ゲーマー日日新聞

ゲームを「ゲーマー目線」で語る独立系ゲーム紙 | 依頼等はメールに | note https://note.mu/j1n1 | 連絡先ak47ava(at)gmail.com

#ゲーム批評祭 『Quake Champions』批評 著者:生水乾明日ばぷる

スポンサーリンク

f:id:arcadia11:20190614133919j:plain

ゲーマーのための聖典、QUAKE CHAMPIONSの読み方ひとつ。

著者:生水乾明日ばぷる(@BadPoolMan

 

 サメ映画。トンデモ本。もしくはバカミス。クォリティが尖り過ぎてまともな楽しみ方をすると一切面白くないジャンルはどんな娯楽でも存在する。ああ。もちろんゲームでもだ。狂人偏愛スーパーリトマス試験紙のなかでも俺は宇宙一クォリティが凄まじいゲーム、アリーナシューターの話をしたい。

その中でもquakeを。Quake championsを。おれはこれを地球人の考えるFPSの最終定理と思う。無論まともな感性ではない。だがわかるはずだ。このゲームはまともじゃないから。

 

Quake championsとは

Twitterを周回する時、「THE ARENA CALLS」と描かれた画像を見たことはないか。これは決して「イエスはあなたを見ている」とかの怪しい文言ではない。キャッチコピーだ。あまりにも強力なワードだろう。「アリーナが呼んでいる」。Quake championsとはそういうゲームだ。

 

もっと掘り下げよう。これはQuake最新作だ。Quake。対戦 FPSの幕を開けたゲームとして歴史的レリックにあるゲーム。下火でマイナーだった。だが今蘇った。つまり今やるべきだ。昔のQuakeは良かったなあと言う懐古主義者を一発で黙らせるべく復活したのだと思う。なぜならId softwareはQuakeの名前に恥じず惜しむことなくPC以外を一切考慮していないFPS専用の独自エンジンを開発したのだ。Skyrimエンジンや、id tech6、最近のトレンドことunreal engineの万能さでもダメだった。なぜならアリーナが呼んだからだ。

そんなゲーム開発にとんでもない労力をかけし尖った会社から出されたゲームで俺たちがやるべきことはただ一つ、アリーナでぶっ殺し合う。ただそれだけだ。

そもそもFPSの根源は殺し合いであり、Quake championsは殺し殺される為だけに現時点で16人のchampions(剣闘士という意味)を用意した。もはやむさいおっさんが「ホアッ!  ホアッ!」と叫ぶ時代は終わったのだ。さらに今をときめくオーバーウォッチの影響を受けたとは思えない程それぞれが超個性的。端的に言うならキ○ガイか軍人か人外含んで人間やめてる奴しかいない。だから何回死んでも何人殺しても「やっちゃったなあ」なんて感情は無く人を殺めた爽快感が体を突き抜ける。少し具体的に説明すると、Quake&id software(ほぼ)オールキャストだ。Quake3のプレイヤーには馴染みの深いキャラクターたち。みんな頭のネジが飛んでいる。識者の中には、KEELを敵モデルとして遊んだ方も多いだろう。あのでかい禿の彼はいる。もちろん蛍光色で。

あとはスマブラ的にDOOM SLAYER、ウルフェンシュタインのBJですら参戦している。ゲスト参戦championはこれからも増えるだろうから夢のドリームマッチをいくらでも遊べてしまう。

 

無論championsはアリーナにピクニックでなく殺しにきているわけであり、手加減無用でウルトラバイオレンスなスキルも完備。ヘヴィ・ミドル・ライトの速度制限区分も相まって、全スキルとキャラの噛み合いが恐ろしいのだ。他のスキル制で出そうものならOPだからすぐNERFしろと言われる連中だけである。(その中からOPが出るから不思議なものだが)

武器も過剰なまでに暴力的だ。厨武器しかない。ロケットランチャーの威力はバランス放棄の強さだし、相変わらずレイルガンもかのAWPが霞むレベルの破壊力。いくつかあるDPS武器はタチャンカも涙を流す。多分スタークラフトのマリーン三十体より強い。

ようはこのQuake champions、FPSとはいかなるものかをFPS総本山id softwareが本気で考えた結果なのだ。ウルフェンシュタイン3Dから30年続くFPSの研究。FPS黄金哲学。カッコいい3Dエンジンとは……その集大成がこれだ。なにかのインタビューでQuakeを越えるためにRAGEを作ったと言っていた。だがそれを超えてきた。即ち全てをchampion仕様にした現時点で宇宙史上最強のFPSなのである。

