そろそろ「『メタルギアソリッドV: ファントムペイン』を全クリしたぜ!」という方も増えてきたのではないだろうか。
軽く他人の感想を聞いてる限り、やはり本作のストーリー、とりわけ、ラストに関しては少し納得がいかないという人も多いようだ。
今回の記事で、そういったモヤモヤや、小島監督の奥深いストーリーに、少しでも興味を持って頂ければ幸いだ。
本稿では、前回の記事でザックリまとめたストーリーから、元ネタとの比較、そして解釈を加えていこうと思う。ストーリーを忘れてしまったという人は、以前の記事を参考にして欲しい。
『MGSVTPP:メタルギア5ファントムペイン』のストーリーをネタバレ全開で考察&要約する① - ゲーマー日日新聞
元ネタ考察
まずは、作中の要素に関する元ネタをいくつか挙げていこうと思う。
この「元ネタ」というのは、作中で明確に表された文献や作品から、作品で惹起されるものまで挙げている点についてはご了承願いたい。
『白鯨』と「ダイヤモンド・ドッグス」
まず、多くのプレイヤーが衝撃を受けたであろう、「主人公=メディック 包帯男=BIG BOSS」説について考えてみる。
9年ぶりに目覚めたBIG BOSS。しかし、彼はサイファーを含めた世界中の権威から狙われており、彼らからビッグボスを護るため、オセロットとゼロ少佐はある計画を立案する。
(元々、サイファーの中心人物であったゼロ少佐(『MGS3』の中心人物)はスネークを憎んでおらず、その配下にあった「スカルフェイス」が暴走してスネークを暗殺しようとした事実は、最後のカセットテープに明らかにされる)
そこで考えた秘策は、ボスの影武者を用意すること。運良く、ボスと同じヘリに登場していた、ボスの部下「メディック」も同じ病院で昏睡しており、彼を「自分はビッグボスだ」と思わせることで、新たなビッグボスを創りだそうと考えたのだ。
しかし、サイファーはその間にも暗殺計画を進めており、顔を作り変えたビッグボス、そして「ビッグボスだと暗示をかけられた」メディックは、サイファーの特殊部隊XOFの襲撃を受ける。
そこで、包帯で顔を隠したビッグボスは、メディック(後のヴェノム・スネーク)に対して「さぁ逃げようエイハブ」「イシュメールと呼んでくれ」と言い、共に脱出することを提案する。
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この「イシュメールと呼んでくれ」という台詞は、とある文学で使われたことで有名だ。「Call me Isumael」。古典的文学『白鯨』の最初の一文だ。
『白鯨』は19世紀を代表するアメリカ文学で、著者はハーメル・メルヴィル。幻の巨大クジラ「モビー・ディック」と、捕鯨船「ピークォド」の戦いを描いた、巨編小説だ。余談だが、あの「スターバックス」の名前もこの小説から取られている。
この「ピークォド」に乗り込む船長が「エイハブ」であり、彼は多様な人種をまとめるカリスマと、自身の片足を奪ったモビーディックへの憎悪を併せ持つ、両面性のある人物として描かれている。
「この煙も慰めてくれぬ。このわしのパイプよ、貴様の魅惑も消えたとすれば、ワシの日々も切ないことだわ。…こんなもの、静けさを味わいながら、おだやかな白い煙をおだやかな白い髪の毛にまつわらせる道具で、わしみたいな乱れに乱れた暗い灰色の髪の毛になびかせるものじゃない。もう煙草はやめたーー」
『白鯨』メルヴィル
(上記の一節も、「ヴェノム・スネーク」が葉巻を吸う代わりに、デジタルのファントムシガーで代用していることと合わせて読むと興味深い。)
そして「イシュメール」といえば、物語の語り部であると同時に、驚くほど客観的に、死闘へ身を投じる「ピークォド」の船員たちを見守る人物として描かれた。
一文無しになり、陸上のあらゆるものへ興味を失った彼は、やがて追われるようにピークォド号へ乗り込む。彼は海への敬意を抱き、復讐というよりむしろ憧憬として、海に身を投じる。
『Ground Zero』で片腕と仲間を失い、やがてサイファーやスカルフェイスへの復讐を踏み込むヴェノム・スネークに、「エイハブ」であるとビッグボスが予め名付けているのは、何か皮肉めいて聞こえてくる。
この小説は大いに聖書のコンテクストに従ったことは、作中で何度も聖書の言葉が引用されることからも自明だ。
