noteでゲームゼミの設立
他媒体への寄稿
読者企画や映画批評も
本体となるゲーマー日日新聞では、いつも通りのゲーム批評以外にも、読者投稿企画の「ゲーム批評祭」を開催したり、映画の批評などを投稿した。
「好きな事で生きていく」ということ
今年の春から転職に伴って上京しました。
自分がやりたい仕事で食べていく、要は「好きな事で生きていく」ために上京したんですが、結果的にこれは良かったらしい。
というのも、当たり前なんだけど、好きな仕事ほどパフォーマンスが上がって評価され、普通に働くよりも安定したんだよね。
好きなものこそ上手なれとは良く言ったもので、逆に言えば、嫌いな仕事をダラダラと続けてても、その業界で本気で向き合ってる人間には絶対勝てない。なら、多少不安定な業界や職種、会社でもサッサと自分のパフォーマンス発揮できる世界に飛び込んだ方がいいよね、と。
まして、特に東京にいて一層思うことなんだけど、今日本という国は限りなく弱まってる。人口が減り、企業の収入が減り、そして税収入が減って福祉が削られ、子供を育てられないから更に出生率が……という負のループに入ってる。
これは高度経済成長期から未だに変わってない大企業の怠慢とか、逆に伝統的支配で擁立した無能世襲議員の行政や立法の責任もあれど、本質的に不可避なもの。北米でも欧州でもこの呪縛から逃れられていないわけで。
ただ日本という国の正当性や神聖さが剥離することで、その裏側で正当化されていた「伝統の保存」というクソっぽい要素が概ね変化してるのも事実で。今じゃ副業OK、私服出社、ワークライフバランスの見直しと、色々良い変化もある。
そういった現代日本の負と生を見つめ直す上で、結論としては「年功序列・終身雇用」を売りにした新卒からの大企業ルートにこだわらず、自由に生きられるようになったんだよね。というかそういうキャリア一点張りの生き方はもう不可能で、スキルやコネを諸々合わせて生きないと普通に死んでまう。
で、多分その「現代日本メタ」にありがたいことに自分はかなり適正があった、気がする。忍耐強くないから自分より仕事できない上司にヘーコラしたくないし、飽きっぽいから一方的に割り振られた仕事を続けるのは苦痛。正直、大学や取引先の先輩方の話を聞いてても同じ生き方は多分無理だと思った。
それが今じゃブログを書いてお金をもらえる時代とはね。収入は下がっても、ストレスなく仕事を楽しめる方が個人的には大切かもしれぬ。
ただし、いかに好きな事と言っても本当にやりたいことを100%するだけが仕事でなく、常にステークホルダーの顔色伺って調整し続け、もちろんやりたくもない仕事もまぁまぁ回ってくることには耐えなければいけない。
趣味は生よりむしろ死に近い営み。好きなことで生きていくというのは、「生きていく」ことを蔑ろにするわけではないのだ。
そんなわけで個人的に、2019年は編集や営業、企画といったこれまでほぼ触れてこなかった仕事に挑戦させていただく機会が多く、苦労も少なくなかったが非常に大きな収穫だった。
個人的に文系でモノカルチャー経済(スペシャリスト)はかなりのハードモードだと思ってるので、石油を原資に金融や不動産、インフラで成功したUAEよろしく、報道と執筆と批評をベースに、スキルの幅をゴリゴリ広げてジェネラリストになって、そっからゲーム批評を本格的にモノにしたい、と考えている。
この辺は、2019年のゲーマー日日新聞で感じた限界や変化といった記事で改めて文字にしたい。
では長くなったが、皆様新年あけましておめでとう。2020年も死なない程度に頑張るぞ!ところでまぁまぁ新作出る割に、『Cyberpunk 2077』だけで年末まで遊べそうな気がするんですが、それは大丈夫なんですかね。