ゲーマー日日新聞

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『Doki Doki Literature Club!』における「詩」の重要性と、彼女たちを救わない決断の真意【考察】

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DDLC誕生日おめでとう!

というわけで、今回もDDLCの魅力と物語について考察しようと思う。

まだやってないならやれ。

 

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『DDLC』において、ごく普通のギャルゲとして進行する一周目は、最も退屈なシーンと評されている。だが、私はこの一周目における「詩の交換」という、数少ない「文芸部要素」を高く評価している。

ここでは、同時に10種類出現する様々な単語から、ヒロインが気に入りそうなものを選び、これを20回繰り返す。

最初、この部分をプレイした時衝撃だった。今まで、「詩を綴る」という行為がゲームプレイとして体験した経験は少ない。

だがそれ以上に衝撃的だったのが、時折選んだ単語に期待したヒロインの反応を得られなかったことだ。

 

例えば、Sayoriというヒロインの場合、「peace(平和)」「wonderful(素晴らしい)」といった言葉が喜ぶのは容易に想起されるが、「calm(鎮静)」「scar(傷)」にも反応し、挙句の果てに「depression(鬱病)」「tragedy(悲劇)」にも喜ぶ。

これは後の伏線にもなるSayoriの二面性である。主人公の前では気丈に振る舞うが、内心は自信を喪失し、迫りくる憂鬱と格闘する孤独な人間、それがSayoriの本性だ。

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無論、それがAct1の途中で明らかになることはない。Sayoriは嘘をつく。主人公の前ではありふれた幼馴染系ヒロインとして。

だがそれは、主人公のためであったか、ギャルゲという空間におけるサービスのためだったか。

YuriもNatsukiも、それぞれ二面性がある。

おとなしい文学少女が、その裏でナイフを集め自傷に依存しているYuri。

典型的なツンデレ少女が、その裏で家庭の問題によって膨れ上がった自尊心で押し潰されかけているNatsuki。

 

ヒロインに二面性があること自体、ビジュアルノベルで珍しいわけでない。

むしろ現代の恋愛をテーマとしたADVは、そうした二面性のあるヒロインの精神を、主人公がカウンセリングする、臨床心理シミュレーションとすら言えるのだから。

逆説的に、能力パラメーターの存在しない恋愛ADVで、ヒロインが主人公に「惚れる」論理的根拠を作るには、カウンセリングが最も合理的なのだ。

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絢辻さんはかわいい

 

DDLCの恐ろしくも優れた点は、ヒロインの二面性、及び脆弱性を生み出しておきながら、これを解決する術がゲームの中に存在しないことだ。

何故なら主人公が無能だからである。厳密には主人公は常に抗おうともがくが、Salvatoは彼に能力を与えなかった。故に、本来ギャルゲで直接彼女らの本音に触れるべき時でも、主人公は逃げ出してしまう。

その結果、Sayoriは首を吊り、Yuriは自害し、Natsukiは友人を救えない。

そして何より、プレイヤーは「あなたの世界に行きたい」と願う少女Monikaを、殺すことしか出来ない。

こんな残酷な事が、あって良いのだろうか。

苦しむ少女がいて、それを救えない、むしろ徐々にただの傍観者となっていく。その圧倒的な無力感が、本作における本当の「ホラー」である。

何故このゲームを遊んでいて恐怖を感じるのか。それは一見かわいい人形に思えていたヒロインたちが、その内側には人間として苦しみを抱いており、しかもそれを癒やすことが出来ないというあまりに残酷な現実、それ自体が恐怖なのである。

 

だがこのSalvetoの無慈悲な視線は、ありふれた恋愛ゲームにおける構造に対する、一定の批判性に基づいているように思える。

例えば、主人公がヒロインの心の闇に触れ、それを快復させることができれば楽しかに喜ばしい。

だが同時にヒロインは大なり小なり主人公の存在に依存することを意味する。男がヒロインの片腕を取り、走り出す。その救済が必ずしも正しいと言えるのか。

 

『DDLC』は完全な「放逐」を選んだ。

そして、プロットの運命故に、問題の深刻さ故に、プレイヤーは彼女たちに干渉ができず、故に彼女たちは自分自身で生き方を決めなければならない。

この『DDLC』において、ヒロインの生い立ちから性格まで何一つ具体的に語られることはない。だが、救世主の欠いたこの世界で、ヒロインは精一杯生きようとする。

「主人公が死んだ」故に、強さも、弱さも、全てを断片的に曝け出して生きる。ポエムに己の魂を載せ、プレイヤーに訴えかけて散っていく。

だからこそ、本作に於いて「詩」は外せないのである。

Yuriという少女は、単なる文学少女か、或いはヤンデレか?その何れでもない。彼女は、他ならぬYuriという女の子なのだと、「詩」という究極のアイデンティティの発露によって証明される。

ヒロインたちの躍動する様は、仮に60時間他のゲームを遊んでも得られないであろう程のリアリティがある。Salvatoの恐るべき描写力には感服せずにいられない。

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とりわけ、別の記事でも記載したがMonikaという、「本当の主人公」とも言うべき少女の成長はまさしく人間的であった。

最初はガイド用のMOBとして生まれ、プレイヤーへの盲目的愛で世界を支配し、プレイヤーによる裏切りによって、本当の愛情とは何かを自らの献身を持って体現する。

本来何一つ持つはずのなかった彼女は、自分自身の力で「Monikaルート」を構築し、

そして最後に、誰も手に入れることのなかった「声」を以て、

生涯をかけて求めた「自我を」、人間への「愛情」という形で獲得する。

「And in your reality, if I don't know how to love you I'll leave you be」

あなたの現実で、私が愛する術を知らないなら、もうお別れするね

 

-"Your Reality" Monika

 

ボードリヤールのシミュラークルの例を引用するまでもなく、本来パッケージとして加工されたはずのヒロインが、主人公による救済という王道を捨てて、自らの足で人格を獲得しようとする。

Monikaだけではない。True Endを迎えた時のSayori、Yuriを最後に思いやるNatsuki、このゲームには常に彼女たちが苦しむ姿が描かれるにも関わらず(Salvatoの鬼!)、ほんの一瞬だけ打ち勝つ瞬間が描かれるのだ。*1

そしてその契機は何れも、「愛」なのである。

 

この物語は本当の意味でラブストーリーだ。

誰かへの愛情が、眠りこけた自我を呼び起こし、決して起こりえない奇蹟を実現させ、自分を誰よりも成長させてくれる。

彼女にとっても、私にとっても。

本当の愛とは、そういうものではないだろうか。

 

*1:ただし、Yuriだけは露骨にリビティナとThe Third Eyeの下りを匂わせており全く救済されない。RIP