ゲーマー日日新聞

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2017年、私の考えるゲームオブザイヤー ランキングTOP5

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条件:

2017年に発売されたゲーム(乃至、日本で発売された、日本語化されたタイトルを含む)

100%自分の主観なのでご了承ください。私個人にとって印象に残ったゲームをピックアップしています。 

 

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第5位 アサシンクリード:オリジンズ

毎年恒例のシリーズとなった『アサシンクリード』最新作。舞台は古代エジプト末期。従来までのソーシャル・ステルスゲームというコンセプトから一転、幅広いマップを舞台にARPG要素を強め、大きく方向転換した作品。

作品としてみれば、数多くの粗が残り、テーマとして意外性があるわけでもない。ただ一点。古代エジプトほぼ半分再現してみせた、圧倒的スケールのマップこそ、本作最大の魅力である。

これほど現実に「旅」をする感覚をゲームで味わった経験はかつてない。朝靄に佇む大ピラミッド、ヘレニズム文化を象徴するファロス燈台、ローマ帝国の威光放つキュレネ。

自分の思うまま世界を探訪し、再現された歴史に触れた経験は、次世代のオープンワールドの可能性を感じる上で十分なものだった。

 

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第4位 Cuphead

今年で最も「技術力」を感じたのは、独立系開発企業に属する2人の兄弟が作った本作だった。

このゲームには、数千万kmのマップもない、毛髪1本毎に描く処理力もない。だが間違いなく画期的で、最新鋭の表現だった。カートゥーンで動くキャラクターは、その動き一つ一つが舞のようで、決してモーションキャプチャーで引き出した人間の動きでは、その世界に”追いつけない”。

“アニメーション制作には当時のアニメーターと同じツールを使おう。1 フレーム 1 フレームをインクで描いて、背景は水彩で色付けしよう。現代的なデジタルツールを使うよりも、ずっと 1930 年代の風合いに近づけるはずだ”

人の情熱がこの境地に辿り着いた。約100年前の技術が、現代のあらゆる技術で表現し得ないものを作り、それがこの硬派ながら完璧なバランスと、古今東西から輸入したインスピレーションと組み合わさり、ただ奇抜なだけで終わらない、独立した最新のゲームを完成させた。

 

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第3位 ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

間違いなく歴史に残る一本である。私は個人的に3位としたが、1位と認める人がいるのは当然だと確信できる。

本作は数多くのコンテクストを束ねている。古いゲーム、新しいゲーム、海外のゲーム、日本のゲーム、AAA級のボリュームとインディーズのインパクト、そして言わずもがな『ゼルダ』という核。それらを全て受け入れ、一つのゲームとして完成させている。

これは「寛容」と言うには少し違う。本作はあまりに吸収しすぎていて、にも関わらず綻びがない。優れた意味で、このゲームは例えようのないゲームなのだ。各分野を徹底して研究し完成された、キューブリックの『バリー・リンドン』のように、このゲームは完璧なのである。

このように捉え所のない作品だが、遊んでいて感じる一つの共通した哲学がある。それは「ゲームとして何が面白いのか」という点。それは強敵を倒す時や、NPCの悩みを解決した時、或いはピクニック感覚で食事している時。プレイヤーの行動には必ず意味があり、それが「面白い」と感じることを確実に予見するよう作られていることには、舌を巻く。とても人間業とは思えない。

ある意味、心理学の研究モデルにも活用できそうな傑作である。

 

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第2位 Horizon Zero Dawn

先にいうと、このゲームは総合的な視点では『ゼルダ』に劣る。仮に客観的に評価すれば、『ホライゾン』は10点中9点までつくが、『ゼルダ』には10点がつくだろう。それでも本作の側を評価したのは、一つ私が答えを出せなかった難題に本作が「解」をもたらした点が、強く印象に残ったため。

それは、「オープンワールドという空間で物語をいかに展開するか」という課題。通常、ゲームのストーリーは、「線」である。弱い勇者が、仲間や装備を経て、最後に元凶を倒す。物語はレールを、左から右へ滑るように展開される。

対してオープンワールドは「面」である。必ずしも左から右へ移動すると限らない。東西南北自由に移動できる。ひたすら北で過ごす時もあれば、とりあえず円状に移動する時もある。その「面」でのプレイヤーの行動を、どうストーリーとシンクロさせるか。

『Horizon』の重大なテーマは、「自己」である。主人公アーロイに親はなく、周囲の部族から孤立した存在で、常に己のルーツを探していた。同時に世界観そのものも、我々の現代から1000年経った道の世界で、本来人間や世界がどうあって、何故崩壊したのかもわからない状態。

「アイディンティティの危機」。本作は極めて重大なテーマを投げかける。それがオープンワールドにおける「面」でのゲームプレイと見事にシンクロしている。

アーロイが冒険する理由は、失われた自分の出生があり、プレイヤーがプレイする理由は、人類消失の原因がある。故に2人は世界を彷徨し、その意義を探し出す。長年に渡って試行錯誤が繰り返されたオープンワールドのナラティブのうち、本作は一つの明確な解を出したといえるだろう。

 

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第1位 スーパーマリオオデッセイ

「三又の矛を手に取り、雲を集めて海を掻き廻し、あらゆる風をあらゆる方向へ吹かせ、大地も海もおしなべて雲で蔽えば、たちまち上天から闇が下る。東風、南風、吹きすさぶ西風、晴朗の上天に生まれ、巨浪を転がす北風がともに起こって互いに撃ち合う。この時オデュッセウスは膝も心も萎えて、嘆きつつ己が剛殻の心に語りかける。

-『オデュッセイア』ホメロス」

「楽しい」、「面白い」、「泣ける」、「何時間も遊べる」、「何でも出来る」…。ゲームを評する賛辞はいくらでも思いつく。だがこのゲームに掛ける言葉は、ついぞ思い浮かばなかった。

このゲームを遊んで感じたものは、安堵だった。まるで最初からこのゲームを知っていたかのような。確かに『64』や『サンシャイン』や『ギャラクシー』は遊んだけれど、壮大な世界は綺羅びやかだけど、驚くほど自然に私はただ、遊んでいた。

確かに完成されたマップ、シンプルながら洗練されたアクション、古今東西のビジュアル、無駄のないレベルデザイン、これだけ美麗で一切カクつきのない動作、王道だが驚きのあるストーリー、完全にストレスフリーで遊ばせるUI、Switchの「おすそわけ」を活用した画期的なローカルCOOP、壮大で聞き入る音楽、過去作への惜しみないリスペクト、古今東西のゲームメカニクスの融合、パズルとアクションを同時に拡張する画期的なキャプチャーシステム。

本作の美点は当然いくらでもある。だがそれらを一つ一つ語っては、そこで終わってしまう気がする。果たして『スーパーマリオ オデッセイ』の魅力とは何だ。無数の美点があって、一体何が生まれたのか。

本作における体験は、赤ん坊がハイハイをするようなものだと思う。極めて原始的で、それ故にゲームでは再現不可能に思える、刹那の体験。目的を持たず、手段を持たず、ただ前に進んでいるだけで満足していた記憶。或いは、初めて夢中になったゲームで味わう「それ」に近いかもしれない。

あぁ、それはあまりにも『オデュッセイア』だ。至高の冒険譚。その最も有名なシーンが、上述した「漂流」のシーン。オデュッセウスはその過酷な運命を呪うのだが、かつて読者だった私は、微睡みの夢にも似た、原始的な感覚を得た記憶がある。或いは、キューブリックの『2001: Space Odyssey』にも同様の感慨があった。

ただ遊ぶだけで喜びがある。どんなゲームでも微かながらあるその体験を、本作は『マリオ』という原典に、史上類を見ない次元で実現した。

私にとって2017年における最高傑作は、『スーパーマリオ オデッセイ』である。

 

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番外 『STEINS;GATE』

本作は2009年発売のゲームなため、ランキング対象外とした。ただ、個人的に「印象に残った」ゲームとしては外せないので、例外的に載せる。

まずこのゲームもまた、古今東西のタイムリープのトリックを上手く収集していて、その上に、秋葉原やレトロPCといった現実と、ジョンタイターやタイムマシンという虚構を混ぜ込み、そこに岡部や紅莉栖、まゆりといった中立の人間といった要素が、まるで平均台に電流を流して25m歩くかのような塩梅で構築されている。

その複雑な土台の上で、岡部という1人の大学生が喜び、苦しみ、戦い続ける物語が展開される。そして何より、世界線という概念によって、プレイヤーと主人公を孤立させることで、明確にゲームとして、プレイヤーは彼の戦いそのものを観測することとなる。

そもそも、ADVはゲームなのかという議論がある。ADVは予め決められた脚本を辿るだけの紙芝居ではないかと。本作はフォーントリガーという画期的な概念はあるが、システムだけなら確かに紙芝居であることを否定できない。

が、システムではなく、そこで展開される物語が、実にゲームとして完成されている。声優の熱演を聞き、Hukeのビジュアルを見て、精巧に磨かれた文を読んで、そして何より、この苦しく、終わりの見えず、だが必ず到達しようと思える物語を「進める」こと。それが確かに他のゲームが求めていたものだった。

それに気付かぬ間に進めると、私のように、「大変なこと」になってしまう。所詮ADVとたかをくくり、何も考えずマウスをカチカチしていたはずが、気付けば主人公岡部の感情に心底共感し、他の登場人物の生き方に感銘を受け、ゲームをクリアした頃には、突如として感情移入の先が断絶され、さながら映画『SAW』で自分の足を引き裂いたような苦痛を味わう羽目になる…。

だが強いていうなら、このゲームが印象に残った理由は、自分が日本人だったからだろう。日本から生まれた虚構と現実、日本語から生まれた演技と脚本。ローカライズされても尚楽しめるに違いないが、あの辿り着いた結末で得た感情を鑑みるに、私が日本人として生まれこの作品に触れたことに感謝せずにいられない。