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ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

【評価】『Inside』の感想やレビュー 古典化したインディーズ ×ネタバレ

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ゲーム概要

「追われに追われて一人きり、少年はいつのまにか闇のプロジェクトの中枢に引きずり込まれていた。」

このシンプルな説明文が全てを表す、2D横スクロールのパズルアクションゲーム。

開発は『Limbo』で成功を収めたPlaydeadが担当し、各方面で高い評価を獲得した。

ネタバレなし

www.youtube.com

 

逃げているのか、追っているのか

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『Inside』は極めて抽象的なゲームだ。

プレイヤーはただキャラクターを右へ、右へと誘導するだけでゲームが進む。

映像や説明といったものは愚か、根本的に言語やレベルさえ排除され、視覚的な表現でもってのみ、本作はプレイヤーに訴えかける。

現に、主人公は最初、何からか逃げるように走り続けている。

監視員と思しき人間に銃撃され、命からがら逃げたと思ったら、むしろ世界の悪意は益々濃くなり、気づけば悪意の中枢、すなわちInsideにたどり着く。

自分は一体、逃げているのか、追っているのか。自分の意志で動いているのか、何かに導かれているのか。こうした抽象的な描写が本作の醍醐味だ。

抽象的だが、虚無的ではない。輪郭を帯びた世界には、人間の手によるものだとわかる悪意と、人間の手に余る脅威が、ハッキリと描かれている。

 

舞台となるのは、ディストピア的なSFの世界。退廃的な工場や研究所が連なり、精気のない人間が徘徊している。

この描写はなかなかに唆るものがある。ボロボロになった工場、電車で運ばれる人間らしき存在、潜水艇で冒険する巨大地下研究所。進歩と退廃の混ざったディストピア的な芸術だ。

ゲームプレイは極めてシンプルな2Dパズル/アクション。操作は移動とつかみ、ジャンプだけで攻略する。

シンプルなものの、難易度自体は低くない。ほぼ大半のパズルに初見殺し要素があり、三歩進んで二歩下がるゲームプレイが続く。だが難しすぎるパズルもない。

 

完成されたゲームデザイン

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先述したように、本作の白眉は、言語を介さない抽象的な表現を用いながら、それでいてプレイヤーに強く訴えかける表現力と、それを実現するゲームデザインである。

ムービーなし、言語なし、粗筋なし。全くの束縛なく、プレイヤーは何の不自由もなくゲームプレイにのめり込み、その奇妙な冒険を体験することが出来る。

番犬から逃れる恐怖、未知の研究所に忍び込む高揚感。こうした体験の連続は正しく冒険であり、ゲーム本来の持つ原初的な体験を、極めて高い次元で完成させている。

 

抽象的であっても、空虚ではない。本作は確かなストーリーこそないものの、プレイし終えた後に、思わず考察したくなるような、好奇心に満ちた冒険が待っている。

退廃的な社会。ここでどんな実験が行われ、何故人間たちはあのような姿となり、そしてラストが意味するものは何か。

ファンと議論して尽きない、いかようにでも考察できそうで、ユニークなストーリーテリングが、プレイヤーを飽きさせない秘訣と言えるだろう。

 

単純にゲームプレイの一形態と捉えても、本作は完成されている。ただ右へ右へと進むだけで、目まぐるしく物語は進む。テクスチャの使い回しはほとんどなく、背景もコロコロ変わり、まるで辞め時が見つからない。

『Limbo』で完成されつつあったものの、表現力は大きく進化した。光と影を活かした幻想的な表現、そして物理エンジンを活かした躍動的な表現は、インディーズでありながら高い技術力が認められる。

「3時間のゲームプレイを、6年かけて作る」試みだからこそ、1分1分のゲームプレイに飽きさせない工夫が散見される。

 

古典化したインディーズ

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しかしながら、こうした魅力とは対象的に、ぎこちなさを感じる部分が多々あった。

顕著なのはゲームプレイである。本作のメカニクスは余りに旧態然としており、開発の始まった6年前から何も進歩していないのは、あまりに怠惰というほかない。

 

具体的に、本作は2Dベースのパズルとアクションを合わせたゲームだ。ボタンを探して扉を開けたり、人を人形のように操ったり、モノを積み重ねたり、機転を利かせて先に進む。

こうした試み自体は悪くなく、特に1回2回のトライで成功できる絶妙な難易度調整は見事だと感じるが、

肝心のギミック自体は、既にインディーズの2D作品でみたものばかりで、新鮮味がなく、何より本作ならではのメカニクスが殆どない、という点から、退屈さを拭えなかった。*1

 

それを助長しているのが構成である。本作は「レベル(面)」という概念がなく、ひたすらシームレスにゲームが続くのだが、この点にも問題があった。

レベル同士の繋がりが余りに定型化しているのである。具体的には、一つパズルを解けば、また新たなパズルが現れ、1度か2度失敗して解くと、また新たなパズルが現れるといった具合だ。

正直これがかなり苦しい。普通のゲームなら10分ゲームを遊ぶと1分ムービーを挟んだり、ちょっとしたミニゲームが始まるとか、そもそも別レベルに移行するとかあるが、本作は全く同じようにパズルを解き続ける。

せっかくの「抽象的だが魅力的な冒険」も、この作業感が拭えない構成でかなりブレる。単純に緩急に欠ける、テンポが悪いのもそうだが、単純に「あー次もパズルでしょ」と予測させ、未知の世界を冒険している感が薄れていく。*2

ついでにいうと、本作の物語そのものも、割りと他のゲームでみられたもので、そこまでビックリするようなものでもなかった。

 

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ここだけは結構面白かった

 

これら二点を通じて私が感じたことは、「インディーズも既に”古典”になるほど長い歴史を持ったのかな」ということ。

既存のメカニクスの使い回し、定型化されたレベル構成。いずれも、既にたくさんのインディーズ2Dアクションが生まれたからこそ感じる欠点であり、逆に言えば制作チームが『Limbo』を作った頃には疑問視されていなかった。

彼らには既に『Limbo』を作ったノウハウがある。我々には、既に『Limbo』を含めたインディーズ作品をプレイした経験がある。同じ手段は通用しにくいし、同じ手段で作品を作ることは容易だ。

インディーズゲームという文化は既に確立され、その中で進歩が求められている。それだけ作品が増えている以上、「古典」に甘んじることは許されない。開発に6年かかったことを考えれば、仕方ないことかもしれない。

いっそ、使い古されたパズルで「ゲームらしさ」に固執するより、それらを削って、独自の世界観をより堪能させた方が得策ではないかと私は感じた。

 

そう考えれば、インディーズは更に厳しい世界になったなと感じる。技術力や予算に限界があるインディーズでは、必然的にアイディア勝負になってくる。

2Dアクションだけで、今のゲーマーを楽しませるのは、それだけ難しいのだ。

これがシューターやレースなら別なのかもしれない。FPSはどれも同じようなものだけど、根本となるメカニクスが成熟していて、アレンジする余地は大きい。技術力や予算に余裕があれば、更にアレンジする余地があり、それが個性として認められる。

現代ではインディーズが一大ジャンルとなった。そこでどのように独自の表現と、プレイヤーを満足させるゲームプレイを両立させるかが、今後の全体的な課題となるかもしれない。

 

 

*1:洗脳装置ぐらいだろうか?それも他作品で何度か目にしたようなものだが。

*2:まぁ結論を見ると、これも狙いなのかなと思わないでもないけど、それはそれで一貫性のない陳腐な表現にも思える