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宿命のゲームデザイン:プレイヤーを彼ら自身から守る

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「私が思うに、ゲームデザイナーにとって最大の責任とは、プレイヤーを彼ら自身から守ってやることなのだ。」

-Sid Meier GDC 2010

 

ゲームデザイナーは常にどうすればプレイヤーがゲームを楽しめるか頭を巡らせている。

例えば、FiraxisのXCOMのデザイナーであるJake Solomonは

「リスクは”損失”を孕むと同時に”勝利”へ導くものだ」

と言う。*1

ただしこれには反論もある。プレイヤーは仮に「楽しくない遊び方」をしてでも、常に成功を求めてしまうから、リスクの肥大化は慎重で単調なゲームにさせてしまう可能性もあるのだと。

だから元Firaxis社員にしてCivilizationのゲームデザイナーだったSoren Johnsonは

”機会”を与えることこそ、プレイヤーにゲームプレイの”最適化”を促す」

と話している。*2

 

さて、どちらがより良い手段だと言えるのだろうか。

 

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まず、Jake Solomonが提案するリスク型ゲームデザインにおける「リスクを恐れて慎重に遊んでしまう」懸念に対しては、慎重な行動そのものを制限する、という解決策がある。

例えば、常にリスクとリターンを比較衡量するストラテジー『XCOM 2』では、多くのミッションに時間制限が付けられる。要求ターン以内にクリアできないとゲームオーバーとなってしまう。

これは前作『XCOM: Enemy Unknown』にて、懸念通り高難易度では牛歩で進むのが最適な攻略手段になってしまった反省からだ。『2』では常にリスクをかけて攻略しなければならない。

 

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同様のデザインには『Spelunky』がある。

『Spelunky』では全レベルにおいて約2分30秒経過すると無敵のゴーストが現れ、常にこれがプレイヤーを狙うようになる事実上のタイムリミットが存在している。

このシステムを設けた意図について、製作者Derek Yu曰く

「私は『Spelunky』のプレイヤーに全財宝やアイテムを集めさせたり、全部のエリアを回らせるよう作っていない。代わりに、私は難しい選択をプレイヤーに重視させて、正しい選択をした満足感と、間違った選択をした後悔を味わってほしいんだ。」

と話している。*3

 

これらの仕様は間違いなく「プレイヤーの慎重な行動」を抑止させたが、一方で議論の焦点にもなっている。

まず『Spelunky』のゴーストは、それなりに好評だった。あくまでタイムリミットを迎えても即失敗ではなく、ゴーストから逃げる猶予が残されているからだ。

一方『XCOM 2』のタイムリミット仕様は、「安直だ」という批判も多い。嫌われすぎて、ユーザー側がタイムリミット自体を除去するMODまで作ってしまう程だ。これにはJake Solomonも「予期していなかった反応」と話し、拡張パック『War of Chosen』では大幅にタイムリミットが緩和された。

何がプレイヤーを苛立たせたのか。それは至極単純である。要は「プレイヤーは罰せられることが大嫌い」なのだ。

『XCOM 2』でのタイムリミット仕様において、多くのプレイヤーはハイリスクな選択肢を取らざるを得ず、その結果、仲間を負傷させ作戦に失敗する。それが「罰せられる」と感じるのだ。

 

一つ面白い話をしよう。世界的なMMO『World of Warcraft』の話だ。

最初、開発のBlizzardはプレイヤーが長時間プレイしてコンテンツが枯渇することを恐れた。

だから、ベータ版ではプレイヤーが長時間プレイするほど、取得できる経験値量を減らす仕様を導入した。しかしプレイヤーは猛反発。多くのプレイヤーが「罰則」を嫌がりゲームを離れていった。

そこでBlizzardは発想を逆転させた。既存の仕様を、「プレイヤーがログアウトしてる時間に比例して、次のログイン時に取得する経験値量にボーナスを加える」という「報酬」を与える仕様にしたのだ。