無論そこには表現規制はない。モータルコンバット11がその辺大変らしいが怒られても構わんよという強気の姿勢を見せている。

 

魅惑の尖りポイント

ここまでの説明で十分尖っていることを理解していただけたと思う。だがこれだけでは足りない。Quake championsを語る以上、俺も相当な覚悟と言葉を尽くさねばならぬからだ。断言するが俺はQuake championsの全てを推している。推し度合にバラツキあれど推している事には推している。推す点を上げたらキリがないので尖りポイントを今から語る。心して聞いてほしい。

 

まず世界観が凄まじい。ベースとなっているのはクトゥルフ神話なのだがそこへ悪魔崇拝とゴテゴテのクラシックSFを掛け合わせてある。サメとタコを合体させるより冒涜的だ。アザトースを祀る神殿の中にはさも当然のように俺が生きている間にはお目にかかれない無反動ロケランが落ちていた。未来仕様で。つまり水と油であるTecと伝承、そのミスマッチ要素がアリーナという鍋の中で奇跡的に融合したのである。だからプレイヤーは「ここはアリーナなのだな」と思って戦えるし、多少MAPが常識を超えていても納得できる。

アリーナに誘われし戦士たちもそれに応えるが如く経歴過剰だ。例を挙げるとclutchという一見すると赤く丸くデカく顔にモノアイで「あっよく居る」というロボ。

だがそいつのロア、つまりオリジンを示したゲーム内テキストにおいて語られる経歴は凄惨たるものである。要約するとこうだ。

いつものように鉱物を掘っていた採掘ロボのclutch君は、ある時邪神の囁きを感じ取り暴走。有機生命体を抹殺した挙句アリーナのあるドリームランドへと向かい鉄壁殺戮兵器と化した

……王道かつストロングな経歴だがアリーナと邪神が混ざる事で独特の雰囲気を漂わせる。肩書きも「AWOKEN AUTOMATON」……目覚めし自律機械。もはや言うまい。

こいつはまだ緩い方。

GALENAというゾンビ姉さんは邪教の生贄から復活していたり、Quake1のラスボス戦後、何の断りもなく召喚され自暴自棄寸前の主人公ことRangerであったりと非常に濃ゆいメンツが揃っている。経歴のキマり具合ではアメコミヴィランも裸足だろう。まずここにチャレンジングスピリッツを感じた。

 

製作チームは頭がおかしいのだろうか? もちろんYESだ。だがこれは極上のゲームプレイを提供するうえで必要な狂気である。

読者諸氏はFALLOUT(ベセスダ版)でNPC皆殺しプレイをした事があるだろうか。その時キャラの設定はどうしたか?  俺はロールプレイが苦手、という理由もあるが一切つけなかった。つけられなかったのだ。サイコな奴の思考はよくわからんし、FPSの視界=自分の視界となるので爽快だけど罪悪感が半端じゃない。だが上で書いた通りそんな感情は抱くことがない。皆人を殺めれば凄まじい勢いで笑う。冷酷に殺しても多分笑っている。待機画面でも「お前らの臓物ぶちまけてやんよ」と言っている。殺人を積極的に肯定している。

全員尖った殺人マニアックにしてゲーム内外で得られるキャラ情報を過剰にする事でHalf-Lifeによって幕を開けたFPSと感情移入の工学、その最先端を行っていると俺は感じた。サイコでいいのだ、ということだ。罪悪感ゼロでスムーズに戦いやすくする。つまり自然とゲームに没頭する方法をidは超真剣に考えている。

 

世界観も尖っているならMAPも尖っている。MAP自体は過去作の再録ばかりだが全部デラックスに装飾され、クトゥルフ的狂気を演出するアーチとか像とかが見下ろしマグマが燃えたぎり、どこでも殺し合いが起こるよう廊下とかは超狭い。アリーナと言わないのにアリーナの雰囲気を出す。ゲームコンセプトの中に宇宙的な狂気を織り込んでいるいい例だろう。

