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20年後にようこそ
『Detroit Become Human』(以下『デトロイト』)は、これから20年後に人間とほぼ同じ機能が搭載されたアンドロイドが実用されたらどうなるか、という世界を描いたアドンベンチャーゲームだ。
また、本作は3人の主人公から構成される群像劇である。貧困家庭の家政婦アンドロイド「カーラ」、芸術家の介護アンドロイド「マーカス」、そしてアンドロイドによる事件操作に特化した最新モデル「コナー」。
彼らはタイトル通りデトロイトに住んでいて、そして全員がアンドロイドだ。プレイヤーはQTEや探索、そして複雑な選択肢を通して彼らの人生に介入し、それぞれのエンディングへ導いていく。
この作品を開発したのは、『ファーレンハイト』、『HEAVY RAIN』や『BEYOND』等で知られるQuantic Dreamだ。
元々彼らはQTEや選択肢によって物語が複数展開される作品を得意としており、本作も世界観は違えど限りなくこれらの作品に近い。
開発者のデヴィッド・ケイジ曰く、この作品の魅力はプレイヤーの介入により随時物語が変化する「インタラクティブなストーリー」があるという。
事実、トレーラーでも紹介されたように、この作品には無数の選択肢によって物語が枝分かれし、その変化が後のストーリーまで影響するようになっている。例えば、ある悪党を殺せる状態で生かしておくと後々現れたり、逆に殺すと他のキャラクターの恨みを買ってしまう、という具合だ。
また、選択肢の中には倫理的な選択も多く、誰を救い、誰を殺すかという、一概に判断できないものも多い。本当の正義とは何か、プレイヤーに揺さぶる意図があるようだ。
――そうした可能性については、多くのプレイヤーが選びそうな“正しい答え”とでもいうべき選択を、あらかじめ想定されていたりするのですか。
シモン いいえ。『デトロイト』のシナリオには、アンドロイドの迫害や失業者問題など、さまざまな社会的なトピックが描かれていますが、それに対してプレイヤーがどういう判断をしたかについて、こちらで良し悪しを決めてはいません。“こういう場合だったら、どうしますか”という状況を作って、その後にプレイヤー自身が選択したことについて“信じられる”ような展開や答えを、それぞれに用意しておきます。
『Detroit』インタビュー プレイヤーの選択に物語はどう寄り添うか。膨大な分岐で応えたシナリオチームが語る【Quantic Dream特集その4】 (1/2) - ファミ通.com
加えて、デヴィッドはこの作品の世界観にも相応の蓋然性を求めたという。実際の2038年の世界はどうなっているのか。確かに本作はこのリアリティを追求している。
アンドロイドはそうだが、自動運転が当たり前となったバスやタクシー、通貨や書籍はほぼ電子化され、テクノロジーの進化が加速する一方、アンドロイドにより失業率が増加し、失業者が反アンドロイドのデモを開くなど、進歩の影も描かれる。
元々Quantic Dreamは、食事や掃除といった、生活における何気ない動作の中で、こうしたリアリティを追求することに長けているが、『デトロイト』は20年後の未来という、魅力的ながら興味深い世界を見事に再現している。
加えて、PS4で実現した表現力も圧巻だ。このゲームを遊べば、なるほど確かに、20年後の世界が自動運転の車だらけになってもおかしくないし、アンドロイドの風俗店で寂しさを紛らわすのも頷ける、というものだ。
ゲーム的な正しさと、倫理的な正しさの矛盾
だが、少なくとも、この作品が目指していた、無数の選択肢により分岐する「あなた自身のストーリー」が、このゲームで上手く実現していると私は思えなかった。
発売前のリリースでは、『デトロイト』はプレイヤーの倫理観を試す選択肢を用意して、更に物語が膨大に枝分かれする、インタラクティブなストーリーと壮大に宣伝された
しかし、肝心なところで本作は大変「ゲーム的」なのだ。つまり明確に正解と不正解、成功と失敗に基づいて物語が分岐していく。そこには絶対的な唯一の正しさしかない。