「イシュメール」は語り部であると同時に、旧約聖書ではアブラハムの息子「イシュマエル」として登場する。第二子の出産とともに、アブラハムによって砂漠へ母親諸共放り出されたイシュメール。定住する地を持たないユダヤ人の生き様が、彼を形作ったのは言うまでもない。
それは同時に、BIG BOSSの生涯とも重なる。望まずしてアメリカの英雄となった彼は、そのアメリカから離れて、戦士の自由が与えられる「アウターヘブン」を目指し、彷徨を続ける。
やがて、「ピークォド」にまたがる男たちは、諸悪の根源に思えたモビー・ディックとの戦いへと身を投じる。
どこまでも広がる海に家を持ち、いつもガンシップ「ピークォド」にまたがり、ひたすらに戦闘に身を投じるヴェノム・スネークの姿は、まさしく復讐に身を焦がした「エイハブ船長」そのものと呼べるかもしれない。
そして恐らく、彼を見守る「ビッグボス」も、彼を慕う「ダイアモンドドッグス」もまた。『白鯨』における、イシュメールと捕鯨船の姿に重なる。
『1984』から鑑みる、スカルフェイスの狂気
もう1つ、本作を理解する上で重要な書籍が『1984』という小説だ。
本著は、1949年に英国のジョージ・オーウェルによって著されたSF文学。「ビッグブラザー」の率いる党が全てを管理する、全体主義的な未来における英国の、圧倒的な支配体制の中で生きる人間を描いている。
『1984』は先述の『白鯨』に比べて、SF文学というのもあり少し娯楽的で読みやすい。特に、「思考犯罪」や「ニュースピーク」のような、架空でありながらどこか現代に通ずる概念を描き、読者を恐怖させたり、クスリと笑わせる描写が魅力的。
本作の舞台は1984年だし、第二章以降のマザーベースで貼りだされる「BOSS IS WATCHING YOU」のポスターや、オセロットが自分は「二重思考」していると明らかにすることなど、本作が『1984』の物語を大いに模倣したことは明らかと言える。
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さて、『MGSV:TPP』におけるスネークの最大の敵、「スカルフェイス」とサイファーは、独自の兵器「声帯虫」を作り出していたことが、ゲーム終盤で明らかになる。
「声帯虫」は、人体の肺に取り付く寄生虫で、人間が声に出す特定の言語に反応し、交尾を行って数を増やし、最終的に肺を食い尽くしてしまう細菌兵器。
サイファーによる「世界の言語や情報の統一」のため、あらゆるマイノリティの言語に対応した声帯虫を拡散させることで、結果的に1つの言語、「英語」を使わせようと目論んでいたのだった。
だが一方、スカルフェイスはこのサイファーの戦略に反旗を翻し、むしろ最も話者の多い「英語」を死滅させる声帯虫を開発し、逆に世界中のあらゆる言語を保全する「民族解放虫」を拡散することを企てる。
元々、スカルフェイスはハンガリーのマイノリティ。戦争が起きる毎に国境が変わり、その都度別の民族として、別の言語の生活を強いられたため、「英語」という最大の権威的言語へ報復しようと考えたのだった。
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作中で言及されるように、「言語」の力は我々の想像を超える。我々が認識する時、それはほとんどが言語を通じて行われる。時に口頭で、時に文献で、時に意識で、何かを「知る」ことは、言語という拡張子に依存することを避けられない。
だからこそ、「言語」を悪用する人間もいる。まさか寄生虫を作ろうという人はいないだろうが、アメリカ、ヨーロッパ、日本や中国、こういった国々は、特定の民族を支配するため、都合の良い言語を用いた。
その恐怖は、『1984』においても描かれる。作中では「ニュースピーク」という全く新たな「言語」が支配層によって作られ、既存の「英語」は「オールドスピーク」として、使用が厳禁される予定になっていた。
それは、ただ支配者のモニュメントを確立するためでなく、むしろ、「言語」の本質における、「言語に依存した思考」を支配するためのものだった。
「ニュースピークの目的はイングソックの信奉者に特有の世界観や心的習慣を表現するための媒体を提供するばかりではなく、イングソック以外の思考様式を不可能にすることでも合った。
