ゲーマー日日新聞

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【批評】『ドラゴンクエスト11』の感想やレビュー 老兵死なず舞い戻るのみ

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ネタバレは基本ないです

 

およそ8年もの期間を経て現代ゲームシーンに返り咲いた『ドラゴンクエスト11』。そのクオリティたるや、圧巻の一言であった。

野を駆け、海を渡る冒険のスリルは、従来のシリーズと比較しても、昨今溢れる国内外のRPGと比較しても、圧倒的と言う他はない。冒険には常に新たな発見があり、プレイヤーの情熱は留まるところを知らないだろう。

本作に「妥協」という文字はない。膨大な人員、資金、そして何より、情熱が注ぎ込まれて作られた本作は、膨れ上がるリソースに完全に比例したまま、作品という器に収まってしまった。これが大作ゲームの究極的な形なのかと納得せざるを得ない。

いくつかの僅かな瑕を認めた上でも、その巨体はびくともしないだろう。私が40時間に渡る冒険の中で、一切ダレることなく遊び続けたゲームは、少なくとも今年で本作ぐらい。

『ドラゴンクエスト11』は、本来なら完成し得ないエル・ドラードであり、大作ゲームの本来のあり方を改めて証明した名作である。

 

『ドラクエ11』は過去シリーズを”超えた”

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『ドラクエ』には私も思うところはある。ゲームにまだ大して興味もない頃から『ドラクエ』は身近にあり、友人と話すネタもまた『ドラクエ』だったのだ。

実際、子供の頃に遊んだ『ドラクエ』は面白い。ゲームとしての完成度もさることながら、始めてゲームに触れた感動と、思い出補正という反則めいたbuffまでかかってしまうのだ。だから『11』に期待するそれは、過去シリーズに辛うじて準ずる程度のものだった。

 

だが認めなければならない。人気の高い『3』『5』、個人的に好きな『4』『8』といった歴代をも、『11』は超越するポテンシャルがある。無論完全に「超えた」と言わないでも、文句なしに彼らと肩を並べる魅力を本作は持っている。

まずグラフィクス等の技術的な向上がもたらす冒険のスリルは凄まじい。今までは「山」「野原」のドットで描かれた世界が、今では野原に咲く花の一つさえ手に取れるように描かれ、臨場感がとてつもない事になっている。

言うまでもなく、3D化の感動は『8』でもあったし、リアルなRPGなら国内外でも有り余るほど存在する。

だがそれらを一蹴する程に『11』の世界は美しい。無数にある街にはテーマごとに建築物や家具まで揃い、使い回しは一切ない。フィールドには魔獣、ダンジョン、採集ポイント、キャンプなど敷き詰められており、一切隙間がない上に、ちゃんと『ドラクエ』らしい「ルート」が用意されている。描写とコンテンツにおける「質」も「量」も、圧倒的と言う他がない。

 

驚くべきは、こうした徹底したリアリティの結果、『11』の冒険には「想像」の余地はないことだ。何故なら、「全て」描かれているのだから。

圧巻の自然、広すぎる城下町、強敵との戦い。これらは単にアンリアルエンジン4だけでなく、クリエイターたちの途方もない努力によって隙間なく作られ、我々の想像で描かれた世界は画面中に完全に実現している。

従来の『ドラクエ』で味わった、わけもわからぬうちに野原に放り出される不安、始めて船を手に入れた時の解放感、ようやく街に到達した安心、こうした感情は、美しいドット絵なりで、「きっとこうなっているのだろう」と、辛うじて想像で補ってきたものだ。そして、それこそが当然だと思いこんでいた。

『11』の冒険にはこうした「想像」する暇もない程、絶え間ない情報量で我々の知る『ドラクエ』が展開される。「想像」するまでもなく、物語が広がり続け、満足感だけを受け取ることが出来る。

