ゲーマー日日新聞

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『15時17分、パリ行き』感想

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クリント・イーストウッドはここ5本連続で実在する人間を取り扱った作品を描いている。

『J・エドガー』『ジャージー・ボーイズ』『アメリカンスナイパー』『ハドソン川の奇跡』、そして本作『15時17分、パリ行き』。

そして常にイーストウッドが描いてきたものは、「英雄」という存在と、その裏側だった。『アメリカンスナイパー』では160名の敵兵を射殺した英雄クリス・カイルと、彼が戦争での殺人を繰り返す中で精神が蝕まれる様を描いた。『ハドソン川の奇跡』では航空機を着水させることで乗客を救った英雄チェスリー・サレンバーカーと、彼が自分の行為が正しかったのか責任と過失の中で揺らめく様を描いた。

元より、イーストウッドはこういった作品を作ってきた経歴がある。初のアカデミー作品賞を受賞した『許されざる者』は、自身が俳優時代に演じたカウボーイと暴力の不毛さを対比させ、太平洋戦争を扱った『父親たちの星条旗』では政府によって英雄が作り出されるプロセスをシニカルに明るみにした。

一種のラディカルな作風。それこそがイーストウッドの持ち味であると批評家は絶賛した。とりわけ日本でも大好評だった『硫黄島からの手紙』は、従来悪役としてのみ描かれた日本軍の内情を掘り下げ、「アメリカ人らしからぬ中立な映画」として、日本人は”救われた”とすら感じたのだ。

 

当然ながら、『15時17分、パリ行き』の評判は芳しくなかった。何故なら、本作で描かれるのは「反英雄」ではなく「英雄」そのものだからだ。英雄の裏側、暴力への怒り、そういったものがまるでない。

アムステルダム発パリ行の高速鉄道がテロリストにハイジャック。すんでのところで、偶然乗り合わせていた現役のアメリカ兵2人と友人1人、そして他の乗客が危険を省みずテロリストを捕縛し、乗客は軽傷の1人を除いて無事生還した。本作の主人公である3人は、紛れもない英雄である。そこに陰も何もない。

裏表のない純粋な英雄。イーストウッドは希望を抱いた。誰もが正義の味方になれる世界が存在するのだということを。

 

本作は3人の生い立ちから丁寧に語られる。ADDと診断された父親を持たない2人の白人の少年は、地元の学校からキリスト教系の学校に転校して尚、周囲から馬鹿にされている。そこに1人の黒人が加わり、小さな団結に望みを見出す。

だが平穏は長く続かない。まず一人が転校し、一人が父親と再婚し、それぞれ別の道を歩んでいくからだ。これは『ミスティック・リバー』のような悲壮的な将来を暗示させるが、驚くことに数カットで彼らは大人になり、いつの間にか再開し、それぞれ将来の夢を抱いている。

驚くほど、子供たちはタフに描かれている。仮に家庭や身体にハンディを背負っていても、彼らはすくすくと立派な大人に成長しているのだ。脚本による”修正”は一切ない。

この塩梅は実にリアルだ。実際誰しも子供の頃は弱く、嫌な記憶も持ち合わせているものだ。だが子供は弱さと引き換えに耐久力がある。そして痛みから立ち上がる強さも持っている。安直な悲劇に落とさず、映像のリアリティを保つ絶妙な表現だ。

 

時に妥協し、時に耐え忍び、時に迷い。あっという間に彼らは大人になり、そして3人はヨーロッパ旅行を計画する。

そしてここから長い旅行のシーケンスが入る。ただ楽しいだけの旅行、従来のイーストウッド映画では考えにくいシーンだが、苦しい幼少期を乗り越えて再開した3人のことを思えば、既に彼の得意とするビターな喜びを我々も噛み締めざるを得ない。

実際、筆者も恐らく一番印象に残ってるのはこの旅行の映像だ。苦しい幼少期と、楽しい青年期というギャップは実に見事で、強烈なリアリティがある。幼少期に痛みを知る子供は、大人に成長してから強い武器となる。恐らく我々の誰しもが、こうした体験をしたことがあるはずだ。

 

列車のシーケンスに入ると、武装するテロリストが現れ、それを3人が阻止する緊迫したシーンが始まる。ここはイーストウッドの本領発揮といったところで、カットの使い方が極めて絶妙で、実際に3人が「命を張って」テロリストに立ち向かったことを理解させるほどに緊張感のある映像を撮っている。

このシーンを撮影するため、イーストウッドは主役3人のみならず乗客数百名まで実際に銃乱射事件の被害者を集めたというから驚きだ。

そして事件は3人により収束し、実際にフランス大統領によって表彰される映像が流れて作品が終わる。

 

作品を見終わってふと思ったことがある。自分は誰かの役に立てているだろうかと。

主人公の1人、スペンサーは3人で最も過酷な境遇だと思う。幼年期は2人が離れる中自分だけが残り、また空軍に希望するも身体的な条件により第二志望の部署に配属される。

だがそこで培った技術と、何より人としての強さこそ、彼を英雄たらしめていた。完全に休暇を謳歌していた最中に起きた危機。それに対し、望んで得たわけでない能力と勇気があったからこそ、身を挺して挑んだのはスペンサーだった。

イーストウッドは常に英雄の裏を描き続けた。そんな彼だからこそ、仮に英雄の表を描く時でも、決して安直な感動ポルノは作らない。英雄を直接演じさせ、彼らの率直な心境と在り方を描き続けた。

重要なことは、非常時に暴力を振るうことでは決して無い。自分が今まで望む望まざるとに関わらず得た経験と能力は、どこかで必要とされるということ。

スペンサーは祈る。「神よ、私を平和のための道具としてお使いください」と。徹底したリアリティに裏付けられた人間の信念の強さは、87歳の老兵が抱いた一縷の希望。「英雄」は誰でも「なろう」と思う限り、なれるものなのだ。