ゲーマー日日新聞

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【批評】『LISA the Joyful』の感想やレビュー 純度100%の歓喜

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「毒矢」と「解毒剤」

『LISA the joyful』はAustin Jorgensen氏の作るRPGシリーズ『LISA』の最終作であり、『LISA the painful』の後日談である。

物語では、ブラッドの義理の娘、バディがオレイサを支配するため刀を振るう。彼女はそこで何を得て、何を失うのか。

 

私は以前、この前作『LISA the painful』を絶賛した。余りにも生々しい苦痛に満ちた人生を体験する「シミュレーション」。ビデオゲームのインタラクティブ性を最大限発揮した作品の一本として、ゲーム史に残る傑作だと私は思う。

一方、本作は決して万人にオススメできる作品ではない。『LISA the painful』の本質はタイトル通り「苦痛」そのものである。ドラッグ中毒者のハゲたオッサンが、独善的な愛を根拠に暴力を振るい、誰からも憎まれる、救いようのない物語だ。

では、後日談である本作『LISA the Joyful』はどうだろう。実は本作もまた極めてタイトルに忠実な作品。即ち「歓喜」に満ちた作品なのだ。

arcadia11.hatenablog.com

 

故に、私は『painful』と『joyful』を、「毒矢」と「解毒剤」だと考えている。

あの『painful』でズタズタに引き裂かれたメンタルを、『joyful』の極めてリアルな「歓喜」で取り戻す。それが『LISA』が伝える物語だったのだ。

 

 

 

では本題として、『joyful』における「歓喜」とは何か、これを述べると言わずもがな作品最大のネタバレになってしまうだろう。

少なくとも、未プレイの方には是非両作品をプレイするべきだ。くどいようだが、これらの作品は傑作で、何も見ないで遊ぶ方が絶対に良い。

それでも、どうしても買うつもりはないと考える方がいれば、どうか読んで欲しい。そして、読んでいる間に、僅かでも買う気が起きたなら、すぐにブラウザを消し、steamストアにダッシュして欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「He's my dad」

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『Joyful』は少なくとも、中盤まで、前作と何ら変わらない暴力に満ちた冒険が展開される。

オレイサは依然として無政府状態であり、前作でランドー軍が壊滅してから、益々悪化している。各地には軍閥が蔓延り、バディは彼らを全員殺害し、オレイサ最強の存在を目指す。

この動機は、ぶっちゃけ『グラップラー刃牙』だ。憎き父親がいる。だが強い。ならば、彼を超越した最強の存在となって、父親というトラウマを克服しよう。というお話。

なのでゲーム自体は『painful』より遥かに気楽に楽しめる。少年漫画のようなノリで、軍閥を片っ端から倒していけば良いのだ。バディのメンタルはハゲジジイの豆腐のそれとは違い鋼鉄で、トラウマに悩まされてもいない。

故に話はトントン拍子に進む。オレイサの軍閥を片っ端から処分し、あの悍ましいジョイミュータントでさえ敵ではない。前作で味わった絶望感が、そっくりカタルシスとして本作の面白さに反映されている。

そして、前作における元凶ヤドー博士。親父では手が届かなかった、憎きヤドーにバディは遂に到達する。この血と臓物にまみれた旅路の果て、バディが見出したものとは。

 

 

ヤドーに対する怒りと、服用していたジョイの中毒によって、バディは正気を失う。

バディは依然として、その世界の全てを憎んでいた。暴力と利己にまみれた世界、自分を管理しようとしたブラッドやダスティの存在。何もかも切り捨て、バディは世界を浄化しようとしていた。

 

だが、正気を失ったバディの前に現れたのは、ダスティの姿だった。

彼女はダスティを刀で八つ裂きにする。バラバラになったダスティの骸は、一言こう漏らした「あとは上手くやれよ、妹」。

そして、更なる深淵にバディは落ちていく。血にまみれた空想の世界、絶望の最果てに、彼女はある人物と出会う。

 

 

 

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それがブラッドだった。やはり、彼女は刀で父親を名乗った男を斬る。だが何度斬っても、その男は嘆き悲しみ、己を憎み、彼女をハグしようとしていた。

