を生み出すことで、脚本的な面白さとわかりやすさを両立している。

 

例えば、本作ではまず「物理的な奇跡」が主人公に発生するところから始まる。「入れ替わり」を始め、隕石の接近、三葉の生命的な危機、それに伴う記憶喪失など。

その奇跡によって、必然的に三葉と瀧は互いに協力・依存せざるを得ず、この人智を超えた奇跡と共に邂逅することで、両者は結果的に「奇跡的な恋愛」を証明する。

つまり本作の恋愛は「倒錯」を起こしているのだ。

 

この倒錯が、現に上手く機能している、と思えた工夫もいくつかある。

まず意図的に、「物理的奇跡」の数々が荒唐無稽に作られている。入れ替わりは最たるものだが、他の奇跡(というか試練?)もバタフライエフェクト、渚にて、エターナルサンシャインと、有名映画のオンパレード。

これらの災難が立て続けに主人公たちを襲うのだから、気の毒すぎてちょっと笑いそうになる。

そしてアニメーションの描写。ジブリ作品よろしく、「物理的奇跡」を描けるのはアニメーションならでは。墜落する隕石も美しいが、特に幻想的にキラキラと光る世界は、まさしく彼らの生きる、奇跡で構成されたユニバースだ。

 

『君の名は』が世間的に評価される理由は、奇跡ありきの倒錯した恋愛という、純情ながらもやや滑稽な(ワイルドな)描写と、それを支える数々の工夫があって生まれたものなのだろう。

 

「恋」の倒錯: 課題について

もし、それでも本作が気に入らないと考えるなら、この描写にも課題もあるのだろう。

まず、本作は、物理的奇跡が先行する分、もはや彼らは恋愛関係に陥らざるを得ず(仮に男でも、入れ替わった相手が死にそうなら何とかしようとするだろう?)、彼らは”相対的・必然的”に恋愛関係に陥る。

この安心感こそ、ある種「新海誠ワールド」の醍醐味であり、この映画が童貞臭いといわれる最大の所以だと思うのだが・・・*1

恐らく、大半の、恋愛経験に苦い思いをした男性は、この点に僅かでも不満を抱くかもしれない。

そう、彼らの恋愛はぬるすぎる。恋愛における「相手が好いているか否か」という駆け引きが本作には少なく、何より脚本がダイナミック&ユニーク故に、まるでハリウッド映画でアメリカが必ず勝つように、恋愛の成就が当然に予想できてしまう。

 

恋愛においての最大の敵は「恋愛相手」だ。

恋愛相手、彼らは本当に恐ろしい。我々が築いた信頼、そのための努力、自分のかけがえのないない情熱、それは奴らの僅かな判断で、いとも容易く破壊されてしまう。

その最大の要因は、失恋に理由や条件は不要という、不条理そのものだ。

「こいつ、やっぱいいわ」と思われたら、その瞬間、奇跡は現実に戻る。仮に自分に落ち度がなくとも、他に魅力的な競争相手が現れただけで、やっぱり奇跡は消し飛ぶ。もはや振られるとは、粛清されるを意味する。

当然、過去様々な名作でこの闘争と不条理は描かれてきた。

 

入れ替わる、隕石が降る、タイムリープする、こうした困難がある中で、三葉や瀧は互いを振ろうとするだろうか、むしろ彼らは、脚本という絶対的な神の前で、自分たちの恋愛感情を証明すると言う、インチキをしたのではないか。

この脚本は、物理的奇跡の前で翻弄される二人の男女を、逆説的に、確たる脚本の中で愛情を保障される男女という、恋愛というゲームでのチートに手を染めていると言えるのだ。

 

無論、彼らが直接運命を確信するシーンはないし、要所で上記のような疑惑に駆られるシーンもある。

だが、我々からすると、あまり二転三転する脚本が、逆に登場人物の自由な活動を支配してしまい、メタ的な視点で「恋愛が成熟するな」というのが容易に想像つく、という点で保障された恋愛なのだ。*2

物理的に奇跡を起こし、男女が絶対の愛を誓う、ダイナミックな「脚本主導」の物語は確かに楽しい。だがこの魅力が、同時に「恋愛相手」というラスボスを封じ込め、保障された恋愛という禁忌に触れた。

 

改めて言うと、『君の名は。』は素晴らしい。先ほど述べた課題は、実際のところ『君の名は。』の中核そのものの、もう一つの面であり、修正してどうこうなる問題ではない。

「恋愛」における、歓喜と絶望。『君の名は。』は恋の喜びを、強引に脚本で奇跡を巻き起こし、幻想的な世界に引きずり込むことで描きこんだ。この極上のユートピアには、恋の絶望など不要であり、描いてはならないのだ。

だが、パートナーとの駆け引きのない恋、フィクションが完全に支配する恋は、ある種マッチポンプであり、そこで納得できない人も、必ずいるはずだ。

その点で、ある意味『風立ちぬ』以上に賛否両論になっても不思議ではない本作。作家が能動的に提起した問題でないにせよ、結果的に面白いテーマを生み出した。

*1:だって『秒速』も、遠距離とか価値観とか、かなり物理的な部分で言い訳するし、『言の葉』もやっぱ現実的な問題(=悪い奇跡)に、失恋の究極的な原因を押し付けてるじゃん?

*2:大作ハリウッド映画で米軍が負けることはないだろ?