言わずもがな、この2つの仕様で意味するところは同じはずだ。だが後者は多くのプレイヤーに歓迎された。同じ仕様でも「罰則」より「報酬」を与えることで、プレイヤーの反応はまるで別のものになった。

『WoW』に限らず、現代では多くのゲームで「するべきでないことを罰する」よりも「すべきことを評する」システムが導入されている。ゆっくり遊んでいるプレイヤーを罰するのではなく、素早く遊んだプレイヤーを評価する方が、遥かに合理的なのである。

 

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そもそも、ゲームプレイの段階でゲームデザイナーは自分たちが理想とする遊び方を促している。

例えば最新の『DOOM』には「グローリーキル」という新仕様がある。瀕死の敵を近接攻撃で倒すと、派手でグロテスクな演出と共に、弾薬やヘルスパックが溢れ出すという素敵な仕様だ。

これは、「カバーに隠れて遠距離から安全に撃ち合う」ありがちなFPSより、近距離でアグレッシブかつハイリスクな戦闘してこそ、『DOOM』の醍醐味を知ってもらえるとゲームデザイナー判断だろう。

日本でも『Bloodborne』というタイトルが同じような方向性で開発されている。新システム「リゲイン」は敵を攻撃すると失ったヘルスの一部を取り戻すという仕様で、正しく「攻撃は最大の防御」というわけだ。一方、『DARK SOULS』は盾を構え、弓や弩で遠距離攻撃も組み合わせられるゲームだった。

もっと極端な例なら『Burnout』シリーズがある。ライバル車にぶつかったり、すれすれのドリフトを決めると加速する仕様があり、危険な運転をするほど早く走れる。

他にも『Hyper Light Drifter』では剣で敵を屠ると銃の弾薬を補給できる仕様がある。

 

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こうした仕様をもっと手軽にしたものが「スコア制」だ。コンボを決める、連続で倒す、無傷でクリアする…色々な条件を満たすと、ステージクリア時にボーナスとしてスコアが加算される。逆にスコアを稼ぐためにはゲームデザイナーの意図に沿って遊ぶ必要がある。『ソニック』、『DMC』、『TONY HAWK'S PRO SKATER』はその代表例と言えるだろう。

今ではスコアは単なる数字ではなく、アイテムのアンロックや成長に活用できる仕様も増えている。ゲームデザイナーの意図通りにプレイすれば、更にゲームデザイナーが用意した要素に触れられる…というわけだ。

 

けど「罰則のあるゲーム」を否定するわけじゃない。

プレイヤーを罰することの最大の問題は、プレイヤーの遊び方に幅を作ってしまうことだ。例えば『XCOM 2』のタイムリミット制では、プレイヤーが「こうすれば良いのではないか」と考えても、時間がないという理由で実行できなくなる。

また昔のステルスゲームでも、発見されると即失敗というゲームが多かった。これはとても勿体無い話だ。ステルスゲームの場合、見つからないようプレイするより、いざ見つかってしまった窮地でどう対応するかが、プレイヤーの腕の見せ所なのだ。

つまり「罰則」があっても良いが、それはプレイヤーの遊び方を制限するものでなく、むしろ拡張するものであるべきだ。「敵に見つかるな」というルール一つにしても、見つかって即終了ではなく、見つかった時にどうやって切り抜けるか考える余地があれば、それは優れたルールと言えるだろう。

 

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例えば多くのシューター作品では、カバーシステムが導入されている。しかしカバーに長時間隠れてチマチマ撃ち合うのは時間の無駄だ。ならカバーに隠れられないようにすれば良い。グレネードを投げ込んだり、カバー自体を破壊したり、カバーに隠れてない時間をスコアにしてもいい。

確かに「カバーに隠れる」ことを罰するように思えるが、カバーに隠れ続けることが最適の行動なるゲームプレイこそ、シューターにとって一番退屈なものだ。常にプレイヤーに色々な選択肢を取らせてこその罰則と言える。