やがて、「ブラッド」は「おとうさん」になり、「おとうさん」は「ノーバディ」になった。

 

www.youtube.com「彼が、私のおとうさん」

 

 

「バディ、そうだバディだ。

 

俺が思いついた中で一番の名前だ。

 

なに単純なことだよ。お前は俺の小さな”バディ”だ。

 

お前が赤ん坊の頃、俺はいつもお前をそう呼んでいたよ。

 

ブラッドとバディ、いい響きだろ?」

 

 

 

「やめろ、俺をそんな風に呼ぶな。

 

俺の名前はブラッドだ、わかるな?ブラッドと呼んでくれ。」

 

 

 

「お前を拾うまでの俺は、完全に自分を見失っていた。

 

そんな時にお前が現れて、俺に感情を呼び起こしてくれたんだよ。それまで周りの誰もが感じさせてくれなかった種類の感情を。

 

お前は俺に、本当の愛がどんなものであるか、教えてくれた。

 

そしてそれこそが、お前の目を覗き込むときに決まって抱くその感情を、俺がこの世でどんなものより畏れる理由だ。

 

畏れることに向き合うことができなかった俺は、自分自身を暗闇の奥の深い所へ押し込んでしまった。

 

だが信じて欲しい。俺はそれに抗おうと精一杯の努力をしたんだ。俺は努力した。そしてどんなことがあろうとも、俺は心の底からお前を愛したんだよ。

 

お前を失望させて本当に済まなかった、バディ。

 

お前を失って俺はすごく寂しいんだ。

 

それじゃあな。」

 

バディがオレイサを蹂躙した修羅の旅、その最果てに、彼女が見出したのは、自分の父親だった。

決して自分の父と認めず、憎んでさえいた、あの父の姿。

それは、決してプレイヤーに打ち明けられることのなかった、真実だった。そう、バディは父親が自分のために努力していたことを、心の底で知っていたのだ。

プレイヤーの知る残酷で、悲惨で、人々から恨まれ、娘からも憎まれた男は、既に感情を手に入れていたのだ。プレイヤーが彼を導いていたことは、正しかったのだ。

純度100%の苦痛を描く『Painful』では、絶対に描かれなかったであろう、いや、描いてはいけなかったであろう、既に失われた「歓喜」が、この瞬間に戻った。

 

 

 

 

 

 

これが『LISA』の完結だ。絶望、苦境、憎悪、その果てに、プレイヤーが得たものは、二人の、本当に不器用な父親と娘の、愛だった。

これほど報われた物語はあっただろうか。私は心打たれた。あの『LISA』において、まるで「シミュレーションの一種か」と思うほど、リアルに人間の心を抉るような、絶望的な冒険を描いた上で、その終着点など無いと思った。

だが、どんな苦難があっても、愛があった。その愛は、彼女に届いていた。『Joyful』が解毒剤であるのは、『Painuful』でプレイヤーが体験した地獄のような冒険に、意味があったとわかるからだ。

 

凄いと思った。『Painful』は事実として完結したのだ。タイトル通り「苦痛」をテーマにしたゲームとして。そこに、無駄な後付は許されないはずだった。

だが『Joyful』は、「歓喜」は「苦痛」の果てにあるものだった。あのブラッドの旅を知る者だけが、唯一勝ち得るであろう歓喜、それが「届かないはずだった愛」が、本当に届いた瞬間にあった。

本当に色々な努力をした。本当に色々な傷を負った。その全てが報われないからこそ、『Painful』が名作なのだとしたら、その全てが報われたからこそ、『Joyful』もまた名作となる。

それは、『Painful』における純度100%の苦痛あっての話だ。あの徹頭徹尾貫いた苦痛の旅、プレイヤーが半分以上脱落するであろう、プレイフィール度外視の拷問マラソン。それに意味はあった。

「あの苦痛を、絶望の中でもがくブラッドの姿を、バディは”知っていた”のだ。」

 

『Joyful』は、ここ数年で最も理想的なDLCだといえる。