勿論ゲーム的気配りはここでも発揮された。いちプレイヤーの感覚として、アリーナシューターのMAPは割とごちゃごちゃしている。だがQCはそこにも挑んだのだ。驚くべきことに二、三回プレーすれば頭にするすると入ってくるデザインとなっている。あえて狭くしたのだ。なおかつ廊下とフロアのつながりは論理的で、次の展開も予測しやすい。勝手知ったる自分の庭だ。俺は虜になった。チームフォートレスで迷子になるのにQuakeだと迷子にならなかった。新たに追加されたmapですらだ。エクストリームこうあるべし、という気概の表れだろう。

 

ゲームバランスも無論尖り切ったバランスだ。Quakeといえばハイテンポな殺し合いだ。今作はそれを加速させる要素がマシマシなのだ。

俺の記憶が正しければQuakeは「待つ」ゲームだった。

ヘルスとかアーマーとかを取りまくり、フル装備で敵の来るところを予想して待つ。

FFAでもうまいやつは待っていた。ガイル少佐だった。今作も勿論ガイル戦法は強い。

だが今作は新たに攻めの要素がフィーチャーされている。武器は全部破滅的な威力だし、サポート武器とかない。Quake名物高速ジャンプこと、ストレイフもやりやすい。

 

スキルでさえ、攻めの調整がされている。

Clutchのアクティブスキルはダメージ半減。虐殺タイムを発生可能。(クールタイムは短い)Galenaならばトーテム型の地雷でもある回復アイテムを生成。rengerはオーソドックスなワープの癖にテレフラグ付きの必殺兵器。ロシア上がりのサイボーグ、visorは5秒のウォールハックだ。サイバネ薬中、Anakiはすぐにヘルスをガツンと回復するから恐ろしい。

かつて削り武器だったショットガンは全弾ヒットで120ダメージも稼ぎ出す。コンマ秒数の即着武器だ。尖っている。ここまでシンプル化したのでTPOに合わせて隙の調整と威力の調整をするだけだから幼稚園児でも遊べる。

それを証明するがごとく、なんと2018QCONでは開発者の息子、しかも5歳児がプレーした。

死ななければ良いというこれまでのスタイルを否定せず、ゴリゴリの攻めを推奨する全員全武器ぶっ壊れのバランスは何かあったらナーフする現代ゲームに逆らうものだ。これも調整しているが基本あんま変わらない。かなり前衛的だ。インディーズライクの開拓精神は評価に値する。

 

トドメにゲームエンジンもキマっている。144Hzモニターを最初から考慮し、まず画質より描写速度を優先したためE-Sports度が高い。

そのくせウルトラ設定はアリーナシューター最高峰のグラフィックを提供。異形のものを描き出すテスクチャの質感、ロケットの爆風、レイルガンの刺すような弾道、ライトニングガンの閃光。過去作の雰囲気そのままに臨場感を上げ、嫌なリアルさを消したグラフィックだ。そのうちレイトレーシングに対応しそうな勢いだ。ついでに美麗画像と共存をあんまりしたがらない要素、ネット回りはPingが150超えててもラグとかも全然ない。技術屋idここに極まれり、である。

このゲームエンジン、ゴアへの情熱もおかしい。サメ映画以上におかしい。体のパーツをモデルに仕込んで殺して致命弾を当てたところからばらばらに吹き飛ぶようにしてある。しかも落ちたゴアは足で蹴飛ばすことが可能。物理演算込みで。「血飛沫と肉片と内臓と骨と脳を一度にぶちまける汚い花火を堪能してくれ!」熱すぎるメッセージが聞こえる。公式サイトでは「祝福」と形容していた。俺はこのゴアを超楽しみにしている。気持ちがいいからだ。だが爽快感重視の木っ端微塵ゴア表現をしても処理速度を落とさない技術力の高さはホントに邪神と契約したとしか思えない。

 

結局のところ

世界観、キャラクター、ゲームバランス、ゲームエンジン、FPSへの病的なまでのこだわり。この五芒星はハイコンセプトで尖ったゲームの多いFPSの中でもほかの追従を許さないものなのである。地球を抜けて宇宙を目指している可能性が高い。その結果どうなったか? シンプルに敷居が無茶苦茶高くなった。

というか、普通に遊べばやけどする、まともなFPSではなくなったのだ。

 