先述したステルスゲームにしても、『バットマン:アーカム・アサイラム』のように、銃で武装した兵士に素手のバットマンでは対抗しようもないが、代わりに発見されてもハイテク機器で簡単に離脱することが可能で、柔軟な立ち回りが出来る。

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また『Mark of the Ninja』の開発者Nels Andersonは「開発当初、本作はステルスゲームだが戦闘自体も「型」や「パリィ」が使えるように拘って制作した。」と説明している。

しかし実際に発売された作品では戦闘システムはバッサリ簡易化された。Nelsはあえてゲーム要素を削ってしまうことで、直接戦うことが本質ではないと理解させている。

「ステルス状態のプレイヤーがうっかり見つかってしまった時、開き直ってランボーのように残りの敵を惨殺するのは避けたかった。

だから僕らが重視したことはとにかく戦闘部分を削いで、可能な限りシンプルにすることだった。そうすることで、作品として完成した時、自分たちがこうあるべきだと重視しているデザインが反映された。」

と話している。*4

 

 

 

大切なことは、ゲームデザイナーが自分たちのゲームをどう遊んで欲しいか、プレイヤーに知ってもらうことだ。

スタイリッシュに遊んで欲しいのか、ステルスを貫いて欲しいのか、リスクを取ってほしいのか、作った要素を全部遊んで欲しいのか、悪魔を抹殺するマシーンになりきって欲しいのか。その遊び方が最も面白く、興味深く、テーマに則ったものであるゲームプレイだと知ってもらう。

プレイヤーは常に短期的な目標がある。「死なない」「敵を倒す」「クリアする」「経験値を稼ぐ」。この過程で起伏のない、退屈な手段を取らせてはならない。簡単すぎて退屈な方法は取らせず、かといってそれらを安易に罰して難易度を上げるのも適切とは言えない。

最良のゲームデザインは、プレイヤーを励まし、最も楽しい遊び方のインセンティブを作ること。あらゆるプレイスタイルを許容する傍らで、開発者の意図する遊び方にはスコア・資源・難易度といった報酬を用意し誘導する。

無論、口で言うのは簡単だ。デザイナーが実装したゲームを、想定通りに遊ばせることは最も難しい。遊び方を意図することは同時に遊び方を限定し、遊び方を放任すれば退屈な遊び方で最適化される。

だがどんなデザインにせよ、プレイヤーに最高の楽しみ方を誘う上で絶対に忘れてはならない言葉がある。Sid Meierの言葉だ。

「プレイヤーを彼ら自身から守れ」

 

以上、Mark Brown「How Game Designers Protect Players From Themselves」より。

www.youtube.com

 

 

 

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あとがき

Edge、Wired、Eurogamer等多数の雑誌で掲載経験のあるライター、Mark Brown氏の「Gamer's Tool Kit」。その中で最多の再生数を誇る動画が、今回紹介した「How Game Designers Protect Players From Themselves」である。

「ゲームデザイナーがいかにプレイヤーを彼ら自身から”守る”か」

この一見して疑問の矛先もわからない命題から、彼は自身の凄まじいゲームへのボキャブラリーを活かして、数々の事例を提示する。「Risk」と「Opportunity」、「Punishment」と「Reward」といった言葉で対比されるゲームデザインは、読者の方も一度はプレイした経験のあるであろう作品から抜粋されたものばかりだ。

Mark Brownは膨大なそれらの作品から、クリティカルにゲームデザイナーの「設計図」を言語化し、彼らの意図を推察する。本動画はゲームデザインのいろはを知るだけでなく、ゲームに対する含蓄を深める上でも十分役立つはずである。

 

では結論として、タイトルの「プレイヤーを彼ら自身から守る」とは、一体何を意味するのだろうか。

ゲームプレイは常にインタラクティブ(双方向的)な体験と捉えられている。ゲームとは、デザイナーが提示した作品に対し、プレイヤーがゲームプレイで応えることで成立するメディアだ。

