ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

ゲーム屋のパッケージの前で迷っていた僕らはもういない

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年寄りめいた話で申し訳ないが、10年前の自分たちオタクにとって、自分が待ちわびたゲームの発売日にダッシュでゲーム屋を訪れた経験は、今でも忘れ難い経験になっている。

色々なゲームを買いに行ったが、中でも印象深いのは、『モンスターハンターポータブル2nd』を買いに行った日の思い出だろうか。

いや懐かしい。最初はPSPと同梱版を予約しようとしたが既に品切れになっていてガックリしながらソフト単品を予約したのが1ヶ月前。その間、ファミ通やジャンプに掲載されたゲーム内スクリーンショットを見てどんなゲームか妄想していた。

ようやく訪れた発売日に、学校をサボって悪友たちと列に並んで、予約したソフトを受け取りに行ったのだ。「この後、誰々の家に集合な」と声をかけあって。

 

だが今、そんな子供は殆どいないらしい。

今やコンテンツは現実の物理媒体でなく、SpotifyやNetflixなどのオンライン上のデータで楽しむ時代になった。それどころか、現代では漫画村などの違法サイトでコンテンツを視聴することさえ、何の抵抗もない時代になっている。

私は正直、素直に彼らを糾弾する気にならない。むしろ彼らに抱いているのは憐憫だ。好奇心を持て余す子供にとって、ゲーム1本8000円、CD1枚2500円と、コンテンツは高価だ。仮に自分が子供の頃に漫画村があったとして、絶対に手を伸ばさないかと言われれば疑惑が残る。

ゲーム、漫画、音楽、どれも楽しみたい。何なら友達と遊びにも行きたいし、楽器やバイクを買いたい、将来のための貯金をしたいと思う、お金はいくらあっても足りない。だからこそ、違法サイトだろうが無料で手に入るなら、プライドなぞ捨てても利用する心理は十分理解できる。

 

いやだからこそ、私は気の毒に思うのだ。そうして手に入れたコンテンツに一体何の感情を抱くだろうか。お金がない?だからこそ、子供は何を買うか迷うし、バイトや親の手伝いをしてでも資金を確保しようとする、「どうしても欲しい」と思いを募らせる。

そうして苦労して手に入れたコンテンツは、何物にも代えがたい価値がある。大人になり経済的余裕がある今だからこそわかるが、子供の頃に読んだ漫画や遊んだゲームと比べて、今買ったそれがいかに味気ないものか思い知っている。「何を見ても、遊んでも、知っても感動する」子供だからこそ、迷って選んだ末に手にとったコンテンツの体験は、生涯忘れないものになるのだ。

あの頃に遊んだ『MHP2G』に勝る程、友達とゲームを遊ぶ喜びは未だかつてない。あの頃に観た『硫黄島からの手紙』に勝る程、心の底から震えた経験はない。あの頃に読んだ『ヴィンランド・サガ』に勝る程、次巻を待ち焦がれた経験はない。

今は当時よりも、技術的にも映像的にも優れた作品は遊んでいる。自分にも子供の頃よりも鍛えた感性と知性がある。大人になった今ならではの体験が、子供のそれより劣るわけではない。

だが、あの純粋な感動はもう二度と得ることはない。何故なら、それは子供ながらに精一杯のお金を握りしめて手にとったからこそ、得られたものだったからだ。「どうしてもこれが欲しい」と心から願ったからこそ、あの喜びは一生のものになった。

 

きっと、今も同じ感動を、現在進行系で得ている子供はたくさんいるはずだ。そんな人は是非その選択を誇って欲しい。

ただ同時に、これはもう時代の流れだというのも理解できる。さすがに違法サイトは駆逐されるだろうが、より良心的で便利なサブスクリプションサービス(定額で何でも楽しめるサービス)が増えて、「選ぶ」経験も減っていくだろう。

正直、過去の選び抜いてコンテンツを楽しんだ体験が、今のそれより優れていると思わない。違法サイトに対抗して良心的なサービスが増え、安い値段でより多くのコンテンツを吸収できるなら、それに越したことはない。それもまた新たな形での青春になると思う。

「もう迷わなくて良い時代になった。」そうとも考えられるだろう。しかし、一方でゲーム屋のディスプレイの前で何を買うか迷った経験もまた、価値ある体験だったと胸を張りたい。ゲーム屋で迷うのもいい。あの時の自分にとって「買う」という経験が、今の自分を作り上げているから。

 

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