色々な描写を想像で補うのもビデオゲームの醍醐味だろう。だが、ここまで「想像の余地がない冒険」(褒め言葉だ)は私は味わったことがない。

あの時代に「いかに想像してもらうか」と考え描かれた世界は、現代では「いかに世界そのものを味わってもらうか」という方向性へ変わった。これが現代で『ドラクエ』を作る意地とでも言うのだろうか。

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基礎部分に関しては変わらないが、満足の行くクオリティ

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こうした最新技術とリソースを惜しみなく、『ドラクエ』のテクスチャ、コンテンツ、ストーリーテリングに注ぎ込んだ上で、本来『ドラクエ』たらしめていた点については、驚くほど手をつけていない。

戦闘、物語、レベルデザイン、UIに至るまで、基礎の部分においてはまるで『ドラクエ』そのまんまだ。つまり、未だにオーブを集める使命があり、消耗品はキャラクターに持たせないと使えず、レベルさえあれば通常攻撃だけでボスが倒せて、「バイキルト」がとにかく強いのである。

 

だが、数々のRPGをプレイした後であっても、未だにその古典的なゲームプレイが楽しいのだから不思議なものだ。

実際、『ドラクエ』のUI、物語、ゲームプレイは完成されている。ターン制はややテンポが悪いが、その分、攻撃回復補助のタイミングを見極める駆け引きが産まれ、物語は単純さの中に見事なミスリードが含まれている。

形式は古典的でも、仕上がり具合がまるで違う。どのボスも初見で考えればギリギリ倒せるバランスになっているし、装備やレベルに関してもプレイヤーの理解度次第では不要になったり必要になったりする。会心や状態異常のような運要素は、あくまでスパイスとしてのみ機能している。凡百のRPGの戦闘が退屈だと切り捨てられるのは、単純なシステム故にバランス調整の成否がモロに反映されるからだ。

物語に関しても、一見ご都合主義でファンタジーな「形式」をなぞらえるようで、そこで見事に落とし所を作る。全員を救おうとすれば誰かが犠牲となり、人の過ちには報いがある。遊んでいるうちに、「『ドラクエ』ってこんなシビアなゲームだったか?」と思わせるほど、グッとくる場面も作ってある。未だに「堀井節」は健在だ。

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シリーズ通して何百回と繰り返してきた戦闘だが、未だに試行錯誤の余地がある

 

完璧故に生じる欠点

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それでも本作にはいくつか気になる点があった。

最も大きいのは、魅力に欠けた主人公の存在だ。本作の主人公は、どれほど重大な決断を迫られたり、悲惨な運命と向き合っても、ほぼ表情を顔に出さず、まるで無機質な人形のようだ。

『ドラクエ』の主人公自体、無機質なキャラクターが多かったし、そもそも主人公はプレイヤーがロールプレイするための仮の器であり、表情も台詞も不要だった。だが、そこでネックとなるのが『ドラクエ11』特有の「完璧な描写」だ。 

『ドラクエ11』では、「想像の余地もないほど」何もかも描写する傾向にある。どんな細かいオブジェクトも描かれ、作中では頻繁にムービーや会話が挿入され、全てシームレスにゲームプレイが展開される。それ自体は、特にテンポも崩さず、絶妙だと思う。

しかし、こうしたシームレスな描写に絶えず主人公が映ることで、これまでは「そういうお約束」ということで流されてきた、主人公という無機質で不安定なキャラクター性が、リアリティ溢れる『ドラクエ11』の世界では浮きだってしまい、却ってプレイヤーは感情移入出来なくなってしまうのだ。

結局、殆どの場面で『ドラクエ』は現代でも通用するデザインだと証明した本作だったが、「無機質な主人公によってプレイヤーが感情移入できる」というデザインに関しては、かなり無理があったと言わざるを得ない。

 