まず、倫理的な選択肢と、それに伴う自由な物語の展開、という目標は本作だけでなく、同Quantic Dreamの『HEAVY RAIN』もそうだし、Telltale Gamesの『Walking Dead』、Supermassive Gamesの『Until Dawn -惨劇の山荘-』、Dontnod Entertainmentの『Life is Strange』等、海外のADV分野でのトレンドとして、数多くの作品で試されてきた。
だが、これら多くの作品も、そしてこの『デトロイト』も、完全にこの壮大な目標を達成した作品は少ない。これらの問題点をまず洗っていこう。
一つは、殆どの選択肢が、倫理的な正しさより、操作キャラが死ぬとか、敵を倒すとか、純粋にゲーム的な正しさを求めてしまう点だ。
直接数えたことはないが、少なくとも本作のうち7割近くの選択肢は、倫理的な選択肢などではなく、「正解すれば主人公が生きて、間違えれば死ぬ」という極めて古典的なアドベンチャーゲーム的な選択肢だった。
普通、ゲーマーは失敗より成功を目指す。仮に失敗したら、ゲーム側で「GAME OVER」と表示して差し戻すか、あるいはプレイヤー自身がロードし直して、正解を選びに行く。
本作でうっかり間違った選択肢を選んで、その惨状を突きつけられても、「あぁミスったな」と思うだけだ。もともと開発者が目指していたような、「正解のない選択肢」の葛藤などない。
こういう何でも無い選択肢は結構好き
もっとまずいのは、選択肢以外でも探索とQTEで物語が分岐する点だ。このゲームは主に、部屋中からヒントを探す探索パートと、敵とのアクションシーンでのQTEパート、そして最後の選択肢パートに分かれている。
選択肢パートで物語が分岐するのはADVの定番であり、実際色々な選択肢を試していて楽しいのだが、
探索における分岐は「どれだけ正解を発見できたか」、QTEにおける分岐は「どれだけミスしなかったか」といった、明らかな「ゲーム的な正しさ」という絶対的な価値観で、物語が分岐してしまう。
仮に自分が重い決断を下しても、その後、くだらないQTEのミスや探索の見落としでBAD ENDに繋がっていくので、選択肢で何分も迷うのが途中からバカらしくなってしまう。
探索により後の選択肢を開放できる。開放しないとまずいことになるのはコナー編で顕著。
また、Quantic Dreamの伝統として、この作品も一度の選択が、後のストーリーまで恒久的に影響を与えるゲームとして有名だ。が、この点も先程述べた「探索やQTEのミスで物語が分岐する」のが枷となる。
普通のゲームなら探索やQTEのミスは、一時的にゲームオーバーとなり、直前のチェックポイントまで戻されて終わりだ。
だが本作の場合、探索やQTEのミスがゲーム終盤まで影響してしまう。おかげで本作はめちゃくちゃハードになっており、悪い意味で常に気が抜けない状態で遊ぶ必要がある。
印象的なQTEシーンも多いのだが……
一方、本作の優れた点として、ゲーム中いつでもフローチャートを確認でき、またメニュー画面からいつでも、特定のチェックポイントからやり直せる機能がある。
しかし、Quantic Dreamは自分たちで作ったこの機能を使ってほしくないのか、妙に不便に作られている。
実際、途中の選択肢からロードしようとすると「最後までクリアしてからにしろ」と小言を言われるし、ゲーム中に「今どの選択肢を選んだんだ?」と気になって、フローチャートは確認しようとしても、「Startボタンでメニュー→チャート」まで最低3回ボタンを押す必要がある。
先程述べたように、探索の見落としが致命傷になりかねない作品なので、フローチャートは1ボタンで確認できるようにして欲しかったところだ。
また、チェックポイントから再開できると言っても、ゲーム自体がクリアに10時間以上は掛かる上に、キャラクターの移動は歩きだけ、ムービーやテキストのスキップも出来ないと、リプレイ性など毛ほども考えていない仕様のため、クリアしてやり直そうという気にはなれない。
アンドロイドは走れないのかって?走れるに決まってる(ごく一部のレベルに限る)
手放しきれないゲームへの郷愁