…(中略)…ひとつだけ例を挙げよう。「自由な/免れた」を意味するfreeという語はニュースピークにもまだ存在していた。しかしそれは「この犬はシラミから自由である/シラミを免れている」といった言い方においてのみ使うことが出来るのである。「政治的に自由な」或いは「知的に自由な」という古い意味では使うことは出来なかった。なぜなら、政治的及び知的自由は、概念としてすらもはや存在せず、それゆえ、必然的に名称がなくなったのだ。
…(中略)…ニュースピークは思考の範囲を拡大するのではなく、縮小するために考案されたのであり…」
『1984』オーウェル
このように、言語を支配するということは、即ち思考を支配することに等しいと、作中では明記される。
何故なら、存在しない言葉を、それだけで思い返すことは難しいからである。言語は単なるコミュニケーションのツールではなく、むしろ自分自身の思考に問いかける時にこそ必要となる。
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この危惧は、単に小説の中で繰り広げられた机上の空論ではなく、むしろ多くの哲学者や社会学者が研究した課題でもある。
例えば、「パノプティコン」の理論でも知られる、ミッシェル・フーコーは、「言語」について考えている。
人間は言葉によって物事を「批評」する。人間は語ることによって、あらゆる概念を認識する。しかしだからこそ、人間は「言語」と「概念」の境界を極めて曖昧にしてしまう。そこに、見えざる言語の権力がひた隠しにされる。
「物と語はやがて切り離されるだろう。目は見るため、しかもただ見るためだけのものとなり、耳もただ聞くためだけのものとなるだろう。」
『言葉と物』フーコー
言語は独りでに語ることはない。当然ながら、そこには教育や学説といた主体が存在する。だからこそ、本質的には知性は存在するべくして存在する。
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スカルフェイスの狂気とは、実は「声帯虫」などの生物兵器に基づくものではない。真に恐れるべき狂気とは、人間が日々の思考様式として驚くほど「言語」に依存(寄生)しており、そして、そのことに無自覚であることなのだ。(だからこそ、スネークたちはしばらく真相に辿りつけなかった)
「声帯虫」は既存の核兵器に比べれば、一見かわいらしいものである。「肺を食い尽くす」と聞けば恐ろしい兵器だが、作中でも言及されたように、要するに喋りさえしなければ、特定の言語さえ捨てれば、自分の身体が傷つくことはない。
しかし、言語を捨てた人間は、「言語」だけ捨てたのだろうか。その言語によって得たあらゆる知性、概念、経験もまた、言語と同時に奪われてしまうのではないか。
少なくとも、サイファーとスカルフェイスはそのことに気付いていた。サイファーは1つの統治方法として、スカルフェイスは自己の経験論として。
スネークたちもまた、そのパンデミックに冒され、「キコンゴ」を有する人間を全員隔離する処置を取る。マザーベースは停滞し、ダイヤモンドドッグスは沈黙する。そして身を持って、自分たちがいかに「言語」に支配されていたか知る。
対象的なエピソードは、「クワイエット」の存在だろう。クワイエットは「英語株」の声帯虫を有する唯一の人物。だからこそ、彼女は「言語」を使うことは出来ない。
しかし、だからこそ彼女は「言語」から解放された生き方を見出す。マザーベースにおける、出自を問わない交流と、ヴェノム・スネークとともに戦った戦場での日々。それらに、「言語」は不要だった。
彼女を縛り付けていたのは、「言語」による一方的な命令と、サイファーの権力だった。序盤の病院シーンでは、彼女がXOFの一員であると共に、サイファーの絶対的支配の内にある人物であることが伺える。
彼女は最後のシーンにおいて、「クワイエットでいたかったわけではない」と告白する。しかし、彼女は言葉を喪失することによって、ヴェノムスネークとの日々、そして自己の「報復心」を捨てきることが出来た。
その彼女は、最後に声帯虫によって殺すべきヴェノムを、言語によって救う。そしてまた、「静寂へと帰る」。
最後まで言語に依存し、言語による支配と報復を思い描いた、雄弁なスカルフェイスと、皮肉にも声帯虫によって言語から解放され、新たな生き方を見出した、沈黙のクワイエットは、対象的な人物に映る。
早川書房
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