また先程、戦闘や物語、システムについて「古典に忠実ながら完成度は高い」と述べたが、一方で新たに追加した部分で難しい点があった。

まず新要素「スキルパネル」は今ひとつだ。従来のスキル制や職業制と違い、自由な組み合わせでスキルを取得できるのだが、あまりに使えるものと使えないものの差がありすぎ、逆に欲しいスキルを最速で取った後の成長の楽しみがほとんどない。

またフィールドはリアルなのだが、少し明るすぎて単調な世界観だ。『3』の幽霊船や『4』のアッテムトのような廃墟、『5』の光の教団のような魔物の恐怖、『8』のスカウトモンスターのような露骨な強敵など、ゲーム的に、或いは心理的なプレイヤーの脅威が殆ど無い。現代の子供向けにしたような調整だが、あまりに毒がないのも冒険としてのリアリティが薄い。

そしてこれも似たような問題だが、序盤ではあまりにも行動できる範囲が狭い。フィールドは広いのだが、ゲーム進行に応じて殆どのルートが封鎖されるため、大半が一本道になっている。しかも冒険できるエリアにも鍵付きの箇所が多く、せっかく苦労しても手ぶらで帰る羽目になることもよくある。クリア後も楽しんで欲しいという配慮なのだろうが。

 

また、これは個人の好みもあるだろうが、主人公を除くほとんどの仲間は魅力的だが、シルビアの設定や物語には異を唱えたい。

いわゆるトランスジェンダーのキャラクターだが、後半における彼のイベントは、所謂オカマネタを全面に押し出したもので、私にように「LGBTに対して同化はしないが拒絶もしない」な人間にとって、自分の意志と裏腹に、無機質で中立な主人公が、特殊でデリケートな価値観に一時的とはいえ支配されることにとてつもない不快感だった。*1

個人的にLGBTの方を不快だと感じたことはない。だが、性的価値観を巡る表現に関しては、差別と同様に強要も決してすべきではないし、それ以外の場面でもシルビアが独自の価値観で主人公の行動を誘導する場面が多く、そうした価値観に「配慮した」と勘ぐらざるを得ない表現の数々には違和感を覚えた。

(くどいようだが、私は私なりに性的価値観を持っている。お互いの価値観は尊重すべきだし、ビデオゲームでその考えを議論するのは賛成だ。本作での表現が下手だったというだけで。・・・まぁ堀井さんらしいといえばそれまでだけど。)

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普段は良いキャラなんだが、特定のシーンでは少し浮いた存在に

 

結論:老兵は死なず、舞い戻るのみ

すごい作品が産まれたものだと思う。

驚くべきことは、これほど魅力的な作品にも関わらず、本作のほとんどが古典的な要素で構成されている点だ。(いくつか『ドラクエ10』の要素を引き継いでいるといえ)

昨今では『MGS:TPP』、『FF15』、『ゼルダの伝説 BotW』など、海外におけるデザインを引用・吸収しつつ、シリーズ固有の伝統的なデザインと融合させる手法が成功を収めている。

一方、本作『ドラクエ11』は、戦闘、物語、UI、システムに至るまで、何もかも「オールドスタイル」。にも関わらず、途方もない努力と情熱で、このスタイルならではのゲームプレイを見事に実現させ、「日本固有のゲームデザイン」を堂々と世界に証明した。

同じ日本人として・・・とまでは言わないが、幼少の頃に親しんだゲームの在り方が、より競争の激しくなった現代ゲームシーンにおいても、十分に通用することを、実際にゲームを通して体験できたことを嬉しく思う。

それは同時に、自分が幼い頃に触れ、どっぷりと浸かったゲームは本当に面白かったのだと、自分の記憶さえも肯定する体験だった。

本当に面白いゲームなら、あの時夢中になったように、大人になっても夢中になれることを、再確認できたことが、本作で得た最も尊い体験かもしれない。

 

*1:具体的にはフールフール戦の前。シルビアは独自のゲイパレードを作って行進しているのだが、主人公もその服を装着させられ、フィールド移動中は自動でそのダンスをする。