率直に言うと、またしてもQuantic Dreamの実験はうまくいかなかった、という印象が強い。
まず、間違いなくゲームのクオリティは高い。凄まじいディティールで再現されたデトロイトの街並もさながら、無数の選択肢によって枝分かれする脚本の量は膨大で、開発に4年も掛けただけのことはあると納得した。
ビジュアルのディティールは本当に凄い。だが肝心の脚本には穴が目立つ。
だが、前作と同じくして、「ゲーム的な楽しさ」を捨てきれずにいる。その結果、QTEや探索、あるいは多くの選択肢において、どうしても「正解」を見つける作業になり、倫理的な選択やプレイヤーの意志尊重という魅力が掠れている。
このゲームを遊んでいて常に思ったことが、「このゲームは自分に何をしてほしいんだ?」という事だ。
本作の場合、技術を向上して正しい答えを出して欲しい、というゲームの原理的なアプローチと、自分の意志で物語を展開して欲しい、というインタラクティブなアプローチが両方存在しており、ゲーム内で矛盾してしまう。
自分の直感に従えば、ゲーム的に正しくないとして酷い結末を迎える。だがゲーム的な正しさを追求すれば、倫理的な選択肢では開発者の価値観を模索するだけになる。
加えて、リプレイによって様々なルートを試せる一方、一周通してクリアして欲しいのか、リプレイのためのサポートが全くないので、クリア後に試す気は削がれる。
本国だけで140人のメンバーが開発に携わったそうだが、結局色々な「こう遊ばせたい」という意図がコンフリクトを発生させており、この辺りの意思統一が上手くいっていなかったのではないだろうか。
もちろん、部分的に彼らが目指した倫理的な選択肢は用意されており、そこで葛藤する事はとても楽しかっただけに、尚更残念だ。
自由に遊ばせたいのか、自分たちの道を歩いて欲しいのか。ゲームにも脚本にもまるで一貫性がない。
仮に、Quantic Dreamが以前から宣伝した通り、後者のような楽しみ方を推奨するのであれば、QTEや探索の難易度の成否を、物語の大きな分岐に影響させるべきでない。
そもそも、脚本のあり方からして、選択肢が人間の生死に直結する事自体が、大変「ゲーム的」だと思う。本来、倫理的な問題は全てが直接的な利益や生死に繋がるのでなく、人間の多様性を反映するためにあるべきではないか。
例えば、どの人間と付き合っていくかという、人間関係における友情や恋愛、また主人公の性格の反映、宗教や政治におけるスタンスといった点は、明確な正しさのない、倫理的な選択肢といえるだろう。
もし私が本作を作るなら、スキップやダッシュによるリプレイ性をまず確保し、分岐に影響する選択肢を絞っておき、その分増やしたムービーで、「人間とアンドロイドの違いはなにか」「機械に感情は芽生えるか」といった高度な議題を、じっくり掘り下げる脚本にするだろう。
凄く良いシーンも多いのに、それらの繋がりが希薄。群像劇のメリットを十分活かせていない。
若干、問題点への指摘が増えたが、ゲーム自体は大変良かった。特にアート面はディティール共に素晴らしく、俳優の演技も申し分ない。近未来という着眼点もナイスだ。
また、唯一サイバーライフ側のアンドロイドとして様々な葛藤を抱くコナーの物語は概ね面白く、飽きないで楽しむことが出来た。
何より、Quantic Dreamの「インタラクティブなストーリー」という夢への実験は、私は否定しない。
今回も微妙な結果に終わったが、作品ごとに間違いなく進化しているし、次作こそとんでもない作品が生まれるだろう。少なくとも、『HEAVY RAIN』と比べれば、何をか言わんやである。
<参考文献>
『Detroit: Become Human』を彩るアートと世界観 - YouTube
『Detroit』インタビュー プレイヤーの選択に物語はどう寄り添うか。膨大な分岐で応えたシナリオチームが語る【Quantic Dream特集その4】 (1/2) - ファミ通.com
*1:少しネタバレになるけど、アリスの正体を明かしてから選択肢に即座に繋がるの、すごく勿体無い。中盤の屋敷手前辺りで正体を明かして、そこから葛藤するカーラの様子をじっくり描いて、屋敷で助ける/助けないを決めさせるとか。