プレイする人間は宇宙的スケールで作られたこのゲームに適応せねばならず、筆者ですら追いつけていない。武器は全部ぶっ壊れなのでどれかを使えば勝ち、というものでもない。最強武器ランキングと最強キャラランキングは全部「S+++」だ。idもそのあたりは苦心しているようで、なかなかアップデートは入らないし、バランスに誤差が出た瞬間コズミックダークネスに飲み込まれ彩度0の暗黒期がやってくる。これは何度もあった。

とにかく派手で怪物の為のゲームなのだが、やっぱりやっていることは昔から変わらない。

銃を取り、殺す。もしくは生き延びる。二つに一つだ。

俺はこのシンプルさ、邪悪な本能を揺さぶるささやきに魅せられた。そしてプレーし病みつきになった。アドレナリンを全身から出して宇宙と一体になった。俺の分身のchampionと死にまくることで今生きるこの世界を超どうでもいいけどなんか尊いなあと思うようになった。

俺はマジで言っている。ゲームから人生を学ぶとはこのことだ。ついでにゲームと暴力問題へのid流アプローチと俺は見た。「結局人は死ぬし文句言っても仕方ない」と。

 

だからか、コミュニティは妖怪のたまり場と言われても暴走してLANPARTYで騒ぎ山のような量のクソコラを作り、ユーザー主導の大会「自称新人王決定戦」ではなんとテーマソングを替え歌してまで歌い、事あるごとにお勧めしまくる。QCにはある種宗教的快感があるからだ。要は殺しの真理なのだ。思えば宗教的要素をコミュニティが補完している。

そのためバトロワゲームとはまた違う闘争の方向である。このあいだスリップゲートとか奇をてらったルールも流行には逆らえず導入されたがやっぱりmapを飛び跳ね殺している。最初にも書いたが多分人間がFPSをプレイする限りそこは変わらないのだと思う。いくら全年齢向けにしても「○○をキルした」と言う限り。

idはそのあたりへの理解が最高なのだ。やけに親身だし、安心して殺しあえる。

温故知新という言葉があるがまさにその通りだ。これまでのQuakeシリーズ、地上全てのFPSをすべて研究した上でこの怪作は誕生した。

今はまだ、歩き方のわからないモンスターかもしれない。尖りすぎていて一口遊んだらもういいかな、と思ってしまうプレイヤーの方が多い。例の画像も一人歩きを始めた。人間の理解を超え始めている。だれも次の展開が予測できない。あとしれっとF2Pになった。

だが真理とはそうではないのか。アメーバのように変化し個人の理解を受け入れていく。哲学を専攻しているわけでもないし宗教学者じゃないのでその辺の話はよく知らないが、俺はこれをいままでのFPSとは全然違うスケールを感じた。普通にFPSとしては遊べないと感じた。

とりあえず何でも吸収してやるだけやる、そんなソウルがまだアリーナを死んだジャンルにしていない、そう考えた。

 

おそらく俺たちがQuakeという宇宙にまたがり神の領域に挑戦したゲームをidとともに理解した瞬間、このゲームは真のチャンピオンになる。覇権を握る。世界は平和になる。その日まで俺は呼び続ける。THE ARENA CALLS.

 

―――――

J1N1の「ゲーム批評」批評

 

ま~たテンションたけえのが来たなぁ。でもアリーナ系FPSなんて軽くキマってないとできねーんだよな。

これを読んでると、改めてゲームってカルチャーだなって思う。ゲーム批評祭を通して思うことでもあるけれど、遊んでいるゲームがそのまま文体に反映されてるんだよな。これって鶏卵問題で、その逆も然りなんだろうけど。

「QCにはある種宗教的快感があるからだ。要は殺しの真理なのだ。思えば宗教的要素をコミュニティが補完している。」

という一文は正にそこを要約していて。esports云々言い始めた以前にある、要は殺すか殺されるかという営みそれ自体がハイコンテクストなメッセージで、俺らにはこれがないと生きていけねえんだよなって。これはもう一般のゲームとは何か全く違う、ゲームと自己だけでは補えないものを共有するための、必然的なコミュニティを前提とした設計になってるんだよなと。

 

#ゲーム批評祭でいただいた批評の多くはやはりソロプレイで遊べるゲームで、そういった批評はやはり文体がおとなしく、理性的な感じだ。対して『Quake Champions』を含めた対人ゲーの批評はどうにもテンションが高く、同じゲーマーといえど性格は結構違うのだなぁと興味深く読ませてもらった。