例えば、誰かNPCを救うという選択肢が現れた時、遠くに見える城に進む道のりを考える時、デーモンを殺す際にロケットランチャーかレーザーかで獲物を厳選する時。ゲームは無数の「問いかけ」と「答え」によって成立している。

同時に、これがゲームデザイナーにとって最も難しい課題でもある。ゲームの世界は虚構の世界。神が作ったわけでなく人間が作った世界だ。だから同じ人間として、デザイナーとプレイヤーの間における「遊び方」に齟齬が生まれる。その時、ゲームは不完全な現実となる。

 

元々、Sid MeierがGDCでこの講演を行ったのは、自身の作品『Civilization』において、セーブとロードを多用するゲームプレイの問題を語った時だ。『Civ』はランダム性の強いストラテジーゲームだが、セーブとロードを繰り返すことで、気に入らない結果を巻き戻し続けるプレイヤーが続出した。これではプレイヤーの意思決定に重みが産まれず、退屈なゲームになってしまう。

プレイヤーは「楽しい遊び方」よりも「勝てる遊び方」を選ぶ傾向にある。仮にそれが最適だと理解したら、どんなに退屈で卑劣な手段でもゲーム攻略のためには厭わない。バグの乱用、セーブロードの連発、攻略サイトの使用、何でもやってしまう。

何故ならゲームの前提の目標は、「楽しむ」ことでなく「攻略する」ことだからだ。例えばRPGで王様に「あの魔王を討伐してくれ!」と懇願されることはあっても、「ようこそファンタジーの世界へ、ゆっくりしていってね!」と言われることは、あんまりない。そもそも、殆どのプレイヤーは「攻略」こそ何より楽しいことだと考えている。

だからこそ、デザイナーはプレイヤーを「守る」必要がある。デザイナーは羊飼いとして、卑劣で退屈な遊び方ではなく、そのゲーム本来の面白さを味わう「正しき道」を示唆する義務がある。

 

とは言え、読んで頂いた方の多くは面食らったと思う。包み隠さず言えば「図々しい、何様のつもりだ」という話だ。言われずともプレイヤーは好きなように遊ぶし、それこそ一番楽しい遊び方だ。わざわざ便利な機能を縛って遊ぶプレイヤーまでいるのだから。

が、その反発こそ、Mark BrownとSid Meierの意図だったと思う。「プレイヤーを守る」というのは実にパターナリスティックな響きだ。デザイナーは父親でプレイヤーは子供。守るのが父親で守られるのが子供である。しかし本来、それほどにデザイナーは「お節介」であるべきなのだ。

私は以前このような記事を書いた。「ゲームの「オープンワールド化」が、逆にマップを狭めている問題 - ゲーマー日日新聞」。早い話が、昨今のゲームは「自由度」という建前で、ただ広いだけのマップ、水増ししたコンテンツなど、虚無な作品が増えていると批判した。

問題は正にここである。「どの選択肢を選んでもいいよ!」と言いつつ、「どの選択肢を選ぼうが同じ」という作品が多すぎる。楽な攻略のために何してもお咎めなしという放任な親に育てられた子供は、いつまでも本当のゲームの楽しさを知ることはない。

ゲームが双方向的なメディアならば、プレイヤーと同じく、デザイナーもまた積極的に歩み寄る姿勢が問われるのではないか。

 

その具体的な方法が、先程述べた「機会」と「リスク」、「処罰」と「報酬」で分類されたインセンティブだ。

プレイヤーにおいしい稼ぎ場を与える一方、時に資源を奪う強敵や罠を仕掛けておく。ミスをしたプレイヤーには即ゲームオーバーでなく、そこから立ち直る機会を与える。デザイナーの意図通りに「楽しい遊び方」を実践した良い子には、数字や資源を与えてやる。

私は初めて知ったのだが、『Mark of the Ninja』に至っては、ステルスゲームとしての醍醐味を味わってもらうため、わざわざ開発していた要素を削ぎ落とすまでに至ったという。親は時に自分の身を削ってでも、子に伝える必要があるという強烈なエピソードだ。