評:J1N1(@J1N1_R)
ブロック崩しを遊んだことはあろうだろうか。
ゲームの歴史を語るなら絶対に外せないゲームだ。古くはAtariが1976年に作った『ブレイクアウト』まで遡るほどの歴史があり、家庭用ゲームはもちろんのことアーケードゲームが普及する前のゲームだった……らしい。
「らしい」って言うのは、もちろん私はその時代に遊んだわけじゃないから。そもそもその時代に生まれてすらない。ブロック崩しを遊んだのも、まだ小学校にも入る前に、親戚の家で遊んだっきりで、その時にはもう完全にアーティファクト扱いだったわけで。
Google画像検索で「atari breakout」で検索すると……
それでも、当時遊んだ『ブロック崩し』は面白かった。ちゃんと今でもあのボールが跳ねる絵的な愉快さ、そしてそれを弾き返して、どのようにブロックを崩していくか考える戦略性というのは、今でも鮮明に思い出すことができる。それは本当に面白いゲームは時代を超えて楽しめる普遍性があるってことなんだと思う。
とはいえ、今やゲーム飽食の時代。Steamにいけば色々な時代・地域のゲームが取り揃っているし、スマホでは無料で遊べるゲームがごまんとある中、わざわざ「ブロック崩し」を今やろうという人はまずいない。
だったら、改めてあのブロック崩しの面白さを復活させよう。弾き返すバーをロボットに置き換え、敵の攻撃を避けながら弾き返す「アクション性」と、意味深なテキストとビジュアルで飾った「ビジュアル」を加えれば、今の子供でも遊ぶだろうというのが、今回紹介する『Creature in the Well』だ。
吸って、弾く
主人公は言葉も話せない、主を失ったロボット。
理由もなく砂漠を放浪し、遺跡とも研究所とも言えない施設へたどり着く。そこに居座っているのは、タイトルどおりの巨大な「クリーチャー」。クリーチャーは施設の機能を破壊し、それをロボットは復旧する。
クリーチャーはロボットの復旧作業を妨げようとするが、同時にロボットが壊れてしまう(ゲームオーバー)になると拾ってくれたりする。この世界に生きた人間はいなくて、少数のロボットとクリーチャーだけだ。この2者の掛け合いは、妙に愉快で面白い。タイトルも邦訳すると「至福のクリーチャー」と妙に意味深である。
で、施設に入るとそこら中にボールとバンパーのようなものが置かれている。ロボットはボールを吸うための武器と、弾くための武器、2つだけ持っていて、この2つでボールを「吸って、弾く」ことでバンパーに当てていく。それ以外のルールは一切ない。
字面にすると簡単だが、なかなか難しい。これは『ブロック崩し』というよりも、ピンボールの感覚に近い。ボールを色々な方向で弾くのだが、思ったように反射してくれない。ボールをどう弾けば、どう反射するか予測して、ロボットに位置、弾く方向などを調整する。
ゲームが進むと、ボールを当てるとこちらに攻撃するように弾き返す意地悪なバンパーが登場したり、そこからレーザーを射出してくるようになる。このゲームは割と死にゲーで、そういう悪質な攻撃を受けるとバコバコ死んでいく。うまく攻撃を避けてるアクション性と、自分が弾いたボールの弾道を予測する頭脳、その両方が必要になるわけだ。
このブロック崩しに、ピンボールと『Hyper Light Drifter』をかけ合わせたようなゲームプレイのアイディアには脱帽する。パズルやアクションがまじりながらも、根底部分にあるのは弾道の計算だ。この「吸って、弾く」だけのシンプルなゲームながら、本作は延々と遊べるポテンシャルがある。
進める程に閉塞化するレベルデザイン
このゲームの明確な問題は、遊べば遊ぶほどにやれることが減っていく点だ。
ピンボールを実際にプレイしたことがある人ならご理解いただけるだろうが、あのゲームの魅力は何度遊んでも最適解と呼べる攻略法がほぼ存在しない。プレンジャー、フリッパー、場合によっては「揺らし」などごく少数の力点で、ボールを自由自在に操り、無数の得点ルートを開拓する。
一方で『Creature in the Well』は構造こそピンボールとブロック崩しが原型にあるが、やっていることはパズルゲームに近い。決められた角度で、決められた入力をする、たった一つの解を的確に入力することがこのゲームのすべてだ。
だから、現実のピンボールやブロック崩しと同じものを想像すると真逆の印象を受けてしまう。ボールを弾く快感は大したものだが、それを的確に入力するだけでは「面白さ」につながてこない。どちらかというと、イライラ棒に近い印象を受ける。
後半は容赦ない「攻撃ギミック」の追加がよりこの閉塞感を強めていく。序盤は何度失敗してもボールを何度も弾けば良いが、攻撃ギミックで体力が0になるとダンジョンの入り口まで戻されてしまい、リトライが非常に面倒に感じる。
ゲームが進むほどに、攻略の選択肢が減り、ボールを弾く余裕がなくなっていく。その上、攻撃によってリトライも面倒になると、攻略のモチベーションは格段に落ちる。決して理不尽というバランスではなく、ちゃんと試行錯誤すれば攻略できるのだが、それが「面白さ」「達成感」にまで結びつかない。
このゲームは典型的な「テストプレイをしすぎたゲーム」ではないだろうか。
厳密には、開発者の間で何度もテストプレイをしたんだけど、一般人に遊ばせたわけではないというパターンに思える。任天堂の宮本茂がしきりにゲームにさえ興味のない人々にテストプレイをさせたことで有名だけど、そういった工夫がないからこそ「(ゲームを誰よりも知る)自分たちは最高に面白いと思えるゲーム」になっている。クオリティは高いが、いささか一方的に突き放したような印象を受ける。
幼い頃にプレイした、ブロック崩しの妙な包容力がこのロボットの冒険譚には感じなかった。
Nintendo Switch / Steam
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