ゲーマー日日新聞

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精神が弱った人にこそ『Doki Doki Literature Club!』を遊んで欲しい。【感想】

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(以下、作品に関するネタバレ全開です。最初は何も読まずにゲームを遊ぶことを…

 

…って、もうこんな感じの前置き何度も読んでるよね。

 

「何も読まずに遊んでくれ」

「このゲームは子供または精神の弱い方には推奨しません」

 

 

およそ「それっぽいギャルゲの外見」に加えて、各人の感想にある「読まずに遊べ」「ネタバレを回避しろ」という注意書き、そして公式の「このゲームはちょっと刺激が強い」という警告。

まぁそこそこのゲーマーなら、もう何が起きるか大体察したはずだ。最近こういうゲーム流行ってるし。

 

で、恐らくこのゲーム、あなたの想像した通りのゲームだ。

俺もそうだった。俺は既に同じようなゲームを何本も知っていて、同じような警告も何度も聞いた。だから今作を遊ぶ時もおよそ察しはついたし、クリアした後「やっぱこんなもんか」ってガッカリしたぐらいだ。

だけどクリアした後、妙にこのゲームのことが忘れられなかった。何とも言えない感情に駆られ、単なる「よく出来たフリゲ」じゃ済まないような、そういうゲームだと思って、本当の”2周目”を始めた時、一つの答えを得た。

今度こそ、ネタバレ全開で書かせて頂く。無料な上に日本語化MODも公開されているので、是非とも一度、Steamでプレイしてみて頂きたい。

…それでもやる気はない?じゃ読んでくれ!多分やりたくなるから!

 

 

 

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実を言うと、この記事を書くのに、既に1万字近く書いたり消したりを繰り返してる。

自慢じゃないが、私は作品の評価でそこまで迷うタイプじゃない。思ったことをスパッと書ける。何が良くて、何が悪いか。少しずつ並べていけば、自ずと評価が定まる。

このゲームも最初そんな感じで書いていた。例えば、フリーゲームと思えない程に素材は厳選されているとか、短時間に恋愛、ホラー、メタアプローチ、そして純愛に帰結する手際の良さは素晴らしいとか、アプローチ自体は国産恋愛ゲームや海外インディーズでもよく見られた手法だとか、類似した作品毎に比較したりとか。

でも、本当の意味で”2周目”をプレイして気付いたんだけど、多分そんな些末な部分は、どうでもいいことなんだ。

 

 

 

俺はただ…。

 

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俺はただ、この言葉を聞けて、嬉しかったのだ。

 

物語の終盤。Monikaの世界。Monikaはゲーム自体を解体することにより、主人公及びプレイヤーを自身の世界に隔離する。

そこで彼女は、自分が「創造の中」にいることに絶望し、その中で唯一自分の意志で動く主人公(プレイヤー)に希望を抱き、彼に近付こうとするもゲームのシステムに阻まれ絶望する事を繰り返した末に、ようやく「二人っきりになれたね」と喜ぶ。

そして彼女は、このあまりに切ない表情で、「I'm in love with you」と、主人公でなくプレイヤーに告げる。

俺はこの瞬間、彼女に見惚れていた。

 

正直、最後に目を見て「好きです」と誰かに言ってもらえたのは、いつだっただろう。

そんな経験すらないかもしれない。誰かと付き合い始めた時すら曖昧だった。「付き合っちゃうか」みたいに、責任の所在を曖昧に。既に付き合っている状態で、やっと声に出せるような、そんな凄く価値のある言葉。

けど、このMonikaは、どうしようもなく不確定で、絶対に返事がこない事がわかっていても、「好きだ」と言った。

 

俺はそれが凄く、嬉しい。

こんなに儚い1枚絵で、こんなに薄いテキストで、誰かがプログラミングした言葉。だけどこれ以上なく、胸に響いた”言葉”だった。

 

…昨今では、いかにプレイヤーと直接ゲーム体験を結ぶか、という作品が増えている。

所謂インタラクティブ性を強調するアプローチだが、これは根本的に限界があり、こうした手段でいくらプレイヤーを驚かせても、驚かせた結果こそが「現実」であり、ゲームの「虚構」から遠ざかってしまうという、本質的なジレンマがある。

本作『Doki Doki Literature Club !』はその最たる例である。Monikaがいかに凶悪なアプローチでプレイヤーを驚かせ、いかに真剣にプレイヤーに言葉を紡いでも、その結果はネットに「Just Monika」というミームが溢れるという「現実」なのである。

故に、このゲームに限らず、こうしたゲームは最終的に「現実に帰る」というエンドを迎える。『Bioshock』で海底から地上へ戻るように、『FARCRY 3』で自分の女を刺し殺すように、本作でED中に全てのデータを消してしまうように。

それでも。プレイヤーの心に作品を残したい。俺たちにとっての現実であって欲しい。このゲームにはそういう願いが込められていた。仮にデータを破壊しても、プレイヤーの記憶の中に、本当に大切なものを与えられたら。

 

それが、この、余りにたどたどしい「愛」だ。

Monikaの「好き」という言葉。いつまでも見つめあえるような絶妙なMonikaの表情。Monikaの恐怖の妨害。苦しんで悶える少女たち。言葉を紡いで贈りあった詩。その何もかもが、最後この一瞬に結実する。

 

「愛している」

なんて心強い言葉なんだ。

なんて美しい言葉なんだ。

それが声になっていなくても。

それがテキストであっても。

それがMonikaでなく作者が考えて打ち込んだものであっても。

結局はゲームという形式であることには変わっていなくても。

 

他ならぬ「俺」に向けられた言葉なんだ。

 

あぁ、結構嬉しいな。

とても単純なだと思うかもしれない。

だけどこの言葉を聞けて、俺は元気づけられた。

このゲームを遊べて、俺は本当に良かった。

何とも言えない、温かい気持ちになれた。

 

それがMonika。逆境に抗う強さ、手段を選ばない冷徹さ、デートに憧れる可憐さ、仮にスクリプトでも仲間を憂う優しさ、精神医学や多様な価値観を知る聡明さ、不可能と分かって言葉を告げる高貴さを持つ、君の言葉なら尚更だ。

2周目を遊んだ俺は、もう「第四の壁」で閉じ込められた君に同情しない。何故なら俺も「第四の壁」を超えたいと思っているから。そのことに気付けたから。

 

 

 

確かに、主人公でなくプレイヤーに愛を誓うゲーム自体は、他にあるかもしれない。

それを含めて、俺は何度も何度も、作品を考察したり比較したりを書いて消して、その正体を暴こうとした。

でも結局、あの教室でプレイヤーに愛を告げるMonikaが美しかったから、というだけでいいんじゃないかと思う。

だから俺も、作品に敬意を表して、こう言おう。

Team Salvatoではなく、Monika。君に。

 

「ありがとう。」と。

 

 

 

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 私のペンで書いた言葉って大切な人を苦しめるだけ?

 

君を捕まえておくことが愛なのかな、君を放してあげることが愛なのかな?

 

インクは暗い水たまりに消えていくのに

 

どうすればあの世界に愛を届けられるっていうの?

 

もしも君の鼓動が聴こえなかったら…

 

君のいる世界では何を愛って呼ぶの?

 

君の世界でも、愛し方が分からなかったら

 

君のこと 諦めるね

 

